佐藤造機デビッドブラウンDB770/880/990/1200・・・昔のトラクターカタログ

トラクター狂さんに佐藤造機のデビッドブラウンDB770/880/990/1200のカタログを送ってもらいました。今日は「昔のトラクターカタログ」シリーズです。

夏休み前進行でアップアップの僕はこれにすぐ飛びついて、内容薄くお送りします。

米子の児玉さんのDB770も載っています。同じくサトーのカタログ、ST-4000と比べてもおもしろいですね。

880型 2,694cc 47PS/2,200rpm 770型 2,388cc 37PS/2,000rpm 1200型 3,594cc 73PS/2,300rpm 990型 3,045cc 56PS/2,200rpm
880型 2,694cc 47PS/2,200rpm 770型 2,388cc 37PS/2,000rpm 1200型 3,594cc 73PS/2,300rpm 990型 3,045cc 56PS/2,200rpm

作業範囲の広い大型トラクター!

現在はどういう訳だか同じ排気量のエンジンで出力が違うものを載せてラインナップに上げていることが多いですが(エンジンの種類が少なくて済むのかな?)、この4種には全部排気量の違うエンジンが載っています。

画期的な油圧機構を装備!!

DBトラクターのセレクタマチック油圧装置は、スイッチを軽くまわすだけで、4種類の油圧作業の選択ができる画期的なものです。このセレクタマチック油圧機構の開発によって、従来、複雑であった油圧操作は完全に解消され、だれにでも簡単に油圧操作が行えます。また、世界各国のあらゆる条件に耐え、その高性能が実証されたDBトラクターは、日本の土地条件に最も適した唯一の大型汎用トラクターです。

とあります。

990型だけ斜めにこっち向いているのがかわいいです。

こんなロゴだったんだなあ

時代を感じさせられる佐藤造機株式会社のロゴ。時間を見てちゃんとトレースしたいです。同じくアルファベットのほうも・・・
時代を感じさせられる佐藤造機株式会社のロゴ。時間を見てちゃんとトレースしたいです。同じくアルファベットのほうも・・・

耐久力のある経済的なエンジン!!

佐藤造機のデビッドブラウントラクター昔のカタログ。
佐藤造機のデビッドブラウントラクター昔のカタログ。

耐久力のある経済的なエンジン

エンジンの弁機構は、クロスフローシリンダヘッド型を採用。しかも、クランクシャフトのメタルは、重負荷作業にも十分耐えられる大口径(6.35cm)のメンベアリングを採用しているので、どんな悪条件の作業でもラクにこなすことができます。

とあります。

メンベアリングって何だろう。メインベアリング?面ベアリング? メタルと言うんだから、ボールベアリングではないのでしょう。調べてみるとすべり軸受のことでした。63.5φとはでかいなあ・・・

昔の人は機械の故障にも強かっただろうから、こういう謳い文句も胸にググッと来たんでしょうね。

トラクター狂さん、貴重なものをありがとうございました。

上の記事とゆるく関連しているほかの記事:

“佐藤造機デビッドブラウンDB770/880/990/1200・・・昔のトラクターカタログ” への622件の返信

  1. andoさん 夜が明けてきました、おはようございます。
    印旛沼角来工区のスーパー大区画田へは、andoさんの会社からは、京成電鉄で10キロ位の所にあるでしょう。日本一の大型たんぼが首都圏の通勤電車の車窓から見られる。しかもそれはGPSや地下灌がいを駆使してのハイテク水田と云うことです。大型トラクターが稼働中だったとのこと、おそらくオペレーターは耕作者が変わっていなければ、Sさんと云う人です。
    このスーパーたんぼを、成田へ行く途中、車窓から見えると言っても、他の四人は全く聞く耳持たずでした。
    飛行機の出発時間が許せば、一時間位見て言ってもよかったのにとも思いました。前日スカイツリーに、高いお金で登るより、こちらの見学の方が農家にとっては、余程有益です。北伊ばかりが大型米作では無いでしょうにーー

  2. noraさんhokkaidoujinさん
    お早うございます。
    こちらは日中は18°前後ですが朝夕8°前後で風強いです。
    hokkaidoujinさん 早トチリでした。理解いたしました。
    報告です。今日佐倉市より帰宅途中、先の「印旛沼角来工区の大区画田」寄りました。
    ところが4日から24日まで「佐倉チュ-リップ祭り」開催中で京成の側道は走れましたが中に入れずでした。

    多分成田へ向かう途中「印旛沼角来工区の大区画田」通過時に風車が見えたと思いますが、。

    佐倉市の案内書では「スーパー水田」。ひどい名ですね・・。もうちょっと先人の苦労を偲びいい名前を付けてもいいのではないか・・とおもいますが・。

    「後楽園球場の1.6倍 日本一の水田」とありました。

    大型トラクターが作業中でしたので寄ろうとおもったのですが通行止めの為近寄れずでした。

    公園やサイクリング道路、浄水場が出来ていましたので当時とは様変わりしていそうです。

    今月末に佐倉市内に行きますので再度寄ってみます。

  3. noraさん
    355ヘクタールは355アールでした。
    355ヘクタールもあれば、日本一の米農家です。
    10アール当たり15000円位でしょうか
    春早く出来てよかったのですが、少し残っていた工事が今朝の積雪(3センチ位)で、中止になり残念。

  4. hokkaidoujinさん おはようございます

    355haで50万円位

    355ヘクタール?35.5ヘクタール?
    どちらにしても重機を回送してやってもらってそのくらいなんですか・・・
    高い機械を使ってウン百万というイメージなので、思ったよりはリーズナブルな感じです
    (もちろんそんなお金があるわけではないですが)

  5. andoさん おはようございます

    広域農道、大洋や鉾田にもあると思いますが、「どこ」といわれても思い出せません
    (なにせ広域農道はなにも目印がないような田んぼの中や山の中を走っているので・・・)

    農免道路、ウィキペディアで調べてみました。

    農免農道
    通常ガソリン(揮発油)の取引には揮発油税がかかるが、農林漁業用機械に消費されるガソリンについてはそれを免除することになっている。しかし、取引の際にそのガソリンが何に使われるのかを確かめるのは現実的ではないため、農林漁業用機械に消費される分の揮発油税に相当する額を財源として道路を整備することで、揮発油税の免除に代えている。この事業を「農林漁業用揮発油税財源身替農道整備事業」と言い、その道路を一般に農免農道(農免道路とも)と呼ぶ[3]。

    農林漁業用揮発油税財源身替農道整備事業による農業用道路(農免農道)ということで、道路を造るのは農林水産省の事業なんでしょうねえ・・・

    揮発油税を免除する代わりに道路を作るということですが、確か農業用の燃料はある程度免税じゃなかったでしたっけ?(あー政治の世界は複雑だ)

  6. andoさんへ
    1、「ブルドーザーで作業」はブルトーザーで小さいたんぼを大型化する(委託)作業です。
    2、「農業機械が走行出来る3m幅の畦道造成」ではなくて、「人の歩くアゼを両端を3m欠いて」圃場内の大型機械が中小区画のたんぼを連続して作業できるように造成です。
    3、「広域農道」は作業用農道では無く、生産物を輸送し易くする目的で整備された道路かな?。
    (3については、ちょっと自信がありません。農免農道と言う物もありますが・・・。要ネット検索)
    ご理解頂けましたか?、又あした

  7. noraさんhokkaidoujinさん
    お早うございます。
    WI-HIが不具合のまま何とかしています。hokkaidoujinさん
    「ブルトーザーで作業・」・「なんでブルが・」・と思っていましたが理解できました。
    「農業機械が走行出来る3m幅の畦道造成」の為と想像しています。

    そういえば千葉県のあちらこちらに「広域農道」と名のついた立派な道路が沢山あります。
    有名なのは「東総広域農道20Km」昨年完成?の「館山広域農道29KM」
    一般道路と変わらぬのになんで「広域農道」と名がついているのか・・漠然と考えていましたが理解できました。
    機械化が進むにつれて「農業機械の為の道路」が「農業機械の作業効率を上げる為にはどうしても必要」となったとのことですね・・。
    noraさん大洋村か鉾田近辺にも広域農道ありませんでしたか?・。迷い込んだことがあります。
    「1枚の田んぼに2台のコンバイン!」素敵な作業風景でした。親子でいいですね。

  8. noraさんへ
    全く同じ方法だと思います。
    条件が許せるなら、この方式で何枚もの水田を連結して何㏊もの大区画化が可能という訳です。
    今日で工事は、ほぼ完了となりました。好天続きで一応条件は最高でした。355haで50万円位かかったでしょうか?
    うーん 支払いがたいへんです

  9. hokkaidoujinさん お返事ありがとうございます

    やっと理解できました

    そういえばこちらの田んぼはちょうどそんな風に畦畔を切って作業していました

    『稲刈り2014、1枚の田んぼに2台のコンバイン!』

    『稲刈り2014、1枚の田んぼに2台のコンバイン!その2』

    確か、両端は切っていなかったと思います
    だから草刈りは切ってないほうからできますね
     
     

    わかりにくいですが、コンクリートの畦畔が一枚ありません
    もしかしたら、水を入れるときは簡単な土の畦畔くらいはあったかもしれないので
    hokkaidoujinさんの考えたものとは少し違うのかもしれませんが・・・

  10. noraさん おはようございます
    そうです30センチじゃなく、3メートル位(代掻きロータリの作業幅位)切ります。これで中区画田でも大区画並に、あらゆる作業の能率が上がりますし、大区画田の欠点である波立ちの緩和や、中央部の観察、散粒機等での小農具作業も可能です。唯一問題があるのは、畦畔の草刈りです。水の入っている3メートル分、またいで向こう岸の畦にいかなければなりません。特に自走式や手押し式の草刈り機はぬかるむ水田の中では、走行できないのはが難点です。
    こんなわけで、良いことはいっぱいなのですが、たんぼを作ってない農家が何を言っても賛同する農家は、いませんでした(10年程米を作っていなかった時期)。
    しかし水田の大区画化を設計している人も、おそらく米作農家ではないでしょう。農家の経験によるアイデアより、非農家の専門家(官)の言うことは理解する。
    明治の開拓初期の「百姓もやったこともない、役人が何を言うか」から
    変わったものです。官と民の齟齬の解消でしょうか?
    さて、ブルドーザの音が聞こえてきました。雪解けと乾燥は早い春ですが、今後の天候は不順なようです。今日一ぱいで工事完了になってもらいたいです。

  11. hokkaidoujinさん おはようございます

    あ!もしかして、「畦畔の両端を切る」とは、機械が通れるくらい切ってしまうということでしょうか?
    僕は30センチくらい切るだけかと思って「どういう利点があるんだろう」とずっと考えちゃってました。

  12. noraさんへ
    「変形大型大区画水田」は畦畔の両端を切るだけ
    なのですか?
    高低差が10cm以内であれば、田植え後は畦波シートで区切ればうまくいきます。出穂落水後に撤去すれば、収獲機械も能率よく使えます。

  13. hokkaidoujinさん おはようございます

    ここのところ忙しくてhokkaidoujinさんのコメントを「読むだけ」になってしまっていますが、きっと僕以外にもこっそり(こういう場所ですからこっそりとは言わないですね)読むだけの人がたくさんいると思います。
    ところで「変形大型大区画水田」は畦畔の両端を切るだけなのですか?もし、それらの田んぼのレベルが微妙に違う場合、水深が不均等になってしまうように思えるのですが・・・もちろん米作も畑作もやったことがないシロウトの考えですが・・・

  14. andoさん おはようございます

    コメントはアップされるまで時間がかかることがあります。ご了承下さい。
    匿名さんになっていましたが、もちろん誰が書いたかわかりました!

  15. 世紀末的変形大区画水田は、農文教の紹介記事の二段下にある、1995年の三月号の「畔を残したのはナゼ?」にイラストがあります。既存の50a区画の水田をあぜの両端を切って4枚連結して200a区画と同じ能率が上がるというものです。しかし大区画水田の欠点はすべてクリアしているハズです。
    noraさん 当方は所有耕地は20㏊と借地が10㏊の計30㏊を耕作しています。うち水稲は食用米・飼料米併せて15㏊程で他は麦・大豆・飼料燕麦等をつくっています。
    私見ですが当地区では米・麦・大豆作なら、家族労働者1人に付き10㏊が必要と思われます。うちでは私と家内の2人で20haあれば良いのでしょうが、耕地がやや中山間の傾斜地である為、転作・畑作に難儀しています。
    中山間耕地は条件不利地帯の認定も受けている水田も耕作しています。しかし明治の開拓当初は中山間耕地は一等地だったと父は言っていました。
    それというのは、当長沼町は先の初代村長吉川鉄之助が明治20年に足を踏み入れたのですが、道都札幌市に近いのに、開拓が20年もなおざりになっていたのは、町名の通り長い沼、つまり低湿地帯・水害常習地帯であったからです。我が家の初代は、開村6年目の入植だと聞いていますが、当時は水害の恐れが無い丘陵地で、かつ毎日の飲料水が得られ、飯米用のコメが作れる澤水が得られる場所が一等地だったというわけです。当初の一等地は現在の条件不利地帯です。しかし稲作は地域でも先駆的に行なっていて、父(3代目)も小さいころから、食事は毎日コメのご飯だったと威張っていて「転作なにするものぞ」と言う人物でした。それが私の代になってから、米価安と家内の入院で全耕地休耕(全転作)し10年近くも、稲作に無縁の期間がありました。
    ところが水の湧く条件不利地帯でもある、我が耕地では畑作物は思うに任せないものでした。先駆的に米を作っていたと自負していた先祖は、米作りを辞めてろくな畑作も出来ない駄農の4代目を、泉下でどう思っていたことでしょう。世間でも「大型水田のアイデアがある」といっても「米も作っていないやつがなにを言うか」と言う感じだったでしょう。一度楽をするとなかなか元の経営に戻れないものです。もう二度と米つくり農家には戻れないものと思いました。それが青天の霹靂か、数年前に飼料米という作付制度が示され、一気に稲作に復帰したと云う話です。ですから60を前にやっと満足にいく農業?をやれたというところです。
    長文になりました。お休みなさい。

  16. noraさん andouさん今晩は
    匿名さんはandouさんですね、新しい投稿者かとおもいました。あまり手前みそばかり述べて、自分のブログみたくなっちゃいまして、すみません。
    1㏊程度の水田なら、当地区の土地改良区の普通の水利条件では、無理無く代掻きの水は入ります。代掻きのうまい農家なら、難なく均平にできます。(私は、上手では無いですが)最近はブルにレーザー指示器の付いた物や、トラクター用のレーザーレベラーで均平にします。
    しかし1枚5㏊にもなると、造成が出来たとしても、既存
    の水利施設では、入水がスムーズには行かないでしょう。大区画水田は一時に大量に水が必要になる為、入水口がいくつもあるはずで、水利施設増強も考えなければなりません。私が以前言っていた世紀末的「変形大型大区画水田」は、水利が既存のままでも無理なく入水出来、レベラー等無くても均平が楽に出来るものです。

  17. noraさんhokkaidoujinさん
    今晩は。
    すみません昨日1度投稿したのですが失敗。気を取り直して2度目に挑戦 2度目も失敗したと思いましたが匿名で・・投稿済でびっくりしています。
    どうも名前とメール名記入しないまま送信したみたいです。

  18. noraさんhokkaidoujinさん
    お早うございます。
    hokkaidoujinさん以前話して頂いた新しい水田造成中との事・・それも大区画田に。
    1区画150m×60m位との事ですが個人でどうやって水田に必要なまんべんなく区画全般に水が回るようにするのは大変ではありませんか・・。
    方法が想像つきません。思い当たるのは田植え前に親父が馬に板を引かせて水平にしていた記憶です。

    noraさん 水田でトラクターが駆動中ですか?。
    千葉はトラクターがあちらこちらで駆動中。
    千葉県夷隅郡白子町では玉ねぎの収穫中。
    以前に投稿した大根の種まき現場先日寄りましたらビニールハウスは既にとり払われて今月末には収穫されそうです。早いのに驚きです。
    それと水戸行の件まだ予定立たずです。ダイムラー手こずっています。

  19. noraさんhokkaidoujinさん
    お早うございます。

    hokkaidoujinさん以前話して頂いた新しい土地購の造成中との事。
    4分割に内1区画が150m×60m位との事、
    これを水田にするには・・・。
    この広さを水田に必要な「水平にして全部に水がまんべんなく回る様にする」にはどのような方法で対処するのでしょうか?。素人の疑問せす。
    ブルやトタクターで水平にするには無理とおもいますが
    ・・・。。
    印旛沼角来工区の大区画田が60年代に成功していますので出来るのは間違いないでしょうが・個人では・・? 。
    昔の記憶ではレーザー光線を端から端へ巡らせて・・等の記事が有りましたが・・。

  20. noraさん 今晩は
    100m×100m=100a=1ha≒一町歩です。
    造成中の水田は150m×60m位でしょうか
    北海道の稲作地帯では、昭和40年代後半から区画整備が進みましたが、当時の一区画は50a区画が標準だったとおもいます。たまに1ha区画の田もありました。
    それが、平成十年代になってガット・ウルグアイラウンド対策の一環として1ha区画以上の大区画田が造成されたようです。印旛沼角来工区の大区画田は、造成されたのは、昭和60年代だったはずですが、その時将来の米自由化を見越しての先駆的事例だったのでしょう。
    平成五年の大凶作の年、細川内閣はガット・ウルグアイラウンドを受け入れたのですが、その時同時に角来工区の大区画田を盛んにPRしていました。(=二十一世紀型スーパーたんぼ。しかし大区画化しても、国際価格並みには、コストは下がるとは思っていませんが、作業能率は上がると思います)
    その平成五年の大凶作の年、近くの農業試験場でもガット対策として課題に挙がっていました。

  21. hokkaidoujinさん おはようございます

    規模は、355アールを四分割の、一枚100アール未満ですから、それ程でもないです。

    ???
    とはいえひとつほぼ1ヘクタールですよね
    100m×100mで合ってますか?
    もうそのくらいの大きさになると想像できません
    全部でどのくらい作っているのでしょう・・・すごいです

  22. noraさん andouさん
    今年の春は、例年になく雪解けが早く、もう殆どの
    田畑はロータリーがかかるほどです。
    今は昨年買った水田に、ブルドーザーを入れて大区画田に造成中です。
    規模は、355アールを四分割の、一枚100アール未満ですから、それ程でもないです。角来工区にはおよびません。
    しかし、早い時期に良い条件で、工事が出来てラッキーです。

  23. noraさんhokkaidoujinさん
    お早うございます。
    大区画水田「印旛沼角来の大区画水田」の件、わかりました。
    先日お逢いした時に話していただいたのがこの場所。
    たまに印西や安食へいきますが帰り道に角来近くの公園から京成線路と水田の間を走行・・経験あります。
    「えらく大きく区画された水田と・・」思いつつ・・・。これが「大区画水田」のはじめとは・・。
    この水田の隣の公園では近年景気が悪くなり中止となっていますが佐倉市主催の「佐倉国際花火大会」行われていましたのでよくいきました。

