愛称戦略は1971年から。ヰセキ耕うん機KS500の変遷

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今日はUさんがオークションで見つけてくれた(いつもありがとうございます!)ヰセキ耕うん機(正確にはティラーらしいですけど)KS500をもとにお話を展開します。

このKS500、最初赤の機体が後に青になったタイミングで愛称「大作」がついたみたいなのです。愛称ナシの赤いKS500の生存期間は、わずか1年と想像できるのでした。

赤い(正確にはティラー)KS500は愛称ナシで2パターン。誕生は1970年

ネットで見つけてきた写真です。確証はありませんが、前期型と思われる、マフラー進行方向右出しの赤いKS500です。
ネットで見つけてきた写真です。確証はありませんが、前期型と思われる、マフラー進行方向右出しの赤いKS500です。
同じくその機体の反対側。ヰセキの社史『井関農機60年史』によれば、ヰセキKS500は1970年に誕生したことになっています。
同じくその機体の反対側。ヰセキの社史『井関農機60年史』によれば、ヰセキKS500は1970年に誕生したことになっています。
そしてこちらは同じくネットで見つけてきた、今度はマフラー進行方向左出しの後期型と思われる写真。なぜ後期型と考えたかというと、後の青い「大作」と形が同じだからです。
そしてこちらは同じくネットで見つけてきた、今度はマフラー進行方向左出しの後期型と思われる写真。なぜ後期型と考えたかというと、後の青い「大作」と形が同じだからです。

赤いKS500は青くなって1971年に「大作」と名付けられた

ネットで探してきました。すぐ上の赤いKS500と形が同じで、色が青白ツートンになっているのがわかるでしょうか?
ネットで探してきました。すぐ上の赤いKS500と形が同じで、色が青白ツートンになっているのがわかるでしょうか?
エンブレムも、つまみの浮き出し文字も、おもりも、メッキカバーに貼られた機種名も同じです。
エンブレムも、つまみの浮き出し文字も、おもりも、メッキカバーに貼られた機種名も同じです。
しかし、名前がいつのまにか「大作」。この青い「大作」は検査合格票から1971年あたりに誕生したことがわかっています。突然名前が付けられたKS500と1971年という年から少し想像を膨らませてみます。 もしかしたら最古の愛称「さなえ」が生まれたのが1971年
しかし、名前がいつのまにか「大作」。この青い「大作」は検査合格票から1971年あたりに誕生したことがわかっています。突然名前が付けられたKS500と1971年という年から少し想像を膨らませてみます。

もしかしたら最古の愛称「さなえ」、が生まれたのが1971年

もしかしたら最古の愛称「さなえ」という名が生まれたのが1971年。手応えを感じたヰセキが「さなえ」にあやかろうと、その後の戦略(イメージキャラクターを立てて売り出す)を睨み、KS500の色を一新して「大作」で売り出したのではないでしょうか?

ヰセキ複胴コンバイン 太郎 HL1800 スペシャルオート3条刈カタログ
昭和50年、8月15日締め切り。当選者はペアで沖縄海洋博へご招待です。1975年時点ではコンバインの「太郎」、田植機の「さなえ」、耕うん機の「大作」までしか愛称がついておらず、耕二、耕太はまだ誕生していませんでした。
確かこの画像は「家の光」という雑誌の切り抜きだったはず。この時の記事はこちらです。

というわけで、僕は「さなえ」が一番最初で、次に生まれたのが「大作」もしくは「太郎」ではないかと考えています。

TVCM

KS501も「大作」

ネットで写真を探してきました。KS500の後継、KS501です。
ネットで写真を探してきました。KS500の後継、KS501です。
少々エンジンが変わっているみたいですがほとんど見た目は変わりません。
少々エンジンが変わっているみたいですがほとんど見た目は変わりません。
そしてKS501も「大作」です。
そしてKS501も「大作」です。

調べものをしているうちに時間がなくなってしまいました。ごめんなさい。今日はここまでです。また明日!

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