今日は昔のカタログシリーズ&田植機考古学。トラクター狂さんにご提供いただいた(いつもありがとうございます!)1979年、三菱のなんとも言えない形のMPR600/800のカタログと、クボタの乗用田植機乗る春風、MPR600を比べてみました。
覚えていてください。1979年のカタログです。
だんだん見慣れてきました。結構いいじゃないですか!これを見て最初に思い浮かんだのはクボタのブルトラアタッチメント的な田植機、(実際には簡単に変更できる代物ではないですが)SPR600です。
1976年クボタSPR600
動力田植機が生まれたのが1960年あたり。なんとなく普及しはじめたのが1970年はじめ。それからわずか5年で今度は乗用田植機の戦いが始まったということではないでしょうか?(その間行われた田植えはたったの5回!)僕はその先頭を切ったのがこのSPR600だと思っています。
SPR600から遅れること3年
SPR600から遅れること3年、クボタのSPR600とはよく見るとずいぶん違うことがわかります。ほぼトラクターのSPR600に比べ、当初「不細工」と評したそのスタイルは現在の田植機にちゃんと通じています。「ぶさかわ」とでも言いましょうか・・・
あまり考えず、とってつけたようなD1450とかの「顔」が取れちゃいそうです。その年の田植えに間に合わせようとしたら自ずと開発や生産、販売のロードマップは決まってしまうわけで、当然それに合わせて作らなくてはなりません。
「どーだできたか」『まだカバーができてません』「そこらの顔でもテキトーにつけとけ」『ちっ』などという上司と部下のやりとりが聞こえてきそうです。
このMPR600/800は1980年までの2年間売られ、おそらくたくさんは出なかったでしょう。発展途上の製品ですから開発サイクルが短かったのですね。もし現存していたらとても貴重なものになりそうです。
そう言えばヤンマーを忘れていた1977年
27.5MBもあるPDFのヤンマー100年史、245ページには
1977 年6月には業界初の乗用田植機として6条植のYP6000 を発売。植付状態を確認しながら作業ができるよう運転席の前方に植付機を設けた前植式を採用し、植付けた苗を後輪が踏みつけないよう胴体屈折機構を搭載していた。
ヤンマー100年史、245ページ
というわけで、1977年にはこのような田植専用機として完成された形のYP6000という田植機があったんです。乗用田植機としてはSPR600の方がわずかに先と言えそうですが、どちらが田植機か?というとYP6000ということもできます。「業界初」とヤンマーがいうのはわかるような気がします。
カオスが面白い
歩行型の田植機の初期もそうですが、乗用型田植機の初期も形や装備がダイナミックに変化してとても面白いです。雲のようなちりあくた(塵芥)が互いの重力で引き合い、まとまって形を作っていくその過程。オリジナルがたくさん生まれたそんな初期の頃って面白いですよね!
今日はこんなところです。またあした!