1979年頃、共同利用されていたNew Holland Clayson 1520はホイール⇄クローラ交換可能だった!「昔の写真」

今日はNさんに送って貰った(いつもありがとうございます!)大変興味深い写真、New Holland Clayson 1520の紹介の続きです。

汎用コンバインは軟弱地盤に弱かったというのを聞きましたが、この機体は湿田に入るときは、なんとホイールからクローラに換装して使用したそうです。

初回の記事はこちらです。

このコンバインの名前ですが、クレイスコンバインとしてベルギーで生まれ、時が経つにつれ世間の荒波に揉まれてクレイスコンバイン→クレイソンコンバイン→スペリー・ニューホランド・クレイソンコンバイン→ニューホランド・クレイソンコンバインと変化してきたみたいです。今ではクレイソンコンバインが取れてニューホランド・コンバインになってしまったのではないでしょうか?

ややこしいですね。

簡単にホイール⇄クローラ交換できたのだろうか?

僕はホイールタイプとセミクローラタイプの2種類あるのかと思っていましたが、そうではなかったようです。1520ご先祖様、M122ののころからクローラはアタッチメントなのでした。

Clayson Combine M122/M135 catalog 北海自動車クレイソンコンバインM122/M135のカタログ
以前紹介したカタログを見てもクローラはアタッチメントとして紹介されています。(見落としていました)
New Holland Clayson 1520のご先祖様であるベルギー生まれのクレイソンコンバイン。諸元などはこちらです。

そういうことで

このホイール仕様のコンバインが・・
このホイール仕様のコンバインが・・・
このようにセミクローラに換装されていた・・・ということのようです。
このようにセミクローラに換装されていた・・・ということのようです。(写真のフチに79年の年号が見えます!)
大きい図体にこんなに小さな足で・・・と思われるかもしれませんが、コンバインですから大きな薄い鉄板でできた唐箕です。多きさほど重くなかったと思われます。
大きい図体にこんなに小さな足で・・・と思われるかもしれませんが、コンバインですから大きな薄い鉄板でできた唐箕です。多きさほど重くなかったと思われます。
そしてセミクローラに換装されたときは後輪はラグタイヤに変えられたそうです。
そしてセミクローラに換装されたときは後輪はラグタイヤに変えられたそうです。

Nさんの記憶によれば湿田に入るときは機械屋さんに入庫してクローラ/後輪ラグタイヤに換装されたそうですから大仕事だったのでしょう。

そういえば、「機械屋さん」という言葉、最近聞かないです。昔は「機械全般なんでも扱う仕事」が多かったのでしょうね。

これより古い機種ですがセミクローラのはっきりした写真がありました

ウィキペディアで見つけたクレイソンM122の写真。こちらは履帯を履いています。こっちなら大丈夫だったのでしょうか・・・ぬかるみ用△履帯です。
ウィキペディアで見つけたクレイソンM122の写真。

子供だったNさんの憧れだったそう

こんなに大きいのですから、絶対子供は好きですよね!
こんなに大きいのですから、絶対子供は好きですよね!
お見せできないですけど、メチャメチャ嬉しそうです。
お見せできないですけど、メチャメチャ嬉しそうです。それは見なくてもわかりますよね?
グレンタンク容量はどのくらいあったのでしょうね。さっと調べた限りでは出てきませんでした。
グレンタンク容量はどのくらいあったのでしょうね。さっと調べた限りでは出てきませんでした。
2トンのダンプを使っていますから結構入ったのでしょうねぇ・・・
2トンのダンプを使っていますから結構入ったのでしょうねぇ・・・

クレイソン1520、トラブルは多かったそうです。

大きく長い機体で、運転席は最前にあり、後方の視界も悪いですから狭い圃場で尾輪を用水路に落としたり、ベルト切れのトラブルも多かったと子供の頃の記憶を話してくれました。

そりゃそうです。昔の機械しか見たことがないので、この機械がそうかどうかわかりませんけど、背中に背負った4気筒のフォードディーゼルだけで走行、刈取り、脱穀すべて行なうのですから。しかもそれらはすべてベルトを介して・・・この機械は無数のプーリーの間をベルトが縦横無尽に行き交うあやとりマシンなんです。
ベルト切れ・・・そりゃそうです。昔の機械しか見たことがないので、何とも言えませんが、僕の見た古い機械は背中に背負った4気筒のフォードディーゼルだけで走行、刈取り、脱穀すべて行なっていました。しかもそれらはすべてベルトを介して・・・このタイプの機械は1本のベルトが切れただけでもまともに仕事ができなくなる・・・無数のプーリーの間をベルトが縦横無尽に行き交うあやとりマシンなんです。

昔の記録映画にも出ていた

3:18あたりの映像に見たことのあるような形のコンバインが写っています。

昔の茨城県映画にもこのタイプのコンバインを見つけることができます。きっと戦後の食糧難を何とかしたいということで、米作の完全機械化によって食料増産を目指したのでしょう。

しかし国産の機械がなかったので、外国製の汎用コンバインを日本に持ってきたのだと思います。Nさんの記憶にあったようにトラブルも多く、島地区のMさんによればロスも多かったのでなかなか定着しなかったようです。

そのうち国産の自脱式コンバインができて、そちらに米作のユーザーは流れてしまったみたいですが稲刈りの機械化を図る上でこのクレイソンコンバインは重要な役割を果たしたと思います。

この記録映画関連の記事はこちら。

この黄色いコンバインについては、ステキなガラス製のアンティークなランプがついていたり魅力的な部分がたくさんあるのですが、時間がなくなってしまいました。

興味のある方はクレイスM80関連の記事をこちらのリンクから読んでみてください。それではまた明日!

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