    「馬追原野」を読む前にと思い先日送っていただいた資料の中に入れていただいた2枚のDVD昨日再度拝見。
    当別から江別、江別の製紙工場・その先に旧夕張川を挟んで南幌町と長沼町。
    旧夕張川の洪水に対する悲惨な歴史を再認識しています。
    「夕張川を直接石狩川へ」・・構想から完成まで25年。

    母がまだ元気な時に南幌町の温泉施設に何回かいきましたが当時の感想は「肥沃な大地でよく区画整理されていて稲作はもちろん農作物が豊富で安定した農家の方の生活圏」と言う感想でした。
    「洪水との壮絶な闘いが明治から昭和中頃迄」あったとの事、勉強不足でした。当別では洪水の経験は全くありません。

  24. noraさん おはようございます。
    印旛沼角来工区の大区画田に関しては、「我が闘争???」じゃ無かった「我が農業革命(兼坂祐著、元印旛沼土地改良区理事)」に詳しく書かれてあります。
    著者は現在一〇〇歳にならんとしている方です。書かれたのは三〇年程前ですが、当時は巨大たんぼなんて外国のド田舎にしかないものと、思っていました。それが首都圏の通勤電車の車窓から見られるなんて、驚きでした。今は大区画整備は北海道でも行われています。

  25. hokkaidoujinさん おはようございます

    当時見た印旛沼角来の大区画水田、今も残っているのですね
    五ヘクタールというと想像もつきませんがどんな大きさか見てみたいです
    ・・・と思ってグーグルを見たらそれらしき感じのものがありました
    確かにでかい!

    https://goo.gl/maps/Twib4V5H7mk

  26. andoさん おはようございます

    noraさん環境保全会のブログいくつありますか・・。

    これ、2つの意味に取れますね

    この「水戸市大場町・島地区農地・水・環境保全会便り」について記事がいくつあるのか?というご質問なら
    毎日記事を書いていますので(https://oba-shima.mito-city.com/を入力すると最新記事です)、トータルで2200記事ほどあります

    ページの両脇のリンクや、一番上のリンクから飛べますし
    ちょっと見にくいですがサイトマップには記事すべてのタイトルとリンクがあります

    それから、環境保全会と名が付くサイトがいくつあるかというご質問であれば
    このような名前は大抵「多面的機能支払交付金」を受けて地域の農村環境の整備をするという団体ですから
    これも全国に相当数あってブログなりHPなり相当数できていると思います

  27. noraさんandoさん こちら北海道は曇りですが、うっすらと明るくなりつつあります。もう昼と夜が等時間になっているんですネ
    世紀末的変形大区画水田は印旛沼角来の大区画水田(二一世紀型スーパー大区画たんぼ)を視察して、思い
    至りました。印旛沼角来へは、一九八九年と九四年の二回行きましたが、当時は印旛沼地区の五ヘクタール以上の巨大水田などは、一般農家の常識の外にあった情報でした。そこで二一世紀になる直前の数年間でも、水田の大区画化は簡単に出来ると云うアイデアを提唱したところです(ネーミングだけかな)。二月の北伊旅行の時、浅草から成田まで行く道すがら、二〇年程前に視察した大区画田を、京成電鉄の車窓からながめました。当時は二トンのボロダンプで行ったものですから、京成線にすれ違った際には、乗客はどう思った事でしょうか?
    それが今度は、乗客になって巨大水田を見ることになりました。しかし京成線に乗ったのは私だけで、他の連中はスカイアクセス線で成田に向かいました。(二〇〇円高いのに}。途中andoさんの会社も、実籾駅を過ぎた西松屋の陰からみえました、

  28. noraさんhokkaidoujinさん
    お早うございます。
    hokkaidoujinさん変形大型大区画水田」「農文教」の
    サイト検索しました。
    noraさんの「独創性! 北海道の開拓精神に独創性が加われば鬼に金棒ですね!」に同感です。「
    hokkaidoujinさんの「北海道開拓史の研究」や「開拓に携わった方々の研究」又、「農業の改革」や「将来を見据えての展望やチャレンジ精神」「農業機械の改造」等・・・まだまだ意欲が旺盛・・。それとまだ健康で若い。
    北海道の農業は鬼に金棒ですね。

    noraさん環境保全会のブログいくつありますか・・。
    農業に関する色々な事例が公開されていてびっくり。
    懐かしいブログや現在の農業を取り巻く状況が良く分かります。

  29. andoさん おはようございます

    家にくるコピー屋さんは「仕事で使っているPCは絶対ウインドウ10にアップグレードしないでくださいね」と言ってました
    トラブルが多いみたいで仕事に支障が出るからだそうです
    せっかく安定しているシステムをわざわざ不安定にすることもないだろう・・・ということのようです

  30. noraさんhokkaidoujinさん
    お早うございます。
    このところウインドウ10の勝手なアップデート後
    、ネットが不調です。この4~5日ダメ。
    今日は何とか繋がっていますがルーターよりの受信感度が
    変化し断線状態が続いています。
    すいません頑固な素人が格闘中。  Ando

  31. noraさん
    大したアイデアじゃないです。秋に北海道に来られた時にお見せしたいです。農文教のサイトには他のものもあります。
    又、手前みその悪い癖が出ました。悪しからず。

  32. hokkaidoujinさん おはようございます

    独創性! 北海道の開拓精神に独創性が加われば鬼に金棒ですね!

    「変形大型大区画水田」検索してみました
    どういうものかは現代農業を見ないとわからないのでしょうか?

  33. andoさん おはようございます

    平成2年のダイムラーW6!
    知らない車だったので調べてみたら見たことはありました
    ダイムラーW6っていうんだ・・・
    これもトラクター並みに貴重になりつつありませんか?

  34. 追伸
    世紀末的「変形大型大区画水田」を検索してみて下さい。農文協に提案した珍発明がでています。????

  35. noraさん
    私の工房は、ホントに褒められたものではありません。
    しかし独創性だけは、持っているつもりです。
    ですから、たまにヒットしたものができれば、良い気になっているだけです。
    andoさん
    「馬追原野」は当町の図書館開設記念に町民に配布されました。探してみて出てきましたら、お送りいたします。私は「石狩川」を完読できていないので、気まずいのですが、

  36. noraさんhokkaidoujinさん

    御騒がせいたしました。体調は一段落です。

    3年前 の大病で懲りていたはずなのに・・。
    3月3日に20年来のお客兼主治医に診察をと・・訪問。
    レントゲンによる肺炎確認・インフルエンザ検査紙のテスト等問題無し。
    熱37°。 血圧129と73.で問題無し
    されど 喉に痛みと痰あり・・・鼻に炎症と鼻水あり

    一番ひどいのは頭痛で思考能力低下でパソコンの文書が打ずです。
    主治医は単に扁桃腺炎症と花粉症。

    hokkaidoujinさん 「馬追原野」 アマゾン・ブックオフ等の販売ルートにはありませ。検索等で苦戦中です

    noraさん先日水戸より預かり車は 平成2年のダイムラーW6 ステアリングギアボックス異常でこれも苦戦。
    水戸に伺うのは少々時間が・・・。

     風邪で苦戦中10日間での一番ニユース。

    平成1年8月新規登録のミニ1000メイフェア 
    15000 KM が私の手元に入荷。
    私が販売しメンテナンスしながら27年経過
    他人様に転売はせずわたしが後を引き継ぐことに・・。

    27年前、営業部長当時にご夫婦で来店されたお客様。御主人は免許無く奥様の買い物用に購入いただいた車です。
    趣味の車が入荷ですがご褒美となるか負担となるが・・。             
     
    ローターリーエンジンの記載有りましたね ・・。
               仔細は次回で   ANDO

  37. hokkaidoujinさん おはようございます

    ずーっと右肩上がり・・・というのが理想ですが
    どんな仕事も波がありますから仕方がないですよね

    今日は、飼料稲用のダイレクトカット方式のロールベーラの製作です。いつになったら出来るかはわかりませんが、二台の機械の合体です。

    小さい頃、学校の帰り道に陶器の人形の工房がたくさんあって、それをいちいち眺めて帰るのが好きでした
    季節や干支によって作るものも変わって飽きないんです
    きっと子供たちが集まってしまうような工場なんでしょうね

  38. noraさん 真夜中にこんばんは

    農業と営業の二本立て
    大きな木が二本あると安心ですね

    大木が二本,そういう時期もありましたが(本当に)
    今は、大木どころか枯れ木状態です。
    農業はまあまあですが、営業の方はひどいもんです。
    その分、課税が食い込みですから、節税対策でしょうか?
    今日は、飼料稲用のダイレクトカット方式のロールベーラの製作です。いつになったら出来るかはわかりませんが、二台の機械の合体です。

  39. andoさん おはようございます

    これって「ひどすぎません・・・・・?」
    どちらだとおもいますか・・。

    失礼ながら笑ってしまいました
    風邪をひいても犬の散歩はがんばってやった
    風邪のときぐらいおとなしく安静に・・・
    どちらも正しいですよね?向きが違うだけで・・・

    hokkaidoujinさん おはようございます

    この時期は本当に納税の話でもちきりです
    農業と営業の二本立て
    大きな木が二本あると安心ですね
    僕などは雑草が何百も生えているようなもので
    帳簿は結局一緒くたです

  40. andoさん 
    お体には気をつけてください。持病の悪化ではないのですか?。
    お互い健康が第一です。十分休養を取ってください。
    noraさん
    確定申告は昨日、税理士に関係書類を預けにいきました。農業と営業の二本立て経営なものですから,(二重帳簿?)ある程度、整理と仕訳が必要なわけです。
    これで今日から、再び機械の製作と展示会三昧です。

  41. noraさんhokkaidoujinさん
    お早うございます。
    ゴホゴホ言いながら帰宅し「犬の散歩だけは・・」と
    頑張ったのに
    私より後に帰宅した家内曰く「そんな状態で近所出歩かないで・・・。」のキツイ一言。
    これって「ひどすぎません・・・・・?」
    どちらだとおもいますか・・。これから寝ます。 ANDO

  42. andoさん おはようございます

    最近の風邪は油断できないですよね
    お大事に!

  43. noraさんhokkaidoujinさん
    お早うございます。
    3月1日から風邪気味かなと軽くみていららひどい目に。
    まだ本調子ではないので2~3日後に。  ANDO

  44. hokkaidoujinさん おはようございます

    60を過ぎた、農業青年(老壮年)が、朝まで生(ビール)討論でした。

    うまいこと言いますねえ・・・
    最近は来る人来る人確定申告の話題です
    なぜか「早いうちに終わった」という人がいないのが申告
    お金にならないどころかお金を払うための仕事ですからそうなっちゃいますよね

  45. noraさんandoさん
    60を過ぎた、農業青年(老壮年)が、朝まで生(ビール)討論でした。
    一夜明けて明日まで、税務申告で深刻です。
    パソコン簿記ですが、どうしてもネット優先になりがちでハカドリません。

  46. hokkaidoujinさん おはようございます

    朝まで飲み討論会!!
    タフです・・・
    僕には前もってウコンを飲んでいたとしてもとてもできません

  47. noraさん、昨日は麦集荷業者との研修会でした。
    今は朝まで、飲み討論会です。
    holderは、御指摘の物とおなじです。
    ピカピカにして展示するといっていました。
    当時の販売元もヤマト種苗といっていました。

  48. hokkaidoujinさん おはようございます

    ホルダーの耕耘機ですか!
    ↓これですね

    https://oba-shima.mito-city.com/2015/06/02/holder_handotractor/

    ロータリーエンジンも作っていた変わった会社SACHSのエンジンが載っているみたいですね
    こどもの頃買えなかったものを大きくなってから手に入れる
    (この場合はオヤジさんの買えなかったものですが)

    すごくわかります

    きっと感慨もひとしおでしょう
    もちろん性能は今のものに比べてあまり良くないのでしょうが
    気持というものは易々と性能差を埋めてしまいますよね

  49. 再訂正
    furgieはfergieの間違いでした.
    こんなんで、よくアルファベットの国へ行けたものです?
    こちら、北海道の今日の天気は、数年に一度の猛吹雪と
    いうことです。しかし風も無く、曇っているだけです。どうなるのかな????
    noraさんandoさん 先日十勝の友人が、六十年前の
    ドイツ製のholderと云うハンドトラクター(耕運機)を見に来ました。holderは土の舘にもありますが、隣町の
    岩見沢農高時代の同期生の家で使っていたものです。
    外装はかなり錆びていて、動かどうかわからない状態で骨董的な物でしたが、十勝の友人はどうしても譲ってほしいと云うことで、売買の仲介をしました。
    なんでも、自分が中学生の時に親父さんが買うことが出来なくて、残念がっていたのですが、父親が買えなかった物を、息子が七十過ぎになってから買うことができたので、感慨ひとしおだということでした。十勝オールドトラクターの会員なので、展示参加すると言っていました。家に帰って父親の仏前に報告するとも言っていました。何だか良いことをした気分でした。
    andoさん「馬追原野」は、女流作家(辻村もと子)が書いた開拓物語ですが、ハローやカルチベーターやリバーシブルプラウ等の外来農具の名前がポンポンでてきます。

  50. andoさん 先日は電話ありがとうございました
    次回、うまいこと時間が合うといいのですが
    来水の際のお電話お待ちしています

  51. noraさんhokkaidoujinさん
    お早うございます。
    確定申告計算終わったと思っていたら月末。尚且つ、22日鴨川往復190kmで25日は再度鴨川往復190KM、27日水戸片道140KM。飛び回っています。
    noraさんに逢えず残念。今日の車は調子悪く途中故障でもしたら大変なので鹿島・潮来51号で帰社。
    3月中頃再度水戸にうかがいます。
    お逢いできれば幸いです。
    hokkaidoujinさん「馬追原野」注文中です。読みましたら報告します。              ANDO

  52. 訂正
    furgeiはfurgieの間違いでした。ここにも赤DBがでてきます。

  53. noraさんandoさん 真夜中に今晩は
    北伊の旅から帰って十日目、機械のパーツと昨年産のそばが売れました。これで旅行代が,何とか工面できました。
    ところでtraktor tom を検索してみて下さい。幼児向けのキャラクター動画がみられます。トラクター版機関車トーマスです。メインキャラクターはやっぱりデビッドブラウンの赤です。関連したものにfurgeiもあります。

  54. andoさん おはようございます

    確定申告・・・うちでもまだやっていません
    がんばってください!
    僕は奥さんに任せちゃってますけど・・・

  55. hokkaidoujinさん おはようございます

    イタリアと日本、色文化比較ありがとうございます
    足で稼いだ感覚、とっても興味深いです
    毎日リゾットはちょっと難しいので、日本ほどたくさん米を食べるわけではなさそうですね
    日本食、家庭ではあまり食さないとなると、日本の食材は日本食レストランなどで高く買ってくれそうです

    それと、確かにcaron-tractorおもしろいですね!
    「これなら僕も欲しい!」と思ってしまいました
     
     

  56. noraさんhokkaidoujinさん
    おはようございます。確定申告でてこづっています。
    計算合わず大変。
    先日2014年ヴェロナ展の画像と動画見ましたが凄すぎて・・。caron-tractor画像ど動画拝見。
    色々な状況に対応できる面白い機械ですね。
    ウニモグは湯沢スキー場の整地や除雪と道路公団が高速道路の側溝の雑草や壁に張り付いたつる草刈に使用していましたが最近は見なくなりました。
    北海道開発局様検索いたしました。
    子供の頃、何時も目にしていた光景・・。
    砂利道の整地や除雪に長いボデーの真ん中に斜めの排土板がついていた自走式機械。良く後をついてみていました。
    名前がわからないですが・・。
    篠津運河も北海道開発局様の施工ですね。
    当別近郊や新篠津近辺の開発は篠津運河から始まったと聞いてましたが・・。
               遅くなりました。 Ando

  57. 追伸
    イタリアには日本で見られないトラクタがありました(ガラパゴスか?)
    汎用性の高い、後部装着三点リンク式トラクターは作業機も多数完成普及していて、満足の行くものだったので、日本では、トラクタは稲作用には特化し無かったのでhq?
    ヤハリ日本の稲作作業から、完全に撤退したのは、外国製普通型コンバインでしょう。
     国によって経営条件が違えば、機械の大きさやタイプも違うでしょうが、 ヴェロナ展で見たcaron-tractorは汎用性があり、興味を持っています。ウニモグと似ていますが、それより全然スマートでした。トラック型トラクターと呼べるもので、水田スプレヤーとして使える事にかんしんしました。ウニモグでも同じ作業はできマスが、caronがメジャーでないのはブランド力でしょうか?
    このような機械を日本の農作業に向くように、改良すれば
    面白いことになると思います。_

  58. noraさんおはようございます
    イタリアの米料理のすべてを、食した訳ではありませんが
    リゾットは美味しかったです。
    欧州の食事は固いパンで水分の少ないものが、にほんで
    言う主食ですので、水分のの多いリゾットは口に合いました。北伊のスーパーで日本米を探しましたが、期待のイタヒカリというこめは無かったです。
    昨年のミラノ万博で日本食が大変好評と聞きましたが、現地の消費者には浸透していないようです。ただトマトやポテトやコーンはアメリカ大陸発見以降の500年来の歴史で、食の主流になったのですから、これからの変化はあるかもしれません。戦後急速にパン食に移行し米離れして、自給率がどうだかとさわいでいたり、この十数年来ビビンバが学校給食の人気No.1の国とも違うようです。

    稲作に特化した機械は、日本独特のもので、田植え機と自脱コンバインは日本発のガラパゴス農機でしょう。
    これをsuckな機械と酷評していたサイトもありましたが!
    このガラパゴス機械は東アジアや東南アジア諸国に輸出されています。
    トラクターに関しては、畑作と兼用でも良いのですから、
    ガラパゴスにはならないでしょう。
    その汎用性で特に良いものは、ヤハリDAVID-BROWNのシステムでしょう。。。。。。。。。。。。。。。。???

