コンバイン競技会にエントリーしていたクボタのコンバイン、クボタのM200というのはどんな形をしているのだろう・・・と、画像検索をしても出てきませんでした。同じくシバウラや日車のコンバインも同様です。
しかし、クレイソンのコンバイン画像はゾロゾロ出てきます。よっぽど売れたんでしょうね。
今日も昔のコンバインカタログ(リンクではトラクターがほとんどですが)の続き、その納入先です。
景気のいい表紙

国や県などの補助金で事業体の負担金は1割程だったと聞いていますが、高価な機械が昭和44年にはどどっと納入されて12月時点では289台!

個人で導入された方も

八郎潟は個人事業団

茨城には13台

おじまさんにコメントをいただいた、お宅近くの生産組合に引き取られてきた東村のクレイソンコンバインとは42年導入のM89のようですね。
西のほうへ行くと台数が少ない


八郎潟だけで53台のクレイソンコンバイン
八郎潟だけで53台のクレイソンコンバインが納入されています(昭和44年時点)。全国へ出回ったクレイソンコンバインの約18%が八郎潟へ・・・当時の稲刈り風景はどんなだったでしょう・・・見てみたいなあ。
と思って大潟村百科事典を見てみたら(http://www.ogata.or.jp/encyclopedia/history/2-5.html)カメになったクレイソンコンバインの写真が載ってました。

おじまさん おはようございます
ほんとうですか!
茨城に来た13台(ほんとうはもっと多いかもしれませんが)のうち
4台、少なくとも3台の消息がわかったということですね!
そして少なくとも2台は茨城にあって1台は実働で現役・・・
大変興味深いです
是非見に行きたいです
おはようございます。
いつもなら出勤前に草刈りとか少し農作業をするんですが,夕べの雨のおかげで今日は何もできず。
時間に余裕があったので早めに家を出て,近く(通勤経路とは逆方向)の生産組合にこの間お話した“東村から引き取られたクレイソン:カメ君号”がまだ野晒しであるのかを確認してきました。
ちょうど通学の時間帯で,子供たちがぞろぞろ歩いていたので,その辺に立っていると怪しまれるかもなんて余計な心配をしちゃったのと,組合の人も顔見知りなので,「何やってんだぁ?」なんて言われないように,今日は通りすがりのようなフリです。(通学の子供たちと組合に用事のある人ぐらいしか通らないような場所なんで,通りすがりはほぼありえないんですけどね。)
道路からは草に埋もれかけたコンバインのお尻しか見えませんでしたが,CLAYSONの文字が確認できました。どうやら2台あるようです。
もしかするともう一台は延方から来たのかも。(ずーっと昔,そんな話を聞いたような気も…)
それとも,今活躍しているやつが3代目(この間JDと書きましたが,今朝見たらニューホでした)で,初代と2代目がそこに眠っているのかも。
そのうち,もう少しちゃんと情報仕入れてきますね。