イセキ最初の田植機は4条植のP4A「田植機考古学」

今日も「田植機考古学」です。でも、年表を描いているうちに時間がなくなってしまいました。朝の時間だけではとても足りません・・・

田植機だけに沼が深いです。ごめんなさい。今日もサクッと写真を並べるだけでおしまいにします。いつか必ずスッキリとまとまると思います。

昨日ヤンマーの田植機のスタートを見ていたら、「イセキはどうだったかなぁ」と思い、社史を見てみました。イセキのしタートは切断同時植込み方式の4条植え、P4A型でした。
昨日ヤンマーの田植機のスタートを見ていたら、「イセキはどうだったかなぁ」と思い、社史を見てみました。イセキのしタートは切断同時植込み方式の4条植え、P4A型で、1966(昭和41)年9月完成。1967(昭和42)年1月から試験販売されたが、試験販売のままだったようです

井関農機の社史「井関農機60年史」によると、昭和28年から研究していた成苗の田植機がなかなか困難で、稚苗移植が農村で受入れられそうな機運で稚苗移植の機械を開発することになったそうです。

稚苗移植が農村でも受入れられる見通しになったため、40年8月、稚苗用(土付苗方式)に重点を移し、農機研と共同研究するなど、開発に力を入れた結果、41年9月、当社では初の動力田植機「P4A型」を完成し、一般に発表した。P4A型は、ティラーにセットするアタッチメント方式で、稚苗(土付苗)の紐付苗を使い、重量50kg、4条植え、能率は10a当り1時間であった。

「井関農機60年史」より

さらに読み進めると、どうもイマイチだったようで、マット苗方式に改めることとなり、1968(昭和43)年には生産が打ち切られたようです。

で、そのマット苗用の田植機がPC20でした。

イセキの社史「井関農機60年史」174pに 「■PC20型とフロート式PF20型の開発」としてこのような記述がありました。 当社が田植機に開発大正をマット苗用円筒型に切り替えたことは第4章で述べたが、その試作第一号機が完成したのは昭和43年9月である。市場テストを重ねて商品化を検討した結果、円筒と車輪にナオ改善の余地があったので、基本仕様の見直しを行ない、構造・機能の欠点を是正して、44年7月に「PC20型」として商品構成に加え、45年から試験販売を開始した。 とあります。
イセキの社史「井関農機60年史」174pに 「■PC20型とフロート式PF20型の開発」としてこのような記述がありました。 当社が田植機に開発大正をマット苗用円筒型に切り替えたことは第4章で述べたが、その試作第一号機が完成したのは昭和43年9月である。市場テストを重ねて商品化を検討した結果、円筒と車輪にナオ改善の余地があったので、基本仕様の見直しを行ない、構造・機能の欠点を是正して、44年7月に「PC20型」として商品構成に加え、45年から試験販売を開始した。 とあります。

年表を描き始めたら思いのほか時間が掛かってしまって、歩行型が終ったところでひとまず退散です。続きはどこかで・・・

今日はこれを描いているうちに時間切れです。
今日はこれを描いているうちに時間切れです。

いつも内容薄くてすみません!また明日!

ダイキン・ヤンマー田植機の流れを整理「田植機考古学」

拡大してみます。ダイキン工業株式会社。名前も一緒です。

今朝何となくダイキンの田植機TP21の写真を眺めていました。この場合の「ダイキン」は今もあるダイキン工業のことだと思って、何気なくWikipediaを開いてみると、エアコンや空調のことばかりできれいさっぱり田植機もエンジンのことも書いてありません。

拡大してみます。ダイキン工業株式会社。名前も一緒です。
拡大してみます。ダイキン工業株式会社。名前も一緒です。

「ダイキンという会社は他にも存在していたのか?」これはいったい?と、また旅が始まってしまいました。

しかし、これはあっさり解決して本家本元、ダイキンのWEBページに「ダイキン工業 90年史」というコンテンツがあって、その第二章に大変詳しく書かれているのでした。

それによればこのTP21苗まき機(後に田植機と改名されるそうですが)の行く末、流れて行く姿がとても興味深いので、「ヤンマー100年史」と並べて整理してみたいと思います。


誕生は1965年

テスト中の苗まき機(田植機)TP21型(1965年6月)
テスト中の苗まき機(田植機)TP21型(1965年6月)