  59. hokkaidoujinさん おはようございます

    イタリアでは米をどんな料理で食するのでしょう
    デザートばかりではそんなに作らないでしょうし・・・
    パエリヤはスペイン料理ですしねえ・・・

    そのようなことから、米はかなりマイナーな作物のようなので、展示会では稲に特化した機械は見受けられませんでした。

    ということはやはり稲作に特化した機械は「日本で」ということになるのでしょうね

  60. noraさんandoさん へ
    北伊のロンバルディア平原は、十字軍遠征の戦利品としての中東からの稲作が根付いた所のようです。
    当時はかなり湿地帯が多かったようですが、今は乾陸化してるとのことでした。ミラノからベニスまで鉄道移動でしたが、用排水路は見えても、稲の刈り後は発見できませんでした。ミラノから西のベルチェリは水田ばかりで、日本のような転作田のような歯抜けは無いようでした。(今回では無く25年前に見て来たかんそうです。)
    そのようなことから、米はかなりマイナーな作物のようなので、展示会では稲に特化した機械は見受けられませんでした。

  61. hokkaidoujinさん こんばんは

    勘十郎堀!
    そうですね・・・
    昔の土木工事、まさに「こうだったらいいなあ」ということを実現するという面では
    現在の土木工事の計画と遜色がありません
    それを人力でやっているというのは本当に驚きます
    想像力がないというか、時間が無限にあったというか、人手はタダと思っていたというか・・・

  62. noraさんandoさん へ
    こちら北海道は季節外れの雨降りです。今年は小雪・暖冬ですぎそうです。北伊の旅10日の間にも雪は殆ど降らなかったようでした。帰国日は荒天でしたが、
    北伊の旅で、機械以外で見たかったものに、ダ・ビンチの設計したミラノの稲作灌漑用水路兼運河があったのですが、見ることが出来なくて残念でした。noraさんの説明にも勘十郎堀がありますが、私は昔行われた河川工事にも、興味があります。ダ・ビンチは芸術家だけでなく、発明家でもあり、土木技師でもあったようです。

  63. hokkaidoujinさん こんにちは

    たまたま雪の日に当たってしまったようでしたね

    農機の歴史本は、メーカー別の物も沢山有りました。

    そうなんですね!
    もし行くことがあったらまっさきに探します
    (しかし、いつになるやら・・・)

  64. noraさんへ
    千歳は大雪で、羽田空港から3時間もかかりました。
    途中青森上空で何回も、旋回待機でした。
    農機の歴史本は、メーカー別の物も沢山有りました。
    しかし、以前きた時より機械は出品数が、少なくて精彩に欠いていました。私は変わり種のものが、見たかったのですが
    やはり、国際農機博の本命はSIMA展でしょうか、

  65. hokkaidoujinさん おかえりなさい

    展示会でコンバインの歴史の本を買いました。他詳しいことは、後程。

    そういうものも売っているんですね・・・
    モーレツに行きたくなってきました
    それにはもっと稼がねば・・・

  66. 皆様
    ただ今、帰国したばかりです。
    展示会でコンバインの歴史の本を買いました。他詳しいことは、後程。
    それより北海道は、吹雪きで今日、帰宅できるかどうかデス

  67. hokkaidoujinさん
    FIERA AGRICOLA IN VERONAネットでみました。3日から6日までとの事。凄い規模で112回目とは・・驚きです。
    画像や動画では2014年分しか見れれなかったのですが想像以上の多種多様な小型から大型機械・・・。想像以上の機械進化に驚いています。
    帰国後、落ち着きましたら投稿期待しています。
                        ando

  68. andoさん おはようございます

    水戸にいらしたときはご連絡ください!
    ・・・と言っても何のおもてなしもできませんが・・・

  69. 月末でばたばたしていました。

    noraおはようございます。
    今月末か来月初め水戸に伺う予定で調整中です。
    確定したら事前連絡します。是非寄らせてください。

    クレイソンコンバインの件、北海自動車様の東京支店が品川高輪にあり交流・取引がありました。
    懇意にして頂いた東京支店の同業先輩からの情報で「コンバインが千葉に・・」と教えてくれましたが
    「自走する大型収穫機械」なんて想像できなくて写真みせて頂き納得・・・只々驚くばかり。

    hokkaidoujinさんお早うですか・こんにちわですか・こんばんわですか。

    先日は貴重な時間をさいて頂き有難うございました。
    時間の過ぎるのが早く忙しい思いさせてすいません。

    イタリアと言えば「アグリグループ」の本拠地?。色々なトラクターや農業・酪農機械等の新情報聞かせてください。
           

  70. 皆様
    昨日までは、ミラノ市外観光でした。
    ダビンチ像やドーマ、スカラ座、昨秋の博覧会場等に行きました。最後の晩餐画は、見れませんでした。。(ノーチケットエントランスを三回アタック)しかし聖マリアグラッツエ教会の内部見学は、信徒でなくとも入場えできました。今日午後からは、いよいよ期待のFIERA AGRICOLA IN VERONAです。

  71. hokkaidoujinさん ボンジョールノ!

    すごい時代ですね! 地理差が感じられません
    ただ、現地で手に入れた電話なり、シムではない場合、
    繋ぎっぱなしだと日本の電話会社のローミング代がかかりすぎてしまうのではないですか?

  72. 皆様
    ミラノのホテルにいます。
    ネットが繋がらなくてたいへんでした。
    休ませると、すぐ不通になるので、朝まで
    生ネットです。

  73. hokkaidoujinさん おはようございます

    イタリアですか、ワクワクしますね!
    収穫があることをお祈りしています
    お気をつけて!

  74. noraさんおはようございます
    今日イタリアの農業博にいきます。
    今は東京浅草のホテルです。
    昨夜は、andoさんにあいました。
    あちらに着きましたら、状況をおつたえします。

  75. andoさん おはようございます

    andoさんすごい記憶力です!
    ありました!昭和39年M80です
     
     

  76. hokkaidoujinさん おはようございます

    コンバインは両方入っているかもしれませんね
    このあとニューホランドの新しい小麦コンバインを見たのですが
    このM80とまったく同じ構造なのにすごくビックリしました
    50年前とまったく変わっていないんです

    茨城のスガノ農機、まだ行っていないんです
    近いから行かないと・・・と思っているのですけど・・・

  77. hokkaidoujinさん追伸です

    「kano」みました。3時間あーっという間に・・。
    いい映画でした。なっかしいシーン。牛を馬に替えれば子供の頃の当別のまんま(当別弁)。

    又灌漑用水路に水が流れてくるシーンは春の行事の一つで用水路の枯れ木や泥の除去後、当別川の浄水場でくみ上げた水を幹線灌漑用水路から自宅前の用水路まで追いかけた思い出あり。
    昔を思い出させてくれました。

    「ダムや用水路の建設に・・」「農作物の改良に・・」先人達の功績を配慮しながら感動させてくれました。
             薦めて頂き有難うございました。

  78. noraさんhokkaidoujinさん
    お早うございます。
    千葉に1台のクレイソンコンバイン購入したのは千葉県で現在の千葉県立農業大学校機械化研修科ではないかな・・とおもいます。生きていますかどうか・・?。
    今度、ついでによってみましょう。

    千葉では滅多に見れない大型機械で八郎潟のニユースでは取り上げていましたが
    うーん・・・千葉でそんな大きな田畑あるかな・・?。
    鴨川市の山間部に「日本の酪農発祥地」の記念碑や記念館があり時々寄るのですが大型機械見当たらずです。

    ゆっくりのんびり見る機会が有りません

      茨城県にはスガノ農機の工場がありますが、
    、トラクターの館・第二展示場があるようです

     noraさん如何でしょうか・・?。期待しています

    別件ですが1つ思いだした事があります。昭和40年前後まで道路交通法で白と赤は登録不可。
    (この記憶不完全かも・・。)
     理由は白は救急車専用・赤は消防車専用との事。

    トラクター事業撤退後の第一歩が車両課の登録業務。
    当時は封印委託など無い時代ですべて所轄陸運事務所へ搬入検査・登録。通関証明と車体番号確認、違いや不鮮明あれば陸事内で職権打刻。
     例えば 「東000東」「千000千」等。

    ボデー色でかなりすったもんだした事があります。
    輸入車の白は救急車の白より少々黄色等(パールかがった白)が入っていましたのでOK.赤も然り救急車の赤より深い赤等でOk。
    そういう規制がありましたがその内、色による交通法が解除。
    何時施行されて何時解除されたかはわからずです。

    hokkaidoujinさんDBトラクターの抹消謄本お手元に有りますか?。お手数おかけしますが
    車体番号にはどの様に記載されているか教えてください。
                   又明日に・・千葉。

  79. noraさん
    m89でしたか、認識ちがいでした。
    道立農試では、一番口、2番口、シーブ下、ストローラック下等にサンプル取り出し窓があって、損傷・未脱を調べやすくしてありました。
    ところで、茨城県にはスガノ農機の工場がありますが、
    そちらに、トラクターの館・第二展示場があるようですが、行かれたことはありますか?

  80. hokkaidoujinさん おはようございます

    中央試験場には昭和42年にM89も入っていますね!
    確かにこんなに長く働いているコンバインは他にはないです
     
     

  81. noraさん今晩は
    クレイソンm80 同じ物は近くの、北海道立中央農試にあります。年式はやや新しいと思いますが、50年位前の製品です。昔うちで麦刈りのテストをやってもらいました。丈夫さでは、日本製より数段上ですネ、
    江別市野幌の知人もつかっています。

  82. noraさんandoさん へ
    黄色のクレイソンコンバインですね
    私も一時所有していましたが、外国製直流コンバインはロスと損傷粒が多くて、稲刈りには今は使用していないのでは? 丈夫なのは良いのですが、麦刈り以外には日本の穀物収穫には向いていないとおもいます。
    そちらでは現在も、イネにつかっていますか?
    前述のクラウスマタドールが大潟村でモニュメント化していた平成5年頃、フランスの農機整備工場で真新しい
    パーツをつけて修理されていたのを見ました。(麦専用に使っていたようです)
    イタリアでは、北海道の稲作や転作に向く機械があれば
    よいと思います。

  83. hokkaidoujinさん おはようございます

    andoさんと連絡が取れるようになってよかったですね
    また、イタリアに機械を見にいらっしゃるとのこと、気をつけて楽しんできてください

    民と官の農業政策の齟齬は、今も現存していると思います。それは稲作に関して言えば、八郎潟干拓において、当初は直播と普通型コンバインによる欧米型稲作だったはずですが、それが今は、田植え機による移植と自脱コンバイン収穫に完全にとって代わったことです。八郎潟の欧米型稲作は大潟村の記念館前にある、クラウスマタドールジャイアントコンバインが象徴として残っています。

    もうご覧になったかもしれませんが、結構このタイプのコンバイン、残っているんですよ! 現役のもあります
     
     

     
     

    https://oba-shima.mito-city.com/tag/cyaeys-m80/

    このタイプのコンバインの納入先リストもあるんです

  84. andoさん おはようございます

    関東近辺で「外国製農業機械展」ですか・・・あまり聞かないですねえ・・・
    近くに来たら見てみたいですね!

    先の「ギランバレー症候群」は闘病生活3ヶ月。
    救急医療センターで22間、総合病院のリハビリセンターで66日。書き込みして良いてょうか・・?。
    どなたかの参考になればと思い・・。

    andoさんさえよければ・・・
    誰にも起こりえることですし・・・

  85. 書き込みがながくなりましたが、民と官の農業政策の齟齬は、今も現存していると思います。それは稲作に関して言えば、八郎潟干拓において、当初は直播と普通型コンバインによる欧米型稲作だったはずですが、それが今は、田植え機による移植と自脱コンバイン収穫に完全にとって代わったことです。八郎潟の欧米型稲作は大潟村の記念館前にある、クラウスマタドールジャイアントコンバインが象徴として残っています。
    何だか偉そうに書きましたが、他からのコピペもあります。また官の政策が全然ダメなわけではないでしょう。
    映画「norinten]には、それが証明されています。
    関東では今埼玉県で、上映されているようです。

  86. noraさんへ
    andoさんとの会話が、電話連絡が可能になりました。
    その会話の内容が、この投稿欄にはありませんから話題が飛躍していると思いますので、説明いたします。
    「国際農業機会展」というのは、帯広市で3年毎に開かれる機械展です。毎回7~8月に1週間ほど開催されます。外国製機械の展示が多いのですが、地域柄稲作向けの機械はほとんどありません。毎年幕張メッセで(国際農業資材展?)が開催されているようですが、どのような内容でしょうか? この話題になったのは、私と友達家族4人で2月上旬に北イタリアverona市の農機博に行くということをお話したことが発端だと思います。
    北海道の専業農家は、欧州製機械の導入が多い為(国産機械は弱くて壊れやすく部品もすぐ供給停止になるから}、稲作以外の転作・畑作の技術も外国に目がいっています。これは北海道開拓当初のお雇い外人からの技術移転と大東亜戦争に米英に負けたのが原因でしょう。
    北イタリアでは機械展の他観光もしますが、ミラノにあるレオナルド・ダ・ビンチの作った運河と稲作用水路も見たいです。
    noraさんが照会されておられた勘十郎堀にも関連すると思いますし、「kano」にも関連します。
    話が飛びますが、お雇い外人からの技術移転ですが、開拓当初は北海道に入植した農民は、農耕技術は本州出身地からの経験的なものしかなかった訳でし、お雇い外人に直接教授されることもなかったのですから{長沼町の吉川初代村長は例外です}、寒冷地に向かない稲作等も隠れてやっていたようです。(開拓使は稲作を禁止していました。見つかれば逮捕です)
    クラーク博士は南方技術である稲作に執着する農民に落胆していたようですし、米食と飲酒を控えるよう学生にも指導していたとのことです。
    しかし本州からの移住農民(民)の稲作志向と、開拓使(官)が勧めたお雇い外人からの寒冷地畑作政策の相矛盾する方向で北海道開拓は勧められました。
    その象徴が、北海道寒地稲作発祥の地記念碑と、クラーク博士惜別の地記念碑が、札幌郊外の北広島島松沢に並んで建っています。

  87. noraさんhokkaidoujinさん
    おはようございます。
    先日「国際農業機会展」のパレード配信みました。
    3年毎に開催との事、次回は17年 来年ですね。
    是非見たい。
    noraさん関東近辺で「外国製農業機会展」というのは開催されていますか・・?。
    「米国農機具発達史」雑誌検索だめでしたので新農林社探ってみます。
    「kano」借りてきましたので今週中にみます。また近々「馬追原野」読んで見ようと思っています。
    私の親父の3代前、明治に山口県岩国より北海道にそして
    当別入植。(したらしい)。(家に錆びた日本刀が有りました)
    物好きな長男の親父は自分のルーツさがしに山口県岩国市に・・。伺ったのは本家か分家なのかはわかりません。
    詳しい事は親父から聞きそびれました。多分多くを話さないところを見ると歓待されず・・。世代交代で・・・。

    母方は秋田県本庄市近郊より当別と今の新篠津。(したらしい)
    先人達の苦労した入植当時を偲びたいです。
       又12時過ぎました。   次に・・。

    先の「ギランバレー症候群」は闘病生活3ヶ月。
    救急医療センターで22間、総合病院のリハビリセンターで66日。書き込みして良いてょうか・・?。
    どなたかの参考になればと思い・・。

    亡くなられた大原麗子さんや安岡力也さん等の病気です。

  88. hokkaidoujinさん おはようございます

    情報ありがとうございます

    たいした金額ではないはずなのですし
    自信のある正確な情報に対価を払うのは当然なのですが
    どうしてなのでしょう・・・僕は自分でもわからないのですが有料コンテンツというのが苦手です
    きっと何かに対しての「クヤシイ感」があるのかもしれません
    間違いも混じる情報をチクチク検索したものを眺めるのが性に合うようですね

  89. isao andoさん
    1月15日に大地の侍dvdを当別役場に返しに行ったとき、改めて町中を見物しました。同じ町制の我が長沼町よりはるかに都会ですね。夕方にまた北海道開発局で会合がある為、札幌にむかいましたが、andoさんが通学に供された、学園都市線にのりました。当別町のJA北石狩の機械整備工場横(以前DBを買ってもらった)に駐車して石狩当別駅から乗車しました。これまでの投稿のやり取りがなければ、まずこの体験はなかったと思いました。
    (年末にも開発局の方と会合をもちましたが、その説明は後ほど)

  90. noraさん isaoandoさん おはようございます
    メールの送受信、娘の手助けで、確認できました。
    これからは、衆人環視でないところでも交信できますね
    新農林社の「米国農機具発達史」は、どうも単行本では
    なかったようです。同社発行の「機械化農業」という月刊誌に連載されてあった記事のようでした。内容は外国の情報で[histry of ooooo]とか「ooooo histry]にooooooの所に、農業機械メーカーの名前を入れるとヒットする記事の翻訳版のようでした。
    わたしが見た覚えがある「機械化農業」は昭和46年の4~5月号だったとおもいます。(当時はネットはなかったのですから外国書籍の翻訳記事だと思います)
    新農林社のHPで当時の記事はPDFでみられるようですが、残念ながら優良です。ただ「機械化農業」誌は大戦後まもなく発刊されていたので、歴代の表紙だけみても、日本の農業の機械化の歴史がわかります。

  91. hokkaidoujinさん おはようございます

    メールは届いています
    お返事もしましたのであとで見てくださいね

    「米国農機具発達史」というのは図書館で探してみます

  92. andoさん おはようございます

    病名の診断が付くまで時間がかかってハラハラしながら読んでしまいました
    どうぞお大事にしてくださいね

  93. noraさん今晩は
    2日程前に、息子にメール送信やってもらいました。
    届いたでしょうか?
    そのあと、メール送受信の確認がパスワードを教えてもらっていないので、開けない状態です。あしからず、

    isaoandoさん 今晩は
    映画「大地の侍」vhsテープ、当別町役場からお借りして、今見ています。andoさんが先約されておられたようですね。当方に先に視聴させて頂き有り難うございます。明日返却日ですので2回目の視聴です。以前(二十歳前後の頃)テレビで見たような記憶があります。????? 感想は後ほど、、、、
    欧米トラクターの歴史は、新農林社(農機具専門誌を発刊している)発刊の「米国農機具発達史」と エムエスケー農業機械(株)(MF製品販売会社)の「ループ」と云うユーザー向けの季刊誌に「MF物語」という連載がありました。どちらも本社が東京ですので、照会されてみては?

