今日はNさんに送って貰った(いつもありがとうございます!)大変興味深い写真、New Holland Clayson 1520の紹介の続きです。
汎用コンバインは軟弱地盤に弱かったというのを聞きましたが、この機体は湿田に入るときは、なんとホイールからクローラに換装して使用したそうです。
このコンバインの名前ですが、クレイスコンバインとしてベルギーで生まれ、時が経つにつれ世間の荒波に揉まれてクレイスコンバイン→クレイソンコンバイン→スペリー・ニューホランド・クレイソンコンバイン→ニューホランド・クレイソンコンバインと変化してきたみたいです。今ではクレイソンコンバインが取れてニューホランド・コンバインになってしまったのではないでしょうか?
ややこしいですね。
簡単にホイール⇄クローラ交換できたのだろうか?
僕はホイールタイプとセミクローラタイプの2種類あるのかと思っていましたが、そうではなかったようです。1520ご先祖様、M122ののころからクローラはアタッチメントなのでした。
そういうことで
Nさんの記憶によれば湿田に入るときは機械屋さんに入庫してクローラ/後輪ラグタイヤに換装されたそうですから大仕事だったのでしょう。
そういえば、「機械屋さん」という言葉、最近聞かないです。昔は「機械全般なんでも扱う仕事」が多かったのでしょうね。
これより古い機種ですがセミクローラのはっきりした写真がありました
子供だったNさんの憧れだったそう
クレイソン1520、トラブルは多かったそうです。
大きく長い機体で、運転席は最前にあり、後方の視界も悪いですから狭い圃場で尾輪を用水路に落としたり、ベルト切れのトラブルも多かったと子供の頃の記憶を話してくれました。
昔の記録映画にも出ていた
昔の茨城県映画にもこのタイプのコンバインを見つけることができます。きっと戦後の食糧難を何とかしたいということで、米作の完全機械化によって食料増産を目指したのでしょう。
しかし国産の機械がなかったので、外国製の汎用コンバインを日本に持ってきたのだと思います。Nさんの記憶にあったようにトラブルも多く、島地区のMさんによればロスも多かったのでなかなか定着しなかったようです。
そのうち国産の自脱式コンバインができて、そちらに米作のユーザーは流れてしまったみたいですが稲刈りの機械化を図る上でこのクレイソンコンバインは重要な役割を果たしたと思います。
この黄色いコンバインについては、ステキなガラス製のアンティークなランプがついていたり魅力的な部分がたくさんあるのですが、時間がなくなってしまいました。
興味のある方はクレイスM80関連の記事をこちらのリンクから読んでみてください。それではまた明日!