ダイキン90年史の年表にはこうあります

1965(昭和402)年 
1月 苗まき機を開発(1970年、田植え機と改称)

ダイキン90年史:年表

おそらく1965近辺から販売も始まっていたでしょう。

1967年 ヤンマー・ダイキンTP21販売開始

農業近代化の歩みを世界へ 「農機事業」というヤンマーのpdfでは、1967 年 5 月にいち早くひも苗式の田植機(動力苗まき機)TP21 を発売したにもかかわらず、市場をマット苗式に席巻された苦い記憶として記されていました。写真はそのYP21(ひも苗式)です。
農業近代化の歩みを世界へ 「農機事業」というヤンマーのpdfでは、1967 年 5 月にいち早くひも苗式の田植機(動力苗まき機)TP21 を発売したにもかかわらず、市場をマット苗式に席巻された苦い記憶として記されていました。写真はそのTP21(ひも苗式)です。

ダイキン90年史の年表にはこうあります

1967(昭和42)年
2月15日 ヤンマー農機と苗まき機の販売契約を締結

ダイキン90年史:年表

ヤンマー100年史にもその記載があります。

田植機は1967(昭和42)年2月、ヤンマー農機がダイキン工業株式会社と販売提携を結び、5月に同社が開発し「苗まき機」と名づけられた動力田植機TP21 の販売を開始した。

ヤンマー100年史P78

1971年 ダイキンは田植機をヤンマーに譲渡

ダイキン90年史の年表にはこうあります

1971(昭和46)年
11月29日 ヤンマー農機と田植え機の製造技術・設備の譲渡契約を締結(十二月十六日、農機部門を閉鎖)

ダイキン90年史:年表

また、ダイキン90年史本体には・・・

ヤンマー農機から苗まき機の製造権譲渡を申し入れられたのを機に、七一年、ついに土屋義夫は農業機械業界からの完全撤退を決断した。約四〇〇もの特許・実用新案を含む、製造権・ノウハウ一切をヤンマー農機に譲渡したのである。

ダイキン90年史P65

このことについて「ヤンマー100年史」には記述はありませんが、その先のことが書いてあります。逆にそれ以降「ダイキン90年史」には農機の記述はなくなります。

1972年 ヤンマーマット苗式田植機発売

ヤンマー初めてのマット苗式田植機AP2(写真はFacebookより)
ヤンマー初めてのマット苗式田植機AP2(写真はFacebookより)

ヤンマー100年史によると

1970 年まで田植機では過半数のシェアを占め、他社をリードした。しかし、ひも苗式は手数が多いことから農家に敬遠され、やがて散播・マット式が主流となっていったため、ひも苗式田植機の売れ行きは落ち込んだ。

このため、ヤンマー農機は1972 年2月からダイキン工業、神崎高級工機製作所と共同で、散播・マット式田植機の開発に取り組み、同年12 月にAP2、1973 年8月にYP2 を発売した。

ヤンマー100年史P78

ダイキン工業の社史には記載がありませんが、ダイキン工業は1972年にはまだ田植機に関わっていたのですね。

農業近代化の歩みを世界へ 「農機事業」というヤンマーのpdfでは、1967 年 5 月にいち早くひも苗式の田植機(動力苗まき機)TP21 を発売したにもかかわらず、市場をマット苗式に席巻された苦い記憶として記されている田植機部門。同PDFには『1972(昭和 47)年 2 月にヤンマー農機、ダイキン工業、神崎高級工機の3社技術陣で新たなプロジェクトチームを結成して散播・マット式田植機の開発に取り組み、同年末には AP2 を、翌 1973 年8月には YP2 を発表した。』と書かれています。また、ヤンマー100年史にも同じく『田植機「伊吹」YP2、YP4を発表』とありますので、誕生日は間違いなさそうです。そして1974年。他社に出遅れた分、感性に訴えることにしたのでしょうか。カタログはおねえさん少なめ、風景が多めになっています。
そして以前紹介したこのYP2は1973年8月発売でした。

札幌農学校第二農場で見たあの田植機が、なぜ「ダイキン・ヤンマー苗まき機TP21」という名前だったのかようやくスッキリとわかりました。

でもなんだか時間がかかった割には実りが少なかったなぁ・・・急いでやったので穴だらけです。今日はここまでですが、明日も続けてもっときれいに整えます。

それではまた明日!