  94. noraさんhokkaidoujinさんおはようございます。

    正月早々事故や故障(故障と言ってもバッテリー上がりだのホイル交換時にナット締め付け悪く走行不良だの・・)等で忙しい思いしています。

    先に書きました「ギランバレー症候群」退院して丁度3年過ぎました。
    この11日1年ぶりに九十九里の片貝港へ釣りに行きましたがあいにく寒くて曇り・潮廻り最悪。
    釣りは辞めて海を見ながら読書と昼飯・居眠り・のんびり。

    okkaidoujinさん病気の事、気遣い有難うございます。
    3年経過で後遺症が少々・・指先に痺れと足裏に少々痺れ・裸足で小砂利の上を歩いているみたいな感じ。
    日常生活には支障ありません。

    「ギランバレー症候群」について参考までに少々時間を。
    どなたかの参考になればと思います。

    10万人に1人の確率との事ですが老若男女関係なく起きうる病気です。
    今は特効薬があり早期発見であればそこそこ完治する病気。
    でも発見が遅れれば怖い病気で後遺症が残りますす。

    私の場合は24年9月22日お墓参りで江別に.少々風邪気味で辛いな・・と感じていましたが何とか墓参りと他のお見舞い等済ませたのですが25日昼から26日朝にかけて寒気と怠さに・・。
    27日札幌市内の中程度の病院に駆け込んだら「風邪」で薬のみ。28日辛いまま帰宅。
    29日と10月3日近所の町医者で診察するも「風邪と少々血圧高い」で点滴と薬・・。
    ところが10月5日朝起きて歩こうとしたら足裏と手に痺れ
    があり町医者に行ったらまたもや「風邪」・「高血圧」に「歳」が追加で点滴と薬。
    そのまま5日と6日仕事(痺れたまま)
    7日朝8時に起きてトイレに・・済まして出た途端にそのまま前へバタン・・下半身が無感覚。
    日曜日で当番医の大きな病院へ(娘の運転で)。
    当番医は内科の先生で診断が「風邪・高血圧」「歳」に「神経性」が追加。
    味覚不良・顔面引きつり少々・呼吸困難少々・手のひらに感覚無し・下半身無感覚・怠さ大。食欲無し。
    意識ははっきりで言語・思考も正常。
    どう考えてもおかしい・・「風邪」や「神経性」「歳」では無い。「脳」「神経」か・・・。

    10月8日祭日、お向かいに大きな総合病院の脳外科部長先生がいるので家内が相談に・・。
    私の自宅に来て診察して頂いたところ「脳」関係が原因では無いかも・・もしかすると「ギランバレー症候群」との診断。
    10月9日9時に先生の病院訪問・直ぐ診察。3時間かけての診断結果は正式に「ギランバレー症候群」。
    すぐさま千葉市の救急医療センターへ緊急搬入で緊急入院。

    すいません話が長くなりなしたので次回に。

    noraさんのブログにはふさわしくなくてすいません。

    この正月、自分なりにトラクターメーカーの遍歴を調べてみました。noraさん良く調べていますね。感心しています。DB・ファーガソン・インター等英文を友人に翻訳してもらおうと思っています。でも少々時間かかりそうですが・・。       Ando

  95. isaoandoさん
    ニューエンパイヤ社発行のカタログは,若い頃(昭和53
    年)佐藤造機の元北海道営業所の部品庫にありました。
    David Brown hariken oooooと書いてあって、トラクターとグラスチョッパーが合体していた写真が、載っていました。それに販売元ニューエンパイヤモータースと確かに記されていましたが、そのカタログは私は持っていません。私が持っている(家のどこかにある)カタログは、この投稿欄の冒頭にあるものと同じものです。
    私が農高3年の時、農機授業の時間にメーカーからもらったものです。当時は農高にメーカーのサービスマンが来てトラクターに限らず、コンバイン・田植え機・バインダー等の新型機械の説明を授業でうけました。クボタ・イセキ・ヤンマーからも授業をうけました。
    その学生時代から知り合いになったサービスマン(10年位前に退職)にニューエンパイヤ社発行のカタログがあるかどうか、昨日telしたのですが、佐藤造機から三菱機販に転勤した際に処分されたとの事でした。
    ただ外国のnetには、50年以上まえの、トラクターとチョッパーが合体したカタログは見られます。
    それと明日、当別町役場に行きます。また難病とのこと
    冬は特につらくはないですか、御自愛下さい。

  96. noraさんisaoandoさん 今晩は
    新年明けてから、一週間もたてば、正月気分も薄らいできました。今年のこちらの気候は、今のところ穏やかで
    雪も少なく、しばれも緩い傾向です。
    さて、net配信の映画「大地の侍」視聴と、noraさんへのメールの件ですが、当方はITに関してはチンプンカンプンで、自力ではとてもアクセスできません。今使っているパソコンも息子のおさがりで、メアドもアカウントもわかりません。(というか、やり方も全然わかりません)ただ細い記憶力を駆使して、連想と応用で、50年位前このかたの事を思い出したり、四六時中ネット上をジャンプして、未知の情報を得ることは何とか出来ます。
    その様な訳ですので、大地の侍dvdは明日当別町へ貸して頂けるよう出向きたいと思います。またnoraさんとの
    お電話の件も、エンデューロ事務局の方(元DB販売店と御親類の様です)からの電話番号に、ご一報頂きたいと思います。どうも不器用なもので、ご無礼をお許しください。
    そう云うことですので、ソフトなことは、まるでダメですが、ハードなポンコツ・ガラクタ級の機械の我流修理と改造は、DBに限らず得意としているところです。
    悪しからず

  97. andoさん おはようございます

    コタツ舟ですか・・・調べてみます
    ハゼは毎年友人が泊まりがけで釣りにきますが、目の前の川で釣るせいか数年に一度大漁になるくらいです
    ちまちま捌いて天ぷらにしています(僕は生きている姿を見てしまったのでめったに食べません)
    もし釣れるのなら釣るのは好きです でも、食べるのはちょっと・・・という感じですね

  98. 明けましておめでとうございます。

    今年も宜しくお願いいたします。
    9月にはお二人にお逢い出来る事を楽しみにしています。

    暮れから正月にかけて色々検索していたら私の記憶に間違いがあることに気ずきました。
    改めて最初から記憶を辿ってみようと思います。お二人の手助けを頂きながら・・。

    hokkaidoujinさんにお願いです。
    ニユーエンパイヤモーター(株)のカタログ保管との事・・シリーズや排気量・油圧機構等を教えてほしいのですが・・。 手数かけますがお願いします。

    全く記憶から抜け落ちています。
    出来れば手に取って詳しく見てみたい・・(55年ぶりに) 。    

                  近日中にまた。

     noraさん 個沼川に「こたつ船」健在ですか・・?。
    釣り人なら一度は「こたつ船でのんびりとハゼ釣りを楽しみたい」との願望があり私にもあります。
    3年前に難病に指定されていた「ギランバレー症候群 」にかかり3ヶ月入院。それ以降釣りは控えめに・・。
    「ギランバレー症候群 」の前兆は平成25 年9月当別で・・。若い方でも罹るみたいですが10万人に一人の確率。 宝くじの方が確率高いみたいな病気です。
                   近日中にまた。

  99. hokkaidoujinさん あけましておめでとうございます

    今年もよろしくお願いします

    hokkaidoujinさん、北海道ルートから僕の連絡先を探してくださったみたいですけど
    ページの一番最後の最後、一番下を見ていただいて
    info@mito-city.comに直接メールを下さればすぐでしたのに・・・

    電話番号も伺っていますが、いきなり電話するのもアレなので
    一度メールをいただけますか?

    よろしくお願いいたします

  100. noraさんisao andoさん
    あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
    今年、お二人が来道されたおりには、上富良野のトラクターの館、帯広大正の二輪車歴史館、二つの「大地の侍」の現地・当別町と長沼町を一緒にご案内いたします。それと我が家のDBガラクターコレクションも、、、、、、??????
    今から楽しみにしています。

  101. andoさんhokkaidoujinさん こんばんは

    僕はDBどころかクボタも井関も知りませんし(座席に座ったことぐらいはありますけど)
    お二人の北海道の話も「石狩川」と同じように小説と同じように感じられるくらい、土地勘や空気勘がないわけですけど

    なんだか遠い地のラジオの深夜放送を聞いていいるようで

    ローカルのラジオは僕の全然知らない町の通りの話題や、お店の話題が時おり挿まれて
    その瞬間わからないながらもその土地というものが立ち上がってくるようで
    知らないのに知っているような・・・
    とても想像力をかき立てられる感じがするんです

    ついていくのがやっとですが、そばで聞いて(まさに聞くという感じです)いたいものです

    今年もあとわずか
    それでは良いお年を!

  102. noraさんhokkaidoujinさん
    色々な情報ありがとうございました。
    来年もよろしくお付き合いの程、お願いいたします。
    このブログにて私の中に有りましたモヤモヤが解消されつつあります。
    モヤモヤが何なのか自分でもわかりません。
    6月にDBの写真を見たときから何かが・・変わっています。
    楽しく6ヶ月過ごされた事に感謝です。

    noraさんhokkaidoujinさんと知り合えた事にも感謝です。
                   良い新年を。

  103. noraさんisaoandoさん、今年もあと数時間になりましたね
    お二人の投稿のやり取りの中に、急に割り込んで3か月、毎日とても楽しかったです。
    DBを話題の中心にすえて、歴史のことも語り会うことになろうとは、、、、、、
    来年も又、楽しい情報を提供し合えればとおもいます。

  104. andoさん おはようございます

    井関やクボタもDBと同じように語られることはないかもしれませんし、あるかもしれませんが
    その時に、DBなどの先人たちのDNAの話も一緒に聞けたなら
    自分の機械の知識も深く広くなりきっと楽しいものになるだろうなあ・・・と想像しちゃいました

  105. noraさんhokkaidoujinさんおはようございます.

    [最先端のDNAを有した銘機・・・」同感です。
    DBに限らずコンピューターの無い時代に「思考」だけで
    ・・良く作ったものだと感心しています。

    消えたしまったトラクターメーカーのDNAが有るからこそ
    現在の進化したトラクターが存在しているのでしよう。

    60年70年と実働しているDBが有るという事から考えて井関やクボタのトラクターがこれから先60年70年持つと思いますか・・?このブログの様に話会われますかな・・。

    DBの歴史や技術力に怖い位すっかりはまっていいますが
    まだまだ知りたい事や知らない事が有りすぎます。
    農業は12歳位迄で子供目線、DBは5~6年で初心者クラスの経験しかありませんがまだまだお付き合いの程、宜しく。

    noraさんhokkaidoujinさん「大地の侍」の追加報告です。GYAO!ストア配信は グーグルで「大地の侍」を検索するとGYAO!ストアや映画comがあります。有料配信で7日間430円位。
    私はGYAO!ストアで見ましたが全画面にならない。

    当別町役場広報秘書課に連絡して聞いてもらったところテープ(VHF)の無料貸し出しOK県外OKとの事でした。
               2時過ぎました。  今夜又。

  106. hokkaidoujinさん おはようございます

    まさに進化の最先端のDNAを有した銘機だったのです。しかし銘機を産した者が、必ずとも勝ち残るわけではないでしょう。ゼロ戦やメッサーシュミット等の銘機を産した国が、戦争に勝てなかった事が、それを照明しています。

    古いトラクターを調べていると、評価され、愛されたトラクターの名前が今も残っているか・・・というと
    必ずしもそうではないように思います
    むしろ、評価され、愛されたトラクターほど残らないような気がしてきます

    継続性というのも大事な性能ですから、どちらが良いということはないと思いますが
    どうしても商売の上手なほうが残ってしまうのでしょう

    名前は残らなくても性能や機能を引き継いだ機体を商売のうまいほうが売る・・・・
    心血を注いで開発した技術や機能は残っていくわけですから
    考えてみれば合理的なことのようにも思えますよね

    デビッドブラウン1212はこちらの記事を是非見てくださいね!

    強烈ドーモ君、ケース・デヴィッドブラウン1212「撮り虎」その1

    黒いのはヘッドライトSW!ケース・デヴィッドブラウン1212「撮り虎」その2

    テッダーレーキ? ケース・デヴィッドブラウン1212「撮り虎」その3

  107. andoさん  おはようございます

    そういえば兄が「井関でポルシェのあとチェコのトラクターを販売した事が有る」と言っていましたが・・・わかりますか。

    もちろん僕が知っていたことではなくて教えてもらったことなのですが・・・

    井関農機株式会社が輸入販売していたチェコスロバキア製のZETORというトラクターがあったそうです
    詳しくは以下のリンクを見てくださいね!

    世界で売れたチェコ生まれ。エキセントリックなカレンダーでおなじみの井関ZETOR3011・・・「撮りトラ」

    部品はルートが違う感じ。井関ZETOR3011・・・「撮りトラ」

    世界で売れたチェコ生まれ。Zetor(ゼトル)トラクタ 2011←たぶん「撮り虎」

  108. noraさん isao andosannさん まだ暗いですが、おはようございます。
    ヴァルトラのDNAを見て、重い至る事がありました。
    そのことを説明させてください、
    昭和50年前後に、デビッドブラウン1212という73psの大型機種{当時の}がありました。その機械は、12段の多段ミッションで最低速が毎時1km台、多段ノークラッチ変速{ハイドラシフト}、2段pТo、自動牽引力増加装置{トラクションシステム}、それと便利な油圧装置等の機能を有する画期的なものでした。他社製品でこれだけの機能を持った機械は、日本車を含めても当時はありませんでした。デビッドブラウンが消えたと言っても、これらの機能は、現在の大型機種の標準装備です。まさに進化の最先端のDNAを有した銘機だったのです。しかし銘機を産した者が、必ずとも勝ち残るわけではないでしょう。ゼロ戦やメッサーシュミット等の銘機を産した国が、戦争に勝てなかった事が、それを照明しています。
    何だかちょっと言われただけで落ち込んで、勝手に道が開けたように悟ったおバカさんの戯言でした。
    DBを50台売ったとか、ポンコツを16台直して持っていることで、有頂天になっていた事反省します。
    ところでandoさんに、私の正体ばれそうですね。
    当別の農協工場にDBを買ってもらったのは、平成13年頃だったと思います。当時の青山地区の同姓のY理事{
    親類ではありません}からの情報で、農協におさめたはずです。その時の工場長はもう退職されたと思いますが、
    4~5年前まではDBや他の機械のパーツも、買ってもらいました。恥ずかしいので、この投稿欄に直接実名は出さないでください。
    私も来年は是非、お二人とお会いしたいです。それまで電話連絡できるようにと思います。
    それと私も「石狩川」を図書館から借りて読み始めていますが悪戦苦闘です。「大地の侍」配信中とのこと。ラッキーです。ダウンロードの仕方がわからないので、子供たちが帰省して来た時にやってもらいます。
    楽しみにしています。
    それとまたまたそれと、以前カテ違いのnorinten をすすめましたが、同じくカテ違いのkanoを、正月に暇なお時間がありましたなら、レンタル視聴おすすめいたします。内容はネットで検索できますが、キーワードは台湾・野球・農業・kanoです。まずは検索を、、、、、

  109. noraさんhokkaidoujinさんおはようございます.
    やっと仕事終わり一息です。
    「DBの事を、製造会社がなくなった事など、さんざんに言われ、とても悔しい気持ちになりました・・」との事悲しいですね。
    私なぞ口を挟むのは憚れますが18歳で社会の出発点がDBです。悔しいですね・・。

    札幌での就職は可能でしたが環境が許さず・・。
    そう・・私は次男で居場所が無い次男の宿命か・・。
    居場所は自分で作らなければならず・・どうせなら「ウーン一発東京へ」という次第です。
    もしかすると親父や兄への対抗心・・。
    そういえば兄が「井関でポルシェのあとチェコのトラクターを販売した事が有る」と言っていましたが・・・わかりますか。
    DBに対面した時、これが私の将来か・・と夢みました。
    途中、撤退により挫折しましたがそれ以来一度も脳裏から離れた事ありません。(挫折以降の話は機会をみて・。)
    先に書きましたが赤や緑のトラクター見るとつい停車してしまいます。     
    DBはまだ現役で沢山作動中との事で「DB頑張れ!!」です。
    ましてやhokkaidoujinさんのような方がいるのですからまだまだ生きつずけるでしょう・・・noraさんそう思いませんか。

    hokkaidoujinさん当別の農協は北石狩農協と名前が変わりまいた。先週当別の友人に調べてもらい電話しました。
    機械課担当に話を聞いたところ農協としては保管無し。
    まだ若い方で過去の事はわからずですが「当別近辺でDBは3台位作動中」と聞いているとの事でした。
     
    noraさんhokkaidoujinさん報告です「大地の侍」GYAO!ストアで配信中です見てください。
    1956年製作 私が12歳の時中学の映画鑑賞で見ました。
    60年ぶりです。感動です。
    感動ですが小説「石狩川」を読んだ後では少し気抜けします。あの難しい文書と極限の状態に置かれた彼らや石狩平野の原生林や季節感等・・。
    でもこれで「石狩川」一安心です。
    暮れに最後投稿します。

  110. hokkAidoujinさん おはようございます

    DBの事を、製造会社がなくなった事など、さんざんに言われ、とても悔しい気持ちになりました。

    昔のトラクターを調べると、あちこちなくなってしまい、大きな会社に吸収されて名前もなくなってしまったようなブランドによく行き当たります。
    僕もその度にうら悲しいような思いをしていたのですが、なくなったのは名前だけで、そのDNAはやはり残っているのだ・・・と思うようになしました。

    DNAは生き続けた フィンランドのヴァルトラ

    世間や経済の波に翻弄されるのはブランドを含めた表層で、比較的波のない深い部分、つまり製品の理念というか、もの作りの考え方は残っていくように思えたんです。

  111. noraさんも同感されますか。有り難うございます。」
    ところで昨日は、飼料米を十勝の肉牛牧場へ、友人と運びました。その車中で、こちらへの投稿のやり取りが、とても楽しいと話しました。しかしその友人からは、
    DBの事を、製造会社がなくなった事など、さんざんに言われ、とても悔しい気持ちになりました。一晩眠って朝になったら、大分気持ちがはれましたが、そう云う気持ちになるのは、DBを愛しているからでしょうか??
    {同感の人と接すれば気が和み、違う見解の意見には気が荒れる。こんな事こちらに、書くべきじゃ無いですネ、}

  112. hokkaidoujinさん こんにちは

    明治という時代の北海道という地で到底繋がりそうもなかった「大地」と「侍」とが結びついてしまった感じですね
    そして違う土地の開拓のお話に同じようなイメージが浮かんでしまった・・・不思議です

  113. isao ando さん
    うーん 200俵の米は、飼料米のもみすりでしたが、
    石狩の倉庫へ運んだのは、十六俵だけです。帰り道に
    気が緩んで石狩街道に迷い込んでしまい、学園都市線(旧札幌沼田線)沿線の教育大学の界隈に入ってしまって、
    元の国道に戻るのに大変でした。なにせ2tエルフロング車なもので。当別町の区域に入ってから、この町の農協にもデビッドブラウンを買ってもらったのを思い出しました。あの機械はどうなっているのかな、、、、、、、?
    近くの駅から列車で、札幌市内にいこうと思ったのですが、この辺の地理がわからないので、江別市の農協整備工場に駐車(駐車料がかからない)して、札幌市内にむかいました。札幌では、開発局の役人さんとの話でした。
    (飲み会では、ありません)
    家に着いたのは、十一時でした。役人さんとの話の内容は、また後日に、、

  114. noraさん isao andoさん今晩は
    戦前の作家は、結核で若死にの人は多いようです。
    宮沢賢治、石川啄木、樋口一葉皆結核で若くしてなくなっています。それと第一回樋口一葉賞受賞の辻村もと子(またしても当長沼町の開拓物語「馬追原野」の作者)もそうでした。要ネット検索。、、、、、、、、?
    どうも当別町の開拓物語から長沼町の開拓物語に、強引に話を持っていこうという意思ありありで、申し訳ありません。
    しかし両町の歴史を語る、映画と演劇が同名の
    「大地の侍」とは偶然でしょうか?
    奥州市の演劇の脚本を書いた方に、同名の開拓に関する
    映画があると言ったところ、それは「全く知らなかった」と言っていました。本当に不思議な一致です。
    私もこちらへの投稿がなければ、こういう風に思い起こす事は、多分無かったと思います。

