オイルショックは田植機のカタログまで影響を及ぼした。ヤンマー田植機YP2伊吹カタログ比較「田植機考古学」

今日は昔のカタログシリーズ田植機考古学。Shioikaさんに送ってもらったヤンマー田植機YP2伊吹カタログとトラクター狂さんに送ってもらった同じく伊吹のカタログの比較です。

以前の記事です。非常に美しい田植機のカタログ。田植機は劣化が早いのか、愛されていないのか、回転が早く保存もされていない事が多いので非常に情報が少なかったです。しかし、皆様のお陰でだんだん流れがわかってきました。
Shioikaさんに送ってもらったカタログ表紙です。 細かい数字を拡大してお見せすることはしませんが、巻末のカタログ数字がN7308となっており、1973年8月のものと推定できます。1973年8月と言えばこのYP2伊吹が発売された時期です。 このカタログはYP2誕生と同時に作られたものだったのです!!
Shioikaさんに送ってもらったカタログ表紙です。

細かい数字を拡大してお見せすることはしませんが、巻末のカタログ数字がN7308となっており、1973年8月のものと推定できます。

1973年8月と言えばこのYP2伊吹が発売された時期です。 このカタログはYP2誕生と同時に作られたものだったのです!!
ダイキン・ヤンマー田植機年表1965-1973
YP2伊吹は1973年8月生まれ。詳しくは初期のヤンマー田植機年表へ
Shioikaさんに送ってもらったカタログ表紙です。 細かい数字を拡大してお見せすることはしませんが、巻末のカタログ数字がN7308となっており、1973年8月のものと推定できます。1973年8月と言えばこのYP2伊吹が発売された時期です。 このカタログはYP2誕生と同時に作られたものだったのです!!
間に年表をはさんでしまったのでもう一度、ShioikaさんのYP2誕生時1973年8月のカタログ表紙。
農業近代化の歩みを世界へ 「農機事業」というヤンマーのpdfでは、1967 年 5 月にいち早くひも苗式の田植機(動力苗まき機)TP21 を発売したにもかかわらず、市場をマット苗式に席巻された苦い記憶として記されている田植機部門。同PDFには『1972(昭和 47)年 2 月にヤンマー農機、ダイキン工業、神崎高級工機の3社技術陣で新たなプロジェクトチームを結成して散播・マット式田植機の開発に取り組み、同年末には AP2 を、翌 1973 年8月には YP2 を発表した。』と書かれています。また、ヤンマー100年史にも同じく『田植機「伊吹」YP2、YP4を発表』とありますので、誕生日は間違いなさそうです。そして1974年。他社に出遅れた分、感性に訴えることにしたのでしょうか。カタログはおねえさん少なめ、風景が多めになっています。
こちらはトラクター狂さんに送ってもらった同じYP2のカタログ表紙。巻末の数字がN7410とあり、上のカタログから1年と2ヶ月後の1974年10月のものと思われます。両者を比較してみると、同じように見えますが微妙に違います。

違いを書き出してみます

  • 伊吹のロゴがちょっと違う
  • それまでなかった「一滴の油を大切に!燃料報国で食料産業に奉仕するヤンマー」という文字が入っている
  • 実際に機械で田植えをしている画像が入っている
  • 田植機のマーカーの取付位置が車輪前方に位置変更されている
  • 左右の動力伝達レバー?の黒いグリップが省略されている
  • 祭りの画像が引きの絵になっている

その年の田植えがすっかり終ってしまった8月に生まれた伊吹は田植えをする写真が撮れなかった・・・ということで苦肉の策で田植えの終った田んぼの写真が入っているんですね!

それから、マーカーの位置です。当初エンジンの横から触角のように上へ付き出していたマーカーは「見にくい」とでも言われたのでしょうか?

低く車輪の前方に付き出すように位置変更されています。

それから・・・

「一滴の油を大切に!燃料報国で食料産業に奉仕するヤンマー」

戦争中のスローガンかと見まごうばかりの刺激的なコピー。一滴の燃料とは1.6馬力の田植機にはおよそ似つかわしくない言葉です。

「なにこれ?」と違和感を感じてハタと気がつきました。オイルショックか!

Wikipediaによるとオイルショックは

1973年10月6日第四次中東戦争が勃発。これを受け10月16日に、石油輸出国機構(OPEC)加盟産油国のうちペルシア湾岸の6カ国が、原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ70%引き上げることを発表した。(第1次オイルショック

Wikipediaオイルショックより

伊吹が誕生して2ヶ月後。石油価格はそれまでの安値安定から70%も上昇したのです。同じくWikipediaによると

石油価格の上昇は、エネルギー源を中東の石油に依存してきた先進工業国の経済を脅かした。1960年代以降にエネルギー革命を迎えエネルギー源を石油に置き換えていた日本は、ニクソン・ショック(ドル・ショック)から立ち直りかけていた景気を直撃。前年からの列島改造ブームによる地価急騰で急速なインフレーションが発生していたが、石油危機により相次いだ便乗値上げなどにより、さらにインフレーションが加速されることとなった。

Wikipediaオイルショックより

淡々としたこの記述だけでは実際の雰囲気を感じる事はできませんが、わずか1.6馬力のガソリンエンジンを積んだ、年に1回しか使わない田植機のカタログに「一滴の油を大切に!」「燃料報国」と書かせた・・・ということでその破壊力を知ることができます。

また、その影響ではないか?と考えられることがもう1つあります。

Shioikaさんに送ってもらったカタログの見開き部分です。
Shioikaさんに送ってもらった、1973年8月カタログの見開き部分です。
1Pよりは2P・・・情報量が多いだけに、こちらの説明のほうが繊細です。
こちら同じくトラクター狂さんに送ってもらった1974年10月カタログの見開き部分。

なんとフルカラーが2色刷りになっています。

当初、どういう意味でカラー版と2色版があるのか理由が理解できなかったのですが、これでわかりました。

インフレで紙・インク、すべてのものが値上がりし、通常カタログは閉じた状態で配布されたり展示されるので、比較的影響の少ない見開きのグレードを下げたとしか考えられません。

いただいたのはデータの状態で確認できませんが、紙の厚みも1974年10月版は薄くてペラペラになっているのではないでしょうか?

オイルショックと言われてもピンときませんが

つまり、オイルショックは田植機のカタログに戦時中のようなスローガンを書かせ、目立たないところの色数を4色→2色にするような涙ぐましい努力を強いるようなものだった・・・ということになります。

これならわかります。今までできていたことが急にできなくなる・・・ちょうど今の状況に似ていますよね?

この項まだ続きます。ごめんなさい。それではまた明日!

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