  115. andoさん おはようございます

    惜しいかな残念な作品です。完成していれば明治・大正・昭和初期が詳しく垣間見れたかもしれません。

    複数の資料を渡り歩くのではなく、長いスパンの歴史が一気にですから
    後の人にすばらしい福音をもたらしたと思われるのに残念です
    当人はもっと残念だったと思います

    hokkaidoujinさんは凄いですね・・DBが16台。来年9月出来れば一諸にお伺いしましょう。

    是非伺ってみたいですね・・・なんだか帰ってこられなくなりそうですが・・・

  116. noraさんhokkaidoujinさんおはようございます。
    noraさん
    [石狩川」完読との事おめでとうございます。私なぞ途中で何度か中断。頭が痛くなる事が度々でした。
    「石狩川」は全部で3部作の構想との事でした。
    惜しいかな残念な作品です。完成していれば明治・大正・昭和初期が詳しく垣間見れたかもしれません。
    hokkaidoujinさんは凄いですね・・DBが16台。来年9月出来れば一諸にお伺いしましょう。
    母がそれまで頑張ってくれれば良いのですが・・96歳。

    hokkaidoujinさん
    石狩新港搬入お疲れ様です。
    一俵40キロとして大変な重さ・量・・。200俵2~3日で精米・・。皆さんが使っている農業機械の知識全く無しに等しいのですいません。千葉で見かける大きな機械は田植え機と稲のコンバイン位。理解出来ずにいます。

    今年の食用新米の出来具合は如何でしたか・・。
    新聞では「昨年以上のでき」と書いてありましたが・。

    記念碑近くに太美駅が有りましたでしょう。昔その駅前に当別から転居した同級生の牛乳屋が有り温泉が湧きだしていました。その温泉で集荷した牛乳缶を洗浄していまたが
    今では日帰り温泉センターになっていました。

    そう言えば長沼町の隣?・・南幌町の「日帰り温泉センター」に母が元気な時、帰省時に連れて行きましたが近くですか・・?。
    今年の9月浜益がら厚田、スエ―デンヒルズカントリー横から太美駅と走りロイズ工場横を道ってあいの里経由札幌へ。
    牛乳屋さんまだ存在するか聞いて見ましたが皆さん知らないとの事で諦め。

    歳かもしれませんが妙に昔の事が思い出されて足が向いた次第です。

    60年前この太美付近に例の「泥炭地」があり以前に書きました「燃料・暖房用泥炭」の切り出し場所で「ブルトーザーで土地改良」が大掛かりに行われていたところです。
                 すっかり変わっていました。
                また12時過ぎました。

  117. hokkaidoujinさん こんにちは

    そんなに若くして亡くなったのですか・・・
    昔の方だからなのかもしれませんが、文章から若々しさは感じられなかったので
    落ち着いた年配の方だと勝手に思っていました

    まだまだ続けるつもりであそこまで書いたのでしょうね・・・

  118. 紋別町とも縁があるとの事で、昨年の夏には「大地の侍」上映を紋別町でも行われたようです。
    andoさん、今朝DBの台数を数えたら、十六台ありました。今すぐ動くものもの(寒いので強力なバッテリー始動で)は十台位でしょいか。親類に貸しているものと
    赤いDB850以外は、すべて野外保管です。一番の変わり種は1490セミクローラ4wd仕様ですが、純正仕様ではなく不正改造機?です。屋内保管できれいな機械は、江別市の老農家の納屋にあります。

  119. noraサン isao andoサン 冬至の夜中にこんばんは
    明日から日が長くなると、少し気が明るくなります。
    noraさんは、石狩川完読との事、おめでとうございます。
    今日、飼料米を石狩新港にある倉庫に運びました。
    道央圏道路を一時間程のドライブでしたが、帰路当別町の本庄陸男生誕の地記念碑をみてきました。道路わきに突然記念碑入口の案内板が、出てきたので、一キロも通り過ぎてから、思い返して逆走しました。(普段ならスルーでしたでしょう)ロイズコンフェクト社(チョコレート工場)の入り口に記念碑はありました。当別町で生まれ
    道北の紋別町で育ち文筆活動をして三十数歳で結核でなくなったとありました。もっと生きていたなら、続編も
    書いていたでしょうね

  120. noraさんhokkaidoujinさんおはようございます。

    あと200俵とは・・これは飼料米ですか・・?。

    お二人とも年末で忙しい毎日とおもいます。

    こちらは新車の納車や車検納車が終わりあと事故修理分が2台。出来上がり予定25~27日で27日か28日で今年の作業が終わります。

    今日4時頃千葉県四街道を走行中に私には珍しい光景に出会い車を止め作業を見せて頂きました。
    今の時期に「大根の種まき」です。いま種まきすると何時収穫かはききそびれますたが・・。こんな時期に種まきなんて・・。
    シバウラのトラクターで3点リンクにはロータリーと種用タンクと散布ホース3本・それとロータリー幅より横長目の保温ビニールロール。
    ヘクタールでは表現難しいのですいません。幅60m奥行80m位の広い農地。運転の方と後方左右に作業の方2人。
    種植え機というのでしょうか・・。
    ロータリーで再度土の細かくしそのに拡散ホースで種を3列。その上に薄い保温ビニールがかぶせ(このビニールシートには3列10センチ角の穴あき)最後に排土板のような爪でビニールの両サイドに土をかぶせて・・。
    今の機械は凄い。それと運転されていた方・・うまかったです。畝が真っすぐ。
    北海道では見慣れた光景だとおもいますが・・
    私の記憶になく千葉では珍しい(私の視野が狭いかも)光景でした。
    総勢10人位でしたが実習高校生がいましたのでどこかの試験場かも・・。
    その畝に保温用厚手のビニールシート。(パイプで高さ60センチ位)。
    夕方で皆さん忙しそうで話を聞けずに終わりました。やっと「大根の種植え」とだけきけました。

    noraさん水戸近辺で今時 作付する野菜等ありますか・。

    私の野菜に対する季節感があやふやになっています。
    品種改良や温室による生産が進んでいるためでしょうが
    だんだんそれが普通に・・。
    季節に野菜・・なんて言えなくなりそうです。
    千葉ではトウモロコシ5月~6月で稲刈りはお盆前後。

    hokkaidoujinさん今保管中か整備中のDBはありますか・・?
    車種は・・?。
            また12時すぎました。近日中に・・。

  121. hokkaidoujinさん おはようございます

    やっと石狩川読み終わりました
    これから・・・と思うところで終わってしまい、肩すかしを食った感じでしたが
    本来ならまだまだ続くものだったようですね

    明治の初め、いろいろなしがらみで流れにのることができなかった、しなかった武士が
    北海道へ新天地を求めて渡ったことなど知りませんでした
    内地でなじみのある地名が北海道でも見受けられるのは、こういう人たちが自分の開拓した土地にふるさとの名前を付けたのでしょうね

  122. andoさん
    札幌と江別の農機具販売店のこと、私答えていませんでしたね。私の住んでいる地区の農家は、長沼町か隣の栗山町・それと岩見沢市の販売店とのつきあいが、主ですす。かなり昔ですと、個々の農家に自動車がなかったものですから、セールスマンが来ない販売店の事は、わかりません。それでもフォード、ファーガソン、インターのユーザーは、札幌市内のデーラーと直接の取引があったようです。DBは三菱が売っていたので、近隣のデーラーとのつきあいでした。
    きらら397、かつて北海道米のエースでしたが、今は新品種が続々と出てきて、影が薄くなっているようです。
    現在のエースは、ゆめぴりかでしょう。
    noraさん、ここで道産米の宣伝してすみませんでした。
    あしからず。
    ところで、西暦年と元号年が頭の中で一致しないこと、
    私も苦労しています。特に平成になってからと、21世紀年が上手く合致しません。私も自分なりの年表を作って、対処しています。機械の購入年が正確に分りますし
    作柄の良い年、悪かった年も思い出すのに便利ですね、
    昨日の午後、JA北海道中央会主催の、稲直播のシンポジュウムにいってきました。今年で三年目ですが、だんだん高度な話し合いになってきました。やはりTPPの影響でしょう、、、、、、
    今日も、もみすりです。あと200俵くらいで、終了です。単収は直播の結果が悪くて、云えたもんではありません。移植の方は、人並みでマシなのでしたが、、、

    ではまた後日。

  123. noraさん isao andoさんこんばんは
    しばらくご無沙汰でした。みちのくの旅から帰って
    間もなく、人間ドック、そのあと地域行政区の会議(勿論農地・水・環境保全の会議もありました)、文化協会の忘年会、そして飼料米のもみすりなど、旅行に行っていた為仕事を年内に終らせるのに必死です。いま今日の分のもみすりを終わらせて、いえに入ったばかりのところです。
    大地の侍観劇は感激しました。長沼初代村長の物語を出身地・奥州市が上演しているのですから、表敬訪問は意義ある事と確信しています。当長沼町の町長も一緒でした。ほかに、平泉中尊寺や花巻の宮沢賢治記念館にも行ってきました。3日間でしたが、年末の3日は貴重な日数だと実感しています。

  124. andoさん おはようございます

    昭和と平成・西暦と自分の年齢を一覧表貼り付けて世相と年齢そして記憶の照らし合わせをしています。

    僕など忘れてばっかりで、さらに前後もあやふやです
    それをそのままにしないというのはとてもすばらしいと思います

  125. hokkAidoujinさん nora おはようございます

    ストローべールハウス見ました。藁の家、知りませんでした・・素晴らしい発想ですね。
    泥の家なら・・・。私の生家の壁、土と藁を15cm位裁断したのを水でコネ合わせ外壁にコテで塗っていた親父の姿、記憶あります。
    多分、60~70年昔の北海道農家はこの方法がど・・?。

    焦げ飯のブログ件、「釜の蓋」で生家での生活をおもいだしています。あの分厚い「蓋」。

    先に書きましたが72歳過ぎるとさすがに記憶が薄れ気味ですがこのブログのおかげで65年前の前後を詳しく思い出そうと苦戦していますが楽しいです。

    昭和と平成・西暦と自分の年齢を一覧表貼り付けて世相と年齢そして記憶の照らし合わせをしています。

    18歳から72歳まで輸入車販売一筋。かっこいい言い方ですが実情は空洞見たい。何が残っているのか・・。
    hokkAidoujinさん nora さんは20~30年先を見据えることができますがさすがにわたしは後10年先迄でね。

    hokkAidoujinさん岩手県奥州市の観劇間に合いましたか・・。
    DBを50台前後販売・修理との事、北海道で・・。長沼町で・・。農家をしながらで・・。これはもう素晴らしいの一言です。
    是非・是非 私もDBに触れて50年前に戻ってみたいです。
    hokkAidoujinさん親父を褒めて頂き有難うございます。
    「目から鱗」です 。この件はいずれ・。
            とりとめ無い文章ですいません。
     

  126. hokkaidoujinさん こんばんは

    トラブルで大変だったでしょうが、そのトラブルもスパイスとなって感動的な舞台となったことと思います!

  127. 皆様
    今、新千歳空港にいます。花巻行きは強風で欠航です。
    仙台空港から奥州市に向かいます。
    夜の開演まで、間に合うとはおもいまが、、、、、、、
    トラブルでちょっと、お疲れ様です気味です。

  128. isaoandoさん hokkaidoujinさん おはようございます

    昔のクルマも、トラクターも開拓者のような人たちが作ったシンプルなものなのでメッセージ性があり、今の人たちにも訴えるものがあるのでしょうね。
    決して現在のクルマやトラクターが訴えるものがないわけではないのでしょうけど、あまりにカバーする相手が多岐に渡りますから、どうしても薄まってしまうのでしょう。
    (オイル交換ができないような人から、クルマいじりのスペシャリスト、ファミリーから女性男性独身者までに文句が出ないように・・・)

    石狩川、地図をよく見て取り組んでみます
    見える範囲の移動だとは思いますが、道のない原野での移動、読んでいてもかなりのストレスです
    クマは大丈夫かとか、迷子は、とか、心配はつきません
    川を見つけて大喜びしていましたが、道は間違いないにしても川沿いを移動するのは楽ではありません
    GPSが欲しいですよね・・・

  129. noraさんおはようございます。今日は早く予定終わりのんびりと・・。
    早速昔の農機具やスクーター検索してみます。私のお客様でスバル360を温存している方がいます。
    私も営業マン時代中古で乗りましたから行くたんびに「あれ・・あれ・。」です。

    焦げ飯の件、失礼致しました。余程の田舎でなければマキでご飯など炊かないだろうと勝手に思い込み・・。「健在なり焦げ飯」。写真拝見。
    私に自宅庭で落ち葉でも燃やそうなら直ぐ通報されます。マキで御飯炊くなどしたらどうなるか、、。
    うらやましい。

    「石狩川」苦戦中の事と思います。就職後と今年3月に
    読みましたがあいかわらす難しい本です。

    グーグルでまず北海道石狩市厚田区聚富を見てください。
    聚富{シップ}が出発点で札幌・小樽・当別を見て頂ければ行動の全体がつかめます。
    カタカナが多いですが殆どアイヌ語そのまま。ここは2度目の開拓地。既に1度開拓に失敗しています。

    彼らは仙台の土地・家屋を没収され残った財産を開拓費用に・・。既に戻る所も無く資金も少なく追い詰められている所からはじまります。
    屯田兵・開拓団以前の話で自費で開拓を始めた人たちです
    屯田兵は土地・食料・住宅等の援助・開拓団は3年間の食料等の援助ありました。そこが大きな違いです。

    hokkaidoujinさん
    すでに出かけていますかな?。
    今日も又、北海道米に出会いました「きらら397」。
    千葉県の「道の駅」では近郊米がありますが大手スーパーやホームセンターでは千葉県産米あまり見かけません。
    千葉県産米の生産量が少ないのか・・。又は他県に送られているか・・。流通機構がどうなっているのか解らず。
    お米屋さんにはありますがお米屋さん自体が少なくなりどうしてもスーパーで購入。

    昔、江別に松丸農機具商会さんありませんでしたか?
    それと札幌白石に白石農機販売さん・・。

    私事ですが先月30日で73歳に入りました。改めて宜しくお願いします。        
     又 明日にでも・・。

  130. noraさん isao andoさんこんばんは
    うーん 50年前の流行歌「自動車ショー歌=小林旭」
    をおもいだしました。あのころは、とても日本車が世界市場を席巻するとは、予想できませんでしたね、
    三菱かつらデイーゼル耕運機、私の親類には、感動品アリます。一族に三菱特約店がおりますもので、耕運機もトラクタも、そちらから買っていました。勿論DBも
    そうでした。
    うちも、飼料米つくっています。(9ヘクタール程)
    出荷は岩手県から帰ってからですので、その後に食用の新米もみすりです。なので新米はまだ食べていません。ゆめぴりかもななつぼしもあります。

  131. isaoandoさん おはようございます

    isaoandoさんが思うほど、いろいろなものはなくなっていなくて、ひっそりと生きていますので探してみてください

    トラクターはもちろん、発動機も昔のクルマも結構各地で大事に使われたり、コレクションされたりしています
    単車もそうですし・・・ラビットもシルバービジョンも元気に走っているものはまだまだありますよ

    焦げ飯もそうですし・・・

    うちはご飯は毎日鍋で炊くので、焦げを作ろうと思えばいつでも作れます
    飯炊きが上手になってしまったので普通にやると焦げができないだけなんです

    このブログでもたくさんあげていますので下のリンクで見てくださいね!
    最近はあまりやらないですが、羽釜で外で炊いたりしていました
    炊飯器より速くできておいしいので、もう炊飯器には戻れないですよ!

    『ずぼらな鍋炊飯』

    『オコゲは一日にして成らず』

    『新米を炊いてみました(動画あり)』

    『なぜコッヘルでご飯を炊くと堅いガンタメシになってしまっていたのか?』

    鍋炊きご飯←米炊飯でソートした記事集

  132. hokkAidoujinさん おはようございます

    ストローべールハウス知ってます!
    欧州などでもともとあった小屋の作りのようですよね
    緩衝材に断熱材に、きっと優秀なんだろうなあ・・・

  133. hokkaidoujinさん noraさん
    お早うございます。ヘイベーラの実働機械あるのですね・・。
    当社が輸入していた梱包機の名前50年経つとさすがに思い出せません。

    水田が飼料用米の生産を・・悲しいですね。
    千葉県にはブランド米として 「多古米」「長狭米」があります。いずれも米の品種ではなく「地域名で町名」。
    参考までに双方とも価格は10キロ4300~4800円平均。生産者名によって価格が変化。10キロ5000円もあります。なかには写真付き。
    これは特別な手間をかけるかまたは有機栽培の違い・・?。

    ここ「千葉県」は道の駅や地域農協に直販店がタケノコのように新規出店してます。

    そういえばもう何十年も食べていない「焦げ飯」。
    hokkaidoujinさんは承知ですね noraさんは如何ですか・・?。
    マキや石炭等で釜でご飯を炊いた時に釜底に張り付いている焦げたご飯。これが美味しいんです。

    電気釜ではできない炊き方で・・思いだしたら無性に食べたくならました。

    関西以南に日本ーの米炊き名人がいて炊飯器メーターの担当者が伺うがが炊飯器では再現不可。
    その名人は普通と変わらぬ釜とマキで炊き上げるとの事

    昔はどの家でも釜とマキで炊きていたのですが・・。
    hokkAidoujinさん「長沼米」を是非。

    50年で日本車が世界のトップに・・。
    確かに入社したての頃は米社全盛期でベンツ・ワーゲン・ボルボ・BMW喧嘩にならずで米社販売会社では気にも止めてはいなかったと思います石油ショック以前は。

    小学生のころ自動車の排気ガスが甘い香りがして追いかけた記憶あり。中学生の頃から車に興味を・・当時日本メーカーは日産はオースチン・いすゞがヒルマン
    日野がルノーを販売していました。マツダ・ダイハツは三輪自動車。
    余談
    (エンパイヤに就職が決まり上京2ヶ月前位で1月中頃かな・・? 父親運転・マツダの3輪自動車で上京に必要品を買い出しに札幌へ。帰り夜で雪。運転席は完全なキャビンではなく床が無い。まだバーハンドル。雪まみれで寒かった。)

    しばらくして日産は「ブルーバード」・いすゞが「ベレット」日野が「コンテッサ」に。特にいすゞのベレットが記憶にのこってます。ベレットGTで1600CCで当時市販乗用車では数少ないDOHCエンジン・4輪独立懸架。「すばしっこく」「ねばっこい走り」自動車評論家ならうまく表現できるでしょうが・・。

    トヨタは独自路線。ホンダ・スズキ・三菱・富士重工はまだ。
    ホンダ・スズキはオートバイ 三菱は「シルバービジョン」・富士重工はたしか「ラビット」でスクーターを。

    農業用エンジンではヤンマーの「ディーゼルエンジン」「三菱かつら」富士重工は「ロビン」東京発動機の「トーハツ」。とくに三菱の「かつら」エンジンコンパクトながら良いエンジン。まだどこかでいきていますか・・。
                またこんな時間に、、。

  134. noraさん isao andoさん こんにちは
    こちらは冬なのに大雨です。奥州行きは明後日ですが、飛行機が飛ぶかどうか心配です。
    北海道の米、国産米の上位に登ッたこと、私達北海道人にとっては、うれしいことです。
    コメの減反が始まる前の年、アポロで人類が月へいったのですが、当時の農業高校の先生が道産米が日本のトップになるのと、日本車が世界のトップになるのは、月へ行ってウサギさんから餅をもらうくらい難しいことだと言っていました。それが両方叶ったんですから、すごいもんです。
    牧草を梱包する機械はヘイベーラですね。うちにも一台
    完動ポンコツがあります。今は畜産飼料用ではなく、ストローベールハウス{わらの家}などの、建材製造に価値があるようです。詳しくはストローべールハウス検索を

  135. isaoandoさん おはようございます

    石狩川、まだ登場人物や地名などがよくわかっていなくて
    人々が頭の中でしゃべったり、動いたりしていない感じです
    ゆっくりのんびり読んでみます

    飼料米、減反政策でもあるみたいです
    一面の田んぼも今やほとんどが牛さんのエサのようになっています

    ただの草原が広がるよりは良いことだとは思います
    牛屋さんが田んぼ地帯で飼料米を作ることもあるみたいで
    最近は牧場で見るような機械もこのあたりで見かけます

    四角い草の固まり、レース場のクッション代わりに使われているのをよく見ます
    それと同じかどうかわかりませんが、機械も見たことがあります
    ヘイベーラーというものでした
     

     

     

     

     

     

  136. hokkaidoujinさん
    追伸です11月29日 自宅近くのスーパー「ヤオコー」に「ななつほし」と「ゆめぴかり」おいてありました。北海道米頑張っていますよ。

  137. hokkaidoujinさん noraさん
    お早うがざいます。
    hokkaidoujinさんはすでに岩手県に向かっている途中かと・・。

    月末過ぎ一段落しています。
    30日往復160キロ4時間、今日2日往復150キロ3時間半。
    「歳を考えたら・・」と家内に言われています。

    「石狩川」読みずらい文章ですが・・。我慢してください。

    「飼料用米・・」とは飼料米が有る事知りませんでした・農家の方は泣くに泣けない選択ですね・・次の言葉が出ません。今日の新聞にまた「米の減反」と書いてありました。
    先日のMF1700様が話していた事をおもいだします。
    「この50年に米の減反から農作物への転換、農産物から米への転換・・何度繰り返されているかわかるかい」
    言われてみれば当別の生れた処がそうでした。水田が畑に又水田に確かにコロコロ変わっていました。
    「国の政策かコロコロかわる・・輸出国にいい顔したいから狙われるのは俺たち農家・酪農家で農協等有るけど力無し。」
    「そのたんびに機械の買い替えをしている俺たちがどれほど大変か・・・農家は大変だよ・・」と・・。「今は青年部が頑張っているけど10年後はどうなっていることやら・・。」・・・・まだまだ頑張って欲しい方です。

    先日ジョンデアランツトタクターが私の前を走っていたのでついついついていきました。
    近くの農家かな?とおもったのですが着いた処は牧草や飼料の生産株式会社。
    トラクター拝見させていただきました。
    ジョンデアランツ5425。ロータリーは爪ではなくチエーンでチ ェーンの先がO型やY型 牧草用とおもいますが・・。
    hokkaidoujinさんなら名前も作業方法ご存知ですね。
    また図々しくはなしをうかがいました。

    この会社様は農家や酪農家それと動物園向けに牧草等の飼料を生産・販売しているとの事。
    以前は10台位トタクターを使用していたが・・いまは3台。所在地は千葉県佐倉です。
    「だんだんと純国産飼料の販路が狭まってきている」との事ですがここも頑張ってほしいです。
    酪農家様の飼料は輸入ものは多いとききますが実情は・・。

    佐藤造機のカタログ拡大して再読しました。
    カタログに印刷日記載ありますか・・。
    トラクターに乗っている方は多分当社時代のオペレーター。北海道中標津の開墾公社?にいた方で当社の専属オペレーターとして来ていただいた方。佐藤造機に行かれました。

    その下の写真丸い3ツの羽根・・ピアノ線のような太い線を円形に。
    散らばった牧草を集めたり乾燥の為拡散する機械で確かサイドデリバリーレーキと。
    その右横は1列に集められた牧草を拾い上げ圧縮梱包する機械。確か「・・ローダー」名は忘れました。
    後部からほぼ四角形に圧縮・縄で梱包されて出て来ましす。
    これを日本に導入し整備。テストは長野県妻恋の試験場。
    当初圧縮はすれど縄での梱包がうまくいかず梱包用爪の調整にかなりの時間費やした記憶あります。

    今、牧草地にいくと丸い円筒形がみられますが当社のは四角形。  四角形の機械はもう存在しないかも・・。
               3日になりました。又・・。

  138. hokkaidoujinさん おはようございます

    肉の原料である飼料を、国産で全量を賄うのは無理でしょうが、主食でのコメだけは100%自給できるのです。

    できるのに、できない・・・というのは残念なことですね

    近所の田んぼのかなりな部分は飼料米になってしまって
    お盆すぎには道ばたに牛さんのエサが並んでいます

    本来なら人間のお腹を満たすことができるんですけど・・・

    石狩川、借りてきて読み始めました

  139. noraさん isao andoさん
    トラクタの話から北海道開拓史、そして食糧自給に話題が進みましたね。
    公園で農作物をつくる話。画像情報にーーーー国会前で芋を作る東京市民ーーーーという写真があります。
    戦後の食糧難の時期の写真。70~60年前のことでしょう。今では考えられないことです。そんな時代には、もどって貰いたくないです。
    私見ですが、食糧自給率が低い原因は、主食である米を
    食べなくなって、パンや麺に嗜好がシフトしたのが原因だと思います。私の子供の頃、実現は不可能といわれていた田植え機械が完成普及しているのですから、コメはいくらでも増産できるのです。それが今、米ばなれで
    生産力が充分機能できていない。転作で麦や豆を作ろうにも、湿潤な土の水田では、畑作物は思うに任せない。
    肉の原料である飼料を、国産で全量を賄うのは無理でしょうが、主食でのコメだけは100%自給できるのです。
    日本の気候・風土にあった作物は、米なのでが、、、、、
    それが食べてもらえない、消費量が減っているのにTPP交渉でも輸入枠が増えた。
    そんなことに原因が多ありと思います。

  140. isaoandoさん おはようございます

    僕の家は大洗との境にありますので、低地で、水田が主です
    鉾田へ行くと色々作っていますよね
    友達がいるのでいろいろと話を聞くのですが、みなチャレンジャーです
    ちょっと北海道っぽい気質なのかなあ・・・と勝手に思っています

    「米・野菜・魚・肉等は国内産で100%賄う事が本来の姿」、僕もそう思います
    多分お役所もそう思い、そのように進めているのとは思いますが、欲というのは限りないもののようなので、どうなるのでしょうね・・・

    農産物は工業製品と違う(厳密には工業製品だってそのあり方がベストかどうかわかりませんが)とはいっても
    欲のある人が走り出せば付いていくか、止めるかしなくてはなりませんものね
    影響を受けずに済ませることは難しいです

    どうしたらよいか皆で考えなくてはならないはずなんですが
    どうにもこうにもユーザーと生産者の距離が離れすぎています

    既存の公園には必ず田畑を作り、そこで野菜なり稲を作ること・・・なんて法律を作ることから始めなくてはならないかもしれません

  141. おはようございます。月末で忙しい日々です。

    hokkaidoujinさん| noraさん
    私の話があちこちと飛んですいません。一貫性が無くて・・。
    norintenの監督様のブログ拝見。監督サン素晴らしい方ですね。仲代さんも。
    9月、江別で上映中だったみたいでした。早くに知り合いになれていれば・・残念。

    関東での上映はまだ未定のようです。公開期待中。

    12月5~6日の「大地の侍」ポスター拝見しました。

    当別にいたころは本州を「内地」と言っていた記憶あり。
    今では「内地」なんて言わないでしょうが・・。

    「吉川鉄之助」は凄い方ですね。北海道のあちらこちらに
    それと樺太まで・・。いい勉強です。

    noraさんの処は水田が主ですか・それとも農産物?。
    大規模農産家の方は多いですか・・少ないですか・?。

    鉾田近辺はメロン・乾し芋・野菜とレンコン。私の走行癖は行きと帰りは必ず別ルートを走ることで・・。霞ケ浦の両岸をいったり来たり鹿島から大洗ルートは釣り人・釣り場探索。

    先日新聞に怖い事が書いてありましね。
    政府が「これから農業政策は「農産業の大型化を主に」進めると書いてありました。これは如何に・・。
    小規模農家の皆さんはいずれ多少なりとも「淘汰・吸収されるということが有りうる」とですか・?。

    それでなくとも先のMF1700様が話してくれた中に「この数年で差し押さえ等により廃業した方が多くなっている」と言っていましたが・・。
    いずれ単独では生き残れ無い・・。自営自活のみが残る・。
    商社や株式会社・共同組合・チエーン店等が農業経営を始めている現在、そんな政策を進めるべきでは無いとおもいまが・。
    言い方失礼ですが00は赤字が一定期間続けは直ぐ撤退。
    運命共同体ならばいいのですが・・。

    輸出のしっぺ返しで輸入せざるを得ない・・産業の為に農産業が圧迫されている・・。

    私見ですが 「米・野菜・魚・肉等は国内産で100%賄う事が本来の姿」ではないかなと・・。
         また12時すぎました。後日に

  142. hokkaidoujinさん isaoandoさん おはようございます

    「大地の侍」見てみます!
    昔の北海道の話も、点ではなく繋がった話なので部外者も興味深く読むことができます

    とにかく「石狩川」と「大地の侍」で予習すればもっと楽しめるということですね!

  143. isao ando様のところは、一家あげて農業機械部門に向けて、転身されたのですね、。今で言えばアグリビジネスへの転身です。私より十歳年上の方で、全日制高校に
    進まれた人は、そう多くはいない時代でした。
    私が子供の頃は、重労働と手作業できつい農業に見切りをつけて、転職した業種は、アパート経営や風呂屋が
    ほとんどでした。札幌市が急速に人口が増えている時でしたから、長沼からは白石駅近くでアパート経営をする人は結構いました。私の家の近くに、札幌市琴似にあった道立農業試験場が、昭和39年(東京オリンピックの年)に移転してきたのですが、当地区から転出した農家は、ほとんどがアパート経営だと聞いています。(それが今はどうしてるかは知りませんが)
    重労働できつい農業に立ち向かうには、機械化が必須だったのですから、お父様は凄い先見性の持ち主ですですね、すばらしいn
    ところで、「大地の男?」は「大地の侍」ではなかったでしょうか?小説石狩川の映画館向け作品ですね。「石狩川」のタイトルでは、昭和43年の北海道開拓100年を記念して、連続長編ドラマとしてテレビ放映されていました。私はよく覚えてはいませんが、当時父と母が食い入る様に見ていました。
    さてこの「大地の侍」、、本庄睦男作とは、別の作品も
    あります。それは長沼開祖の初代村長吉川鉄之助が明治時代岩手県水沢村から渡ってきて、札幌に近い馬追原野を開拓するという演劇です。明治期の水沢村は現在は奥州市となっていますが、当長沼町とは初代村長の出身地ということで、姉妹都市となっています。詳しくは
    ユーチューブで「吉川鉄之助」と画像情報で「大地の侍」を検索してみて下さい(是非)。ユーチューブでは、主人公鉄之助が、先程のクラーク博士と対面した場面や、私たちが昔通った学校跡地の記念公園も出てきます。nora様も是非みて下さい、北海道開拓の一場面です。j
    実はこの情報、ネット上に配信されていたのを最初に
    発見したのは、長沼町では私が(またしても私が)最初です。寝ても覚めてもネット三昧の成果です。
    そういうことですから、「大地の侍」観劇に行くため仲間を集って、来月五日に岩手県奥州市に行きます。

  144. hokkaidoujin様 nora様
    お早う御座います
    興農園様の隣にヤンマービル有りましたね。駅前角にお土産屋の西村商店、隣がパチンコ屋・・。
    札幌駅改札口左に階段 2階にレストラン・・入りたくてもお金が無く何時か必ずと思いつつ・・。地下にニユース映画専門劇場で憂さ晴らし・発車迄の時間つぶし。

    古い話ですいません。
    高校入学2年前に父は農業を完全に辞め当別町内に自宅兼新店舗。それまではは祖父宅で農機具販売と農業。
    父は機械好きが高じて農業をやりながら農機具販売を。
    田舎の親父としては新し物好き。(無声映画の映写機やフイルムを購入)本好き。歌舞伎好き。機械好き。

    札沼線で当別~札幌。札幌駅前からバスで豊平川を渡り中の島、北海道工業高等学校まえ。入学当時3期か4期生で出来立てほやほやの高校。経営母体は自動車学校で卒業時には全員運転免許証が取得。私は悪い事に3月卒業時18歳に達せず自動3輪免許のみ。経営母体が自動車学校で北海道工業高等学校と北海道自動車短期大学を。
    北海道工業高等学校は工業経営科2クラスと自動車科1クラス。私は工業経営科。授業内容は自動車整備・簿記珠算3級取得。酸素・アセチレン・電気溶接免許。自動車科は卒業までにガソリン3級整備士国家資格取得。今 思えば変な学校でした。当時当校は就職率100%に近かったと・・地方からの集団就職全盛期でしたから。
    私の工業経営科から 今、北海道経済界で一番の方がいます。「ニトリ」の似鳥昭夫様。全学年での珠算大会で1番。その位しか記憶が有りませんが・・。 何故、どうして・どうやって・・?。
                     又遅くなりました。

  145. noraさん isao andoさん
    光回線が復活で、投稿バッチリです
    noraさんに、札幌近辺の、農業機械屋さんの変遷を、やや詳しくご説明致したいとおもいます。ソースはトラクターの館の進言者のアドバイスと私の思い込みの両方です。違っていたらあしからず。
    北海道の開発に強い影響をおよぼしたのは、クラーク精神ですが、そのクラーク博士の授業を受けたのは、札幌農学校の一期生だけです。二期生以降はクラーク精神の余韻の受け手といえます。(私見)
    二期生は内村鑑三や新渡戸稲造が有名ですが、新渡戸の後輩に当たる小川二郎は札幌與農園という農業資材販売会社をたちあげました。創業時には新渡戸の助言が度々あったようですが、生活雑貨の輸入販売も手掛けていました。その会社が五番館で、両社を合わせて五番館與農園とも称しても居たようです。つまりデパートが農機具や種も売っていたのです(ほかに自動車部門もありました)。札幌駅前をでた左手に、その五番館と札幌與農園にい囲まれる様にヤンマービルは、ありました。(バブル期まで) この五番館グループは戦後の一時期まで、かなり、隆盛を極めました。自動車部はやがて札幌トヨタとなり、責任者はスター農機にも転出したということです。
    しかしデパートはだんだん、振るわなくなり、西武グループの支援をうけ五番館西武としてリニューアルしました
    その時がバブル期で、駅前のヤンマービルと與農園店舗つまり、土と油に関係する会社は札幌郊外に移転しました。五番館西武はやがて札幌西武となったのですが、バブル期以降振るわず、やがていつの間にか建物は無くなりました。いま札幌駅近辺は本州資本の電器店でいっぱいです。、、、、、、、以降は後日に

    與農園は農機具部門はインターナショナルハーベスタ社の製品を主に扱っていたのですが、トヨタやDBのトラクタも一時期販売していたとのことです。(DBの件はando様の話と一致しますね。)しかしこの部門も平成になったある日突然、井関北海道の傘下となりました。

  146. isaoandoさん こんばんは

    読者家なんかじゃありません!! たまたまです

    開拓というものにも少しだけ興味がありますし
    「石狩川」読んでみます
    人に勧められると、読んでみたくなるものですね

  147. nora様  お早うございます。
    凄い読書家ですね。
    横道にそれますが少々お付き合いを・・。
    私の生まれた当別は石狩平野開拓団の始まりの地です。
    仙台藩支藩岩出山の伊達邦直家臣一行が明治2年頃から3度目の開拓地変更でやっと入植できた場所です。
    伊達邦直様の孫かひ孫が同級生で家に遊びに行くと葛籠・槍・鎧・兜があり興味深々で度々遊びにいきました。
    詳しくは 当別出身の作家 本庄陸夫氏の小説「石狩川」を是非読んでくれませんか・・。当別・石狩平野開拓の序文にしかすぎませんが・・。
    東映で大友柳太郎主演で映画化されいます。「大地の男?」中学生の3年頃だと思いますが見ました。昭和31年頃?。
    色々検索したところ「幻のフイルム」2セットのみで1セットが当別町の保管。
    本庄陸夫氏の小説「石狩川」で検索すると色々記載があります。石狩川の歴史  江戸・明治・大正・昭和  。
    先の泥炭地は石狩川に沿って広域に広がっていたらしく
    昭和初期からすでに私の想像以上の大規模土地改良が行われていたとの事で「井の中の蛙」でした。
               とんでもない時間・・。次に。

  148. hokkaidoujinさん おはようございます

    当時は農家に金属でできたものは、耕運機と、鍬鎌、屋根トタンくらいでした。50年経ったいまは、
    農具はほとんど金属製、捨てるのに困っている程です。

    と、いうことは昔はほとんど木製だったということでしょうか・・・
    今は金属もそうですが、プラスチックがかなり含まれていてもっと処分に困りそうですね

  149. saoandoさん おはようございます

    今、泥炭地は有りません。
    昭和30年頃から国の土壌改良政策が始まりその痕跡もありません。排水構・暗渠・客土等 かなり大きな事業として行われたようで機械見たさに時々見に行きました。
    (当時はブルトウザ―です)。

    知ってます!知ってます!
    丁度、1ヶ月くらい前に『ブルドーザ物語』という本で読みました
    泥炭地のようなところで埋まらずにブルドーザを走らせる苦労話がたくさん載っていて、とてもおもしろい本でした

    日本特殊鋼金属の社史のような本ですが、『ブルドーザ物語』(河村正弥著 1967)というものです
    元々はここのコメント欄で教えていただいたのですけど・・・

    https://oba-shima.mito-city.com/2014/03/08/ntk4/

    なかなか図書館にもないのですが、近所の図書館で「『ブルドーザ物語』を読みたい」といったら
    室蘭工業大学の図書室から借りてきてくれました
    もちろん無料でです

    ごめんなさい!小樽商科大学でした!!!

    図書館は知りたいことを調べる手伝いを全力でしてくれるところのようです

    開発された方の私情が生き生きと含まれた本で、すごくおもしろかったです

  150. noraさん isao andoさん
    またまた光回線が調子悪いもので、スマホでみていましたう。ⅯF1700様の事、ストリートビューで見られるとは、、、、スマホでは、ジャンプが難しいので、回線復帰後に、検索したいです。
    私はando様の十才下のようですので、油障紙温床は見た事はありましたが手伝った思い出は、ありません。
    農作業を手伝い出したのは、さきの東京オリンピックの 年からです。当時は農家に金属でできたものは、耕運機と、鍬鎌、屋根トタンくらいでした。50年経ったいまは、
    農具はほとんど金属製、捨てるのに困っている程です。
    nora様は、札幌近辺の機械屋さんの事情は、ご存知ないと思いますので、後日やや詳しく説明させてもらいます。それと北海道の農業機械の歴史に詳しい先生(土の館・トラクターの館をスガノ社長に提唱した先生)に
    このブログ検索を勧めています。雑誌・農業経営者の常連ですので、ご存知かもしれませんが、、、、
    スマホでここまでかくのは、ホントしんどいです。
    ではまた、後日。光回線復帰の日に

  151. すいません。
    話を元にもどします。
    小学生頃の住んでいた処は石狩平野の当別で専業農家。主に稲作。付近一帯は殆ど水田。野菜類は自己消費分。他に飼料用デントコーン。
    馬が2頭いてプラウ作業やしろかき・運搬用。
    稲作の苗は紙に油を塗った障子で温床を作り直播き。確か1ヶ月位で15センチ位。
    しろかき後に板で田んぼを水平にして排水。コロで線引。
    当時は「でめん」という隣近所の互助作業方式があり田植え・稲刈りがこの「でめん」で。
    当時機械といえばヤンマーエンジンででかいホイルのついた発動機。平ベルトで脱穀機を回して・・。籾摺り機。そして耕運機。
    先に「泥炭ご存知ですか・・」と聞きましたが・・。
    当別に近くには泥炭地が広がっていました。雑草が堆積され土になる手前の湿地帯。乗るとジメジメフカフカ。
    稲刈り後に泥炭地に行き30センチ角に切り出し作業。
    それを天日乾し。完全に乾燥すると良く燃えこれが
    当時の貴重な暖房源。冬の間、泥炭ストーブで煮炊き・暖房。
    先に書きました 当別に戦車がやって来た頃です。
    今、泥炭地は有りません。
    昭和30年頃から国の土壌改良政策が始まりその痕跡もありません。排水構・暗渠・客土等 かなり大きな事業として行われたようで機械見たさに時々見に行きました。
    (当時はブルトウザ―です)。
                  又、夜中です。

  152. お早うございます。倉庫の中に有るのが10年前のマッセイファーガソンで9月に寄り話をさせて頂いた時には新しいマッセイファーガソン1700が入っていました。
    10年前のMFと新しいMF1700を比べたら1.5倍位大きく
    高級欧州車並みの装備ですべて自動・コンピュウター制御。MF1700様が話していた1年かけてのテスト走行の意味がわかりました。そう簡単には操作の全てを習得できないみたいですがMF1700様はやる気満々でした。
    hokkaidoujin様なら10年前のMFと最新のMF1700の違い分かるはずですのでhokkaidoujin様にもみて頂きたいですね。

    さて、話をもとし

  153. noraおはようございます。
    先日MF1700様の事を話しましたが少々追加で・・。
    グーグルマップで国道227号線検索し七飯町(函館方面)から厚沢部町(江差町方面)の丁度中間位。鶉川(ウズラ川)の大きな湖先。(ここからストリートビューで)
    国道に面して左手に鶉ダムオートキャンプ場入口看板があります。その先1キロにMF1700様・・。勝手にみて申し訳ないですが・・。
    先日思いだしながら検索しました。
    見つかりました。ストリートビユーは14年9月で表示で新しいMF1700は納車前・・10年前のFMが映っています。大規模農家ではないようですが・・。
    暇なときに見てください。

    桧山郡厚沢部町はジャガイモの品種メイ―クイーンの発祥の地域らしいです。又、厚沢部町は明治維新前から開拓されていたようで旧幕府軍と新政府側松前藩の古戦場が・・。

    MF1700様が「山間部で傾斜地が多くトラクターや機械でなければどうにもならない・・無ければとっくに辞めている・・」と言っていました。でも素晴らしい方でした。特に子供達への配慮。農業の将来に不安を抱きながら。
    2時間アットいう間に・・引き込まれました。
                     近日中に又・・。         
                      

  154. isaoandoさん おはようございます

    アストンマーチンはDBだったのですか!
    DNAは引き継がれているのですね

  155. hokkaidoujinさん おはようございます

    現北海道人と元北海道人が、そちら様の投稿欄で色々と
    語り会う御無礼をお許し下さい。

    まったく問題ありません

    盛り上がっているお話を、耳をそばだてて聞くイメージです
    思い入れのあるお話を目にしたり、耳にするのは(文字で書かれていますが、僕としてはこちらのほうがしっくりきます)とても興味深いものです

    50台も扱っていらっしゃった!
    できればお目にかかってお話をうかがいたいものです

  156. noraさんhokkaidoujinさん今晩は。
    古い話にお付き合いお願いします。newhollandはご存知のとうり北海自動車様のトラクター部門が別会社となりアメリカフオードとの合弁会社に発展。その後日本ホーランドに。
    当時のデビットブラウン工場やブランドがとうなったかは不明ですが・・。DBの倒産時 系列会社としてアストンマーチン社がありました。エンパイヤがトラクターを輸入していたある時、トタクターの梱包箱の中にアストンマーチン新車のカタログが・・。007のボンドカーとして使われた少々前?。その後アストンマーチン取り扱いについて少々の交渉があったみたいですが米車全盛期で没。
    フオードは倒産後のDBのオーナーをフオードに役員として招聘。倒産会社のオーナーを役員として招聘など普通なら考えられない事ですが「何かひきつけるもの」が・・。
    以来フオードはアストンマーチンを取得し現在も経営中。
    現在迄のアストンマーチンにもデビットブラウンの流れがひき継がれています。お分かりとは思いますがアストンマーチンのシリーズのDB4/DB5/DB6/DB7・・と。
    今年の6月に千葉県内のユーザーにアストンマーチンバンキッシュを納車。アストン赤坂の担当者と雑談中にカタログの件を話したところフオードは旧DBオーナーに敬意を表してフオード傘下のアストンマーチンは今も「DB」ロゴを使用中との事。旧DBオーナーの人柄が良かったのではないかな・・とおもいます。そんなオーナーの指揮下で生産されたデビットブラウントラクター良いトラクターです。
    ヤフ-の評価みたいですが・・。
    case-newhollandにDBの面影・・。難しいですね。
    case-newhollandはフオードの傘下
    アストンマーチンもフオードの傘下
    形は変われどDBは続いています。

    私は18歳でDBに出会い54年経過しました。
    9月に千歳から千歳迄1300km走行中、赤いトラクター見ればDBではないかと車を止め確認しに・・。
    まだまだ頭から離れずです。

    札幌興農園農業機械部門の記載に井関札幌とありましたが・・。
    当別に00農機商会・江別に00商会・札幌白石に00農機販売と言うイセキの販売店がありました。
    この3社が合併して札幌イセキ販売を設立。
    当時、北海道には井関農機進出しておらず。
    確か井関は島根県。営業兼メカが当別に来ていました。
    当別は私の親父と兄。
    札幌イセキ販売からどの様に改革・変化してきたかは不明ですが・・多分井関札幌の始まりではないかな・・と思っています。   又12時過ぎましたので後日に・・。

  157. 追伸
    札幌駅前には五番館と與農園の間にヤンマービルがあったのですが、先程の町村牧場の江別市街横が流通団地となり、そちらに引っ越しました。元牧場の田舎に来たのですから、農家には便利になりました。道央圏道路と高速道路が結ばれれば、船便や航空便の利用にも良いという事です

  158. DB社の機能が生きているかわかりません。
    しかし古いDBは、自分でもエンジン交換やクラッチ交換、油圧調整もできる様になりました。(勿論我流ですが)
    おかげで、DBは今まで、50台程中古を売ったりもしました。
    これまでの50年で、札幌近辺では、五番館は7~8年前になくなり、兄弟会社の札幌與農園は農機部門は
    井関北海道に吸収され、園芸部門だけ残っています。
    (昔の農機具には販売元、五番館與農園と書かれた物もありました。DBも売っていたそうですね)
    丸井今井も乱脈経営の社長は飛ばされ、金市館はラルズ
    社となり、中川ライター店もこの春閉店しました。
    ラーメンの三平はいまでも、健在です。
    新千歳空港~当別までは、道央圏道路(国道337)が
    出来れば、一時間位で着く様になります。全線開通は8年位後のようです。(長沼~江別間ができていない)

  159. noraさんへ
    現北海道人と元北海道人が、そちら様の投稿欄で色々と
    語り会う御無礼をお許し下さい。
    お二人とも、九月のシルバーウイークには、来道されて
    居られたのですね、いつかお会いできる機会があればと
    思います。
    それまで機械の事や、身の上話を語り会いましょう。
    iso andoさんへ
    私が白いDBを初めて見た時から五十年位たちますが、その間、販売会社も倒産したり、新会社になったり、製造元のDB社がなくなったり、色々ありました。
    今は、case-newholland社になっているので、どの機種に
    DB社の

  160. isaoandoさん おはようございます

    山葵さんのように遅くまでラジオを聞いているのでしょうか・・・
    北海道一周計画は残念でした
    確かにご家族は心配されるかもしれませんね
    単車は確かに危険な乗り物ではありますが、年齢とはそんなに関係ないと思っています
    一番良くないのはいきなり何かをすることですから
    少しずつ楽しまれるのが良いと思います

    その先にまた北海道一周がでてくるといいですね!

  161. hokkaidoujinさんへ
    長沼とは・・いつもすぐ横を走行していたみたいです。母と兄が江別に。2~3年毎に千歳~北広島~野幌運動公園経由で江別に。道筋玉ねぎ・じゃがいも農家多いですがやはり一軒にトラクターが3~4台と付随機械が色々。購入資金・維持管理費等、大変だとおもいます。
    DBの現役車使用中との事、その他色々・・是非拝見したいです。次回江別に行くときには寄らせてください。

    昭和35年頃札幌駅前に札幌興農園(?)様と言う代理店様に拡販の協力を頂いたと記憶しています。記憶に御座いますか・・。丸井百貨店・金市館・五番館・雪印パーラー・札幌劇場・狸小路の三平食堂(味噌ラーメンの元祖)・中川ライター店(鉱石ラジオや模型ヒコーキ等の販売)等は・・。

    白石~野幌~江別にかけて景色は50年ですっかりかわりました。
    街並みではなく景色です。
    札幌駅前から苗穂・白石・厚別・野幌・江別と国道12号線をBDで自走し江別に。
    野幌から江別にかけて町村牧場様の広大な牧草地があり
    デモストレーションに。
    少々50年前の話にお付き合いを・・。

    noraさんへ
    モトクロスフェステバル如何でしたか・・。
    私も高校生時に学生帽にジャンパー・ジーパン・ゴム長でホンダのベンリ―(?)125CCを親父の車拝借で乗り回していました。
    5年前125CCのスクーター(ヒューリー?)貰い加修して北海道一周を計画したのですが途中で挫折。
    体力的に無理と言われて・・家族の反対大。
    話があちらこちらとびますがお付き合いを・・。
        遅くなりましたので次回はやめに投稿します。

  162. hokkaidoujinさん おはようございます

    いつでも書き込み歓迎しています!DB以外の書き込みでも構いません
    最新の記事はhttps://oba-shima.mito-city.com/で見られますので
    そちらもチェックしてみてくださいね!
    スマホだと少し見にくいかもしれませんが
    右端中程に最新のコメントというくくりがあります

  163. 岩見沢農高に通いました。デビッドブラウンは岩見沢近辺や北長沼の玉ねぎ地帯で多く、導入されていました。
    二段ptoと便利な油圧装置が受けたようです。
    和名新帝国〇〇は当たりだったようですね、赤いDBの
    カタログを翻訳した訳語でした。

  164. noraさんへ
    しばらく、ご無沙汰していましてすみませんでした。
    光回線が不調でしたので、スマホでみていました。
    指が太いので、文字を打ってもミスばかりでしたので
    投稿出来ませんでした。あしからず。
    お二人ともしばらく、投稿されてなかったのはnorintenをだしたのが、原因かと反省していました。
    isao andoさんへ
    当別出身でしたのですね、私は今は合併拡大後の岩見沢の隣町の長沼の住民です。高校は昭和43年から3年間
    岩見沢農高

  165. isaoandoさん おはようございます

    マッセイファーガソン、稲作地帯では見ませんが、ちょっと高いほうではたくさん動いています
    (最近は飼料稲を作りに、高いほうからこちらへ出張しているのも良く見ます)
    確かに機械が高いので、先が見えない場合はローンは恐ろしい・・・という気持よくわかります
    色々な要素が絡み合っている農業は、自分一人ではどうにもならない課題も抱えていて、本当に舵取りが難しそうですし、きっと正解はどこにもないのでしょうね

    考えてみればほんとうは誰もが先はわからなくて、自分一人ではどうにもならない課題も抱えているのだと思うのですが
    困った状況も自分にふりかかったものでなければ人ごとと捉えて、考えないようにしているだけなのかもしれません

    厳しい中でも自分のやりたいようにてきているMF1700さんはステキだと思います

  166. hokkaidoujin様
    投稿内容にて自己紹介はほぼお分かりとおもいます。
    少々追加です 私は昭和18年生まれで72歳になろうとしています。小・中学校は当別で高校は札幌中の島にありました北海道工業高等学校。現在は名前が変わっていますが通称[どんこう]当時入学金と授業料が道内一高いといわれていました。今はとんでもない名がついている札沼線、太美から新琴似の間無人駅一つ・下りは中小屋・金沢?。たびたび廃線と言われていたのに・・・。今医療大学が立っているところは確か平山牧場?、よく当別より歩きで当別川のつり橋を渡り牧場横の雑木林へ「こくわ」」「山ぶどう」取りに・・。高校卒業後にニューエンパイヤモーターに入社。投稿期待。岩見沢在住ですか?。

    noraさん そちらでマッセイファーガソン利用している方いらっしゃいますか。ある農家に寄りました.19日土曜日江差・厚沢部町から大沼公園の途中 トラクター3台洗車中の方にトラクターを見せてほしいと依頼。なんと機械庫の中にマッセイファーガソンの新車。 昨年10月マッセイファーガソンMF1700を購入。1700万、4連プラウ300万.ローダー200万。その他諸々で2500万。現在1年かけで操作テスト中、慣れてきたのでそろそろ本格的に使用開始との事。今の農業家はこれが普通なのでしょうか・・・?。ローンと聞いたら現金・・何故と聞いたら
    現在68歳でせがれに借金残したくない。自分の代で農家終わっても構わない。自分が死んだらせがれの好きなように・・だから借金だけは作らない。農協にも。自分が農業出来る間は楽に楽しくやりたいから購入。
    色々話聞きました。後継者問題・農協問題・国政の対農業施策等。農業も大変ですね・・。
    夕方4時から話初めて気が付いたら真っ暗、写真撮るのを忘れてしまいました。いい情報 近所の友人でDBを使用
    中との事。ただ仔細時間切れで聞けず。機会あれば再訪問希望・・。元気ならば・・。それではまた。

  167. isaoandoさん おはようございます

    レンタカーで1300km! おつかれさまです!
    hokkaidoujinさんとisaoandoさんのDB談義、傍らで聞いてみたいです

  168. hokkaidoujin様 nora様
    遅くなりすいません。10日も空けたら整理が大変。」
    連絡頂いた18日は2時に千歳着でレンタカーで江差に向かっていました。わたしは当別町対雁出身です。今の当別墓地近く。 当時わたしが勤務した会社は ニューエンパイヤモーター(株)です。もう少し早く知り合いになれていたらお伺い出来たのに残念です。22日に当別にいきまして旧友にあい23日当別にお墓詣り。BDが実働しているとの事是非お伺いしたいです。今回千歳・森町・江差から大沼公園・札幌から石狩港、厚田町・浜益・材木沢・太美 江別から岩見沢・三笠湖・富良野・占冠・千歳 。 レンターカーで1300キロ。目的は釣り人とトラクター。凄い農家に方にお会いしました。報告は早めにします。是非DBの情報交換を。

  169. hokkaidoujinさん おはようございます

    NORINTEN、何のことかと思ったら小麦農林10号のことなんですね
    まったく知りませんでした
    まいっちゃうことに世の中は知らないことだらけです

  170. カテちがい、スレちがいですが、仲代達矢主演の映画
    norintenを見てください。
    主人公の生地富山や北海道の情景が見られます。
    詳しくは、NORINTENを検索してください。
    私の町もロケ地です。

  171. hokkaidoujinさん おはようございます

    たぶんお忙しいのでしょう
    気長にチェックしてみてくださいね
    よろしくお願いします!

  172. noraさんへ
    ありがとうございます。がんばります。
    ところで、isaoandouさん投稿されなく、なりましたね
    私がシャシャリでてきたからかな?
    デヴィッドの情報交換したいですよね

  173. hokkaidoujinさん おはようございます

    きれいにレストアされたよそ行きのものもいいですが
    使いっぱなしそのまんまのものも味があっていいです!

  174. 追伸
    そんなことですのでⅯFサービスマンから、ⅯFに乗っていても、あなたの心は、ⅮBにあるといわれます。

  175. noraさん、夜十時を回りました、夜中に失礼
    ガラクタ級の機械ばかりですので、見せられるようなものでは、ありません。よそで手に負えなくなったものを
    どうにか、直しての現役稼働です。
    主力戦闘機は、キャビン仕様のⅯFやクボタです。
    ガラクタ級はほかに芝浦が3台あります。
    DBの改造機はハイクリアランス仕様、リフト用リバーススペシャル仕様、ハーフクローラ無理矢理装着仕様等ですが、半完成の物が多いので褒められたものではないです。しかしきちんと完成した暁には、イギリスの
    DBトラクタークラブを訪問して私のコレクションを
    お見せしたいとおもってます。(いつになるか?)
    あと、自分でデザインしたDBオーバーオールも隣の
    お嫁さんに作ってもらったこともあります。(背広一着分より高かったので、家内にきつく言われました。高かったばかりが原因では無かったかな?)
    そんなようなわけの、自称北海道一のデビッド気違いです。

  176. hokkaidoujinさん おはようございます

    可動品十数台!!!
    是非是非見せてもらいたいです!

    おっしゃっているのは薔薇のバッジの件でしょうか?
    ただネットで調べたことを並べただけなので僕が詳しいわけではないのです

    これからもよろしくお願いします!

  177. isao andouさん 今晩は
    そちら様の会社は、日本名でズバリ「新帝国原動機さん」でしょうか?
    佐藤造機様以前のⅮBカタログに,ニュー〇〇という販売会社が載っていたのを、思い出しました。
    当方も岩見沢近辺がワークフィールドですので、若い時には、至近距離にいらしたのでは無いでしょうか?
    しかし赤いⅮB1200は知りませんでした。
    こちらには、赤いⅮB850を再生して保管してます。
    知り合いには、北海道大学農学部から出た赤い990を
    大事に持っている人もいます。

  178. noraさん 今晩は
    長らく、ご返事をまってました。
    当方のデビッドブラウンは、トラクターという状態では
    なくて、ガラクターと云うに相応しい状態です。
    しかし可動品十数台を持っています。
    主にブロキャス、ドリル、カルチ、スプレーヤ等に
    一台ずつ取り付けて使っています。
    改造もかなりやっています。
    自称db通と思って居ましたが、そちら様の情報は素晴らしく詳しいので大変敬服しております。
    製造会社の紋章にまで、説明頂きまして、大変納得しました。
    ところで、連休中は来道されていたのですか?

  179. hokkaidoujinさん こんにちは

    訪問&コメントありがとうございます!
    是非機会があったら、現役でかわいがってもらっているデビッドブラウンを見に伺ってみたいです

  180. noraさん
    夜中に失礼します。
    そちらの農地、水、環境保全組合では、楽しい情報を
    発信しているんですね。機械が大好きなので、面白く
    読ましてもらっています。

    isao anbo さん
    初めまして
    当方は、生まれも育ちも石狩平野の現役農家です。
    デビッドブラウンも現役稼働してもらってます。

  181. isaoandoさん こんばんは

    一回だけ鵡川のシシャモの握りを食べたことがあります
    大抵、時間とお金がないのでいわゆる「名物」というものには縁がないのです
    ただ空気を吸っているだけのようなものですが、十分「北海道」の感じが味わえます
    実際、北海道なわけですしね

    貝とカレーはちょっとばかり苦手ですが、おいしいものなら食べられるかもしれませんね
    もしどこかで見かけたら、食べてみます

  182.    追伸 
       苫小牧のカレー名  ホッキカレー  
       わたしの記憶   違いかも・・。

  183. すいません。先日の名前 萱野茂様です。若い時から先住民族の地位向上・規制解除とうに尽力された方です。
    私は40年前位前に家内と子供3人で初代資料館で萱野茂さんにお会いした事が有ります。当時は平取町二風谷は砂利道で前に車がいると砂埃の凄い道路でしたが今は良くなっているみたいです。伺ったのは8月ごろでしたが横の谷底を流れる濁流を見ながら二風谷の方は何故こんな辺鄙な処に生活を続けるのだろうかと・・疑問に思った記憶がありあたまの中にこびりついています。たしか今は資料館と民族館の2か所あるはずです。
    私も9月23日墓参りに帰省いたします。北海道のお勧めは鮭の遡上川を探して遡上に立ち会って見てください。以前私は増毛の手前・浜益町で見てます感動しました3度も。

    今年はお墓参り前に江差町に行く予定です。19・20日に江差追分全国大会が有り森町から江差町に行く途中に鮭の種卵所があるとの事で立ち寄ります。是非・是非。

    道中気を付けて。大洗から苫小牧迄フエリーで?もし苫小牧寄るなら苫小牧一押しの赤貝カレー賞味を。ダメならレトルトでも販売されています。
    あとうまいものではホタテの燻製・大粒のホタテを柔らかいまま燻製にしたもので 串に2~3個刺して売っています。シーズン外かも・・鵡川のシシャモ・・・・・。 
    何時出発ですか・・?。
          

  184. こんばんわ。
    先に屯田兵の事を書きましたが少々追加を。
    江戸時代末期は松前藩が北海道を管理していた事はご存知とおもいます。その時代先住民の方達にひどい抑圧をしていたそうですが時間が有りましたら調べてみてください。
    要は征服者として非人道的な扱いえをしていたとの事です。
    それと先住民族の方で国会議員になられた菅野様がいます。是非検索してください。明治前後の北海道がわかります

    明治に入り本州からの権力者、藩閥・軍閥・財閥が全ていいとこどり。先住民の人達は奥地か僻地に追いやられ漁場の制限、移動の制限・耕作地の制限・和人との交流制限・ひどいのは鮭の漁獲数まで制限したそうです。天と地と海の恵みを受け自然と共存していた先住民の方達は不毛の地でひどく苦労していたと聞いています。
    屯田兵と言うのは正式名では無く開拓団です。北海道に入植した方は旧幕府方諸藩の領地没収された方やその後の廃藩置県で領地や地位・土地等を失って新天地を求めていた方達が北海道に。明治政府には一石二鳥。開墾と屯田兵。
    開拓団の方々は入植してから50年要して現在の基礎を固めたと聞いています。
    「泥炭地」聞いた事あるとおもいますが・・。どんな土かわかりますか・・。        
          眠くなりました。今日はすいませんこれで。

  185. isaoandoさん おはようございます

    そうですね。大洗の原研には発電していないので原発ではないですが、(原発というと原子力発電所の略ですから)
    小さな研究開発炉が3つあります

    安価に水素製造ができるのではないかと研究している高温ガス炉HTTR
    それから増殖炉の研究と照射試験を行う高速実験炉「常陽」
    沸騰水型の材料試験炉JMTR

    それぞれ構造の違う以上の3つがあります

    うちからも常陽かJMTRの煙突が見えます

    今はどれも運転していませんし、原爆のように爆発はしないと思いますが
    福島のことを考えると地震の際はやはりひやっとしますね

    普段から情報収集と勉強はしておかないとイザという時に判断がつかなくなる・・・とは感じています
    最終的に自分の身を守るのは自分でしかないですものね

    isaoandoさんの体験は教科書などで点でしか教わっていない僕から見ると生々しく、とても興味深いです
    北海道のことは教科書の知識以外まったく知らないので軽々しいことは言えませんが
    北海道の山や川を見ると「神様が住んでいそうだ」と、よく思います

  186. あっという間に半月過ぎました。日々時間経過の早いこと・・
    今、原発が問題になっていますがたまに水戸にいく途中 大洗をとうります。手前に原子力研究所がありますね・。皆さん不安は・・。
    私は側をとうるたびに事故が無ければいいが・・と思っていますが・。心配しています。

    原爆の写真展見た事ありますか・・?
    私は小学生の時に写真と映画を見せられました。
    とても言葉では表現できませんは悲惨でした。
    東電やその他は津波のせいにしていますがいずれ事故は起きるでしょう。
    なんとか止めなければ
    小学正の時に見た原爆の「悲惨」それがトラウマとなり数年 夕焼けで空が赤く染まったとき・・強風で空が泣いている時・・ヒコーキ雲が見えた時・・またどこかに原爆が落ちたか落とされたか・・と子供心に恐怖心で急ぎ自宅に戻った事がたくさんありました
    次の世代には味合わせたくないものです

    小学5年生前後頃私の町に米軍の戦車が3台やってきました。その時の驚きは今も鮮明です。16輪トレーラーに積まれてきたのです。30キロ位の距離に阿蘇岩という山があり陸軍の監視・レーダー基地の接収に来たのです。多分ソ連が北海道の半分を占領下に置きたいと参戦の条件に出していたための防止策か朝鮮戦争に対応する為でしよう。馬からやっと耕運機に変わろうとしていたころでその大きさ、無骨作、タイヤが自分の背丈と同じ位の記憶?。
    昔のニユースで見たことのあるシーン 米軍人からキャンデーやチョコレート等貰う場面。わたしはジャムの缶詰を
    貰いましたが悲しいこと缶切りなど知る由も無くハンマーでたたいたら飛び散りほんの少々ジャムを初体験。
    今、思えば耕運機と戦車ではあまりにも違いすぎます。

    既に皆さんご存知と思いますが北海道の開拓はまず対ロシアという名の元に屯田兵育成で開拓振興され、旧幕府側の救済事業としての開拓事業で開墾されました。
    開拓がはじまり130年位たちますかな・。それと重量な問題が隠されています。それは先住民族の方々に対する同化政策強化です。明治政府は北海道で相当ひどい事を・・。

    先日北海道の県会議員?が日本には先住民族などいないと無知な発言をしました。これは非常識で大きな間違いです。北海道の山や川は70%がアイヌ語か、由来で命名されています。この県会議員の発言は北海道人として非常に残念で恥ずかしいです。

    すいません。今日はこれまで。

  187. isaoandoさん おはようございます

    50年ですか・・・・
    その間にトラクターもずいぶん変わりましたし
    世の中もずいぶん変わったでしょうね

    学校から遭難の危険がある道を7キロ歩くなんて今では想像できないです

  188. すいません。まだ現役の外車販売屋です。この1ヶ月納車や引き取り多く多忙でした。私は輸入車業界ですでに54年経ち関東近辺飛んで回っています。トラクターで4~5年でその後はフオードやランドローバー・プジョー・シトロエン・サーブ・ポルシヱ等の営業に携わり約50年です。
    さてそもそも何故、北海道石狩平野のど真ん中生まれが半世紀も外車販売に携わったのか・・・?。
    私が小学生の頃、農家でまだ馬が主役でした。当時の石狩平野は水田が殆どでした。冬は150CM位の積雪があり朝、積雪で玄関が開かないのがたびたび、今は積もらないそうですが確か2月か3月頃 水田と思われる場所の雪を円形状に1.5m位掘り下げ堆肥を投入。私の背丈以上の深さで自力での這い上がりできずでした。温暖化は凄いはやさで影響がではじめていりようです。3年前の9月末岩見沢近くを走行中に驚きの景色。サクランボの観光農園開園中。後で分かったことですが秋田・山形のサクランボ農園が温暖化のよる将来に危機感を覚えサクランボの試験移植を進めているようです。水戸近辺はいかがでしょうか。
    2~3年前北海道帯広か近くででも猛吹雪で小屋の前で亡くなられた痛ましい事故がありましたが私の小学生の頃は
    普通でよく集団下校がありました。学校から自宅迄7km自宅の4km手前から吹き晒っしで道がない。道しるべ用の木を頼りのズボスボとラッセル歩き。長靴の上部分に雪が入らぬよう紐で縛り雪の上を這うような感じです。友人の孫に聞いたら笑われました。
    50年の環境変化はすごい。  また近日中に・・。
         

  189. isao andoさん おはようございます

    出来れば一度デビットブラウンと対面したいとの夢あります。関東近辺では無理でしょうか・・。

    対面したらどんな心持ちがするのでしょう・・・しかも自分が売ったものに・・・
    可能性はゼロではないですよね?

    給料を貰い・技術を教えて貰い・社会勉強させて貰い・新宿のど真ん中で試乗・・・本当に良い社会の仕組みです。
    今は人に対する見方がおおらかでなくなり、少し窮屈になっているかもしれませんが、考えようによっては同じとも言えます。

    せっかくこういうお話を聞けるのだから、その上で進化しなくちゃなあ・・・と、いつも思います。

  190. CAV社・・・。思い出しました。写真の上から3番目下から2番目のポンプです。良く写真見つかりましまししたね・・。本体後部に4本のパイプがあります。ここから各インジェクターに燃料が送られます。英国より到着するトラクターでまず一番にする作業が燃料をいれタンクから燃料ポンプそして各インジェクターまでのエア抜き作業。燃料は英国出港時に抜かれていましたのでエンジンかかる迄時間を要しました。入社当時主任メカによくドヤされました。下回りの点検締め付け注油やグリス注入、各オイル量の確認油、油圧機構の油量・漏れの確認、同機構ホース結合部分の締め付け等整備マニアルを参考に整備。その後に保安基準適合させるための改善作業。
    私が18歳で入社。昭和37年だと思います。54年経過。出来れば一度デビットブラウンと対面したいとの夢あります。関東近辺では無理でしょうか・・。

    当時虎の門本社と新宿支店があり機械課は新宿支店。当時新宿支店近くにはロッテの本社か支店あり。
    それとペトリカメラ本社。ペトリカメラを知ってる方は少ないと思いますが低価格で良いカメラを製造販売していましたが現在は消滅。付近はホテルだらけ。今、話題になっている大久保のコリアタウン近く。
    さて、点検整備・改善作業が終わると新宿のど真ん中でテスト走行・・・。痛快でした。
    佐藤造機様との関係は下記のとうりです。
    確か全酪連の指定受けていましたので当社がトラクター販売から撤退する旨、事前報告したところ全酪連様の仲立ちで国内販売権や在庫トラクター・部品・マニアル・特殊工具・人員4名を佐藤造機様に委ねました。当時の佐藤造機様は耕運機・小型トラクター・酪農機器・造園機器等の販売中でしたが当時は久保田・井関・ヤンマー・芝浦様が主流でした。佐藤造機様も追いつけ追い越せで受託したと思われますが・・。
    整備も慣れプラウ(土を起こす)・ロータリー(土を砕く)・草刈機(バリカンの横に長くしたやつ)デリバリーレーキ(刈った草を集めたり攪拌したりする羽根?)・ローダー(刈って集められた草を拾い上げ圧縮してサイコロ状にしロープで梱包)のを操作を松戸の大きな農場や妻恋の牧場とキャベツ畑でデモストレーションがてら実習。2年位で何とか独り立ち。

    一休みです。話を横道に。
    今、思えば良き時代でした。と言うのは35年から38年当時、中学生や高校生は金の卵と言われ集団就職全盛期でした。今時こんな話をすると笑われるかも知れませんが私は当時、「給料を貰い・技術を教えて貰い・社会勉強させて貰い・・・良い社会の仕組み。」と思っていました。   おかしいでしょうか・・?いまではおかしいですね。

    話が長くなりました。近日中にまた・・。

  191. isao andoさん おはようございます

    DBは白と赤同時に売っていた時期もあったのですね
    昔のナマのお話は興味深いです
    ヤナセがGHQ→政府→公認だったとは・・・

    DB1200の燃料ポンプ、CAV社のものではないかと思います(詳しいわけではないですが・・・)

    https://oba-shima.mito-city.com/2014/05/20/jd1020-4/#cav

    1904年CAV社→CAV-BOSCH社→CAV社→ルーカスCAV社→Delphi社

    こんな経緯の会社で、ロータリー式の燃料ポンプも作っていたそうです。

    画像を検索してみました
    多分全部DB1200いくつのものだと思います
     
     

     
     

     
     

     
     

     
     

     
     
    ↑これだけ770あたりのものですが、やはりCAV 社の製品が付いています。

  192. こんばんは。質問の回答から。当時当社の輸入色は赤とグリーンのみでした。当社で白を除外していました。農耕用としては白は受け入れられないと判断。当社より輸入代理店権利を引き継いだのが佐藤造機様です。わたしが入社後4~5年後ですが白が輸入されているとは知りませんでした。
    当時フオードソンは青・ジョンデアはグリーン。当社は赤とグリーンで対抗。インターナショナルも赤。マゥ セイファーガソンも赤。欧州トラクターではポルシエ・フイアット位しかお目にかかりません色は赤が主流でした。ランボルギーニのトラクターが日本に輸入されたと噂では聞きましたが対面できずです。
    当社が輸入していたのはDB1200タイプでエンジンは4気筒 3600CC のみでした。37年当時私の給料は11,500-。販売価格は記憶薄れですが多分180万から200万位かも・・。
    フオードのトラクターはフオードソンで統ー。欧州フォードのトラクターは輸入されていないはず。フオードの乗用車は2部門 リンカーンマーキュリーデビジョンとフォードデビジョンです。戦前横浜の子安に日本フオードのノックダウンによる組み立て工場がありました。当社の親会社が生産開始と同時に販売していましたが大戦前にフオードは日本より撤退。当然親会社も販売より撤退。
    戦後GHQ(解かりますよね)の軍属が日本に持ち込んだアメリカ車の修理工場を早急に立ち上げろとのGHQが日本政府に指令(指令です)そこで政府公認で立ち上がったのが ヤナセ様(品川で工場立ち上げ)と当社(親会社より独立した新会社として虎の門で工場立ち上げ)。ヤナセ様も戦前よりアメリカ車・欧州車等の輸入経験豊富な会社です。政府より指名された2社です。

    トラクターは戦後北海自動車様が輸入販売開始で現在に至っていますが何時頃から輸入開始したかは記憶なし。

    お願いがあります。
    現車があれば良いのですがなければ写真かご友人に聞いてください。
    1200 4気筒エンジンの燃料噴射ポンプ確認してください。他社の燃料噴射ポンプはボッシュタイプでデンソーの燃料ポンプと同一・用はピストンタイプの噴射ポンプです。デビットブラウンの燃料ポンプはロータリータイプです。ロータリーエンジンの様なポンプでした。これが故障せず燃料の分配効率も良く信頼性の高いポンプで当時は革新的とも言われたポンプでした。メーカー名が出てこない・・。当時私たちが胸を張ってデビットブラウントラクターの良さをアピールした項目の中にこの燃料システムが入っていました。まだ作動しているトラクター生きているでしょうか・・。  近日中にまた・・。

  193. NEM IAさん おはようございます

    もちろん先が聞きたいです。

    赤とグリーンということは、まだ白いトラクターじゃなかったころのお話ですね
     
     

     
     

    フォードとフォードソンは別のものだったのですか?
    それともトラクターはフォードソンで、クルマがフォードという分け方だったのでしょうか・・・

  194. 当時は北海自動車(札幌)のフオードソンがダントツで当社は後発組。北海自動車様新宮商工様国際興業様等が先発組。当社は私の入社時で5年目だと記憶しています。当時当社はフオードの日本唯ーの代理店が本業で米車の販売が主体。「これからの日本に必要な他業種に希望を」と考え農業に貢献できるトラクターの販売を開始。全国展開の為にまず全酪連の推薦を受け販売強化中でした。担当部署は機械課で課長・係長・経理・営業2人・メカとトレナーで3人合計8人。本業利益出過ぎも当課利益出ず肩身の狭い思いであり。英国デビットブラウンにオーダーし当時4~5ヶ月で到着。品川港で受け取り当社工場にて交通法規に合わせて加修。用はホーン・方向気・ライト光量・光軸・ナンバー灯・ブレーキランプ・フォグランプ等 一般公道走行可能な状態にする装備品の取り付けです。赤とグリーン。鮮やかなカラーでした。次回何故私が入社したかを書きたいのですが・・・。如何ですか・・? 宜しければ近日中にコメントします。

  195. NEM  I・Aさん おはようございます

    デビットブラウン 販売していらっしゃったんですね!

    「續ってなんだろう?」と思って調べてみたら「つづき」でした
    当時のお話が是非うかがってみたいです!

  196. 懐かしいデビットブラウントラクター拝見しました。佐藤造機が販売する前、私どもの会社が輸入販売の代理店でした。私は昭和38年から43年まで整備とインストラクターを兼ねており関東から北海道迄、展示会やデモストレーションの為に飛び回っていました。当時国産では耕運機が全盛期で大型トラクターはフオードソン・ジョンデアランツ・マッセイファーガソン等アメリカ製トラクターがほとんどでした。欧州車はポルシエ・フィアット・デビットブラウンです。  エンジン・油圧機構等素晴らしいトラクターでした。續は後日投稿します。

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