国産初の乗用トラクター クボタ T15「撮りトラ」

昔の写真を整理しています。今日は北海道開拓の村で見た、国産最初の畑作用乗用トラクター(とクボタが言ってます)クボタT15「撮りトラ」です。

北海道開拓の村(ほっかいどうかいたくのむら、英称:Historical village of Hokkaido)は、北海道札幌市厚別区厚別町小野幌(野幌森林公園内)にある野外博物館で、明治の頃の建物がたくさん移設されている魅力的な施設です。
北海道開拓の村(ほっかいどうかいたくのむら、英称:Historical village of Hokkaido)は、北海道札幌市厚別区厚別町小野幌(野幌森林公園内)にある野外博物館で、明治の頃の建物がたくさん移設されている魅力的な施設です。

これがその国産初のトラクターT15

T15を見るのは2機目ですが、どちらもオリジナルかも・・・と思われるようなきれいな機体です。

クボタT15です。L型の黄色っぽい色とも違う、フィアットのオレンジとも違う、日本の機械ですから熟れた柿色ですかね・・・対照的にエンジンやフェンダーなどは深い緑色。コントラストがおしゃれです。
クボタT15です。L型の黄色っぽい色とも違う、フィアットのオレンジとも違う、日本の機械ですから熟れた柿色ですかね・・・対照的にエンジンやフェンダーなどは深い緑色。コントラストがおしゃれです。
T15と称されていますが、機体のどこにもその名は書かれていないことやエンジンのことなど、結構詳しく書いてあります。見た目以外の細かいことはこちらの記事でどうぞ。
キャプションにはホィールトラクター クボタディーゼルT15型 15馬力 昭和30年代 中富良野 とだけあります。
キャプションには

ホィールトラクター クボタディーゼルT15型 15馬力
昭和30年代 中富良野

とだけあります。

クボタ100年 KUBOTA The First Hundred Yearsにこうありました

 当社は、昭和32年から乗用トラクタの研究を始めた。研究者らは北海道の農家に長期間にわたって泊まり込み、農作業の手伝いをしながら、トラクタの構造・機能・用途など農家ニーズを一つひとつ解明していった。設計・試作・テストを繰り返し、600時間を越える連続運転や、兵庫県の城崎から堺工場までの耐久走行テストなどを重ねた。3年後の35年に、エンジン・車体とも純国産の、畑作用乗用トラクタT15形が完成した。

クボタ100年 KUBOTA The First Hundred Years p117

熱いです。いまではなかなかできない感じ・・・大変ではあったでしょうけど楽しかったでしょうね。

それと、兵庫県の城崎から堺工場までの耐久走行テスト!城崎とは城崎温泉のことでしょうか?なんだかこれも楽しそう。

当時とは全く道路事情が違うのでしょうが、調べてみると距離にして180キロちょっと。ここは峠とかもあるのですかね?(西のほうはまったくわかりません)未舗装の峠ありの道を200キロ近くトラクターで・・・一体どれくらいの時間がかかったのでしょう。20時間くらい?もっとでしょうか?
当時とは全く道路事情が違うのでしょうが、調べてみると距離にして180キロちょっと。ここは峠とかもあるのですかね?(西のほうはまったくわかりません)未舗装の峠ありの道を200キロ近くを遅いトラクターで・・・一体どれくらいの時間がかかったのでしょう。20時間くらい?もっとでしょうか?

それよりも僕として驚いたのはこの部分の距離が道のりで180キロくらいしかないということ・・・淡路島あたりから日本海まで最短距離の直線で100数十キロしかないじゃないですか!

なんだかニッポン、この部分すごく薄い・・・(すみません・・・今まで考えたこともない上に地理に疎くて)

農家に長期間泊まり込んだり、耐久テストをやったり(なぜ時間や走る距離が耐久性を照明することになったのか、そのいきさつも知りたいですよね!)機械には誕生前のストーリーがあって、その上にユーザーの機械とのストーリーが乗っかっていくわけですね。この機体とユーザーのストーリーはどんなだったのでしょう・・・
農家に長期間泊まり込んだり、耐久テストをやったり(なぜ時間や走る距離が耐久性を照明することになったのか、そのいきさつも知りたいですよね!)機械には誕生前のストーリーがあって、その上にユーザーの機械とのストーリーが乗っかっていくわけですね。この機体とユーザーのストーリーはどんなだったのでしょう・・・
まだまだツヤもあるなぁ・・・などと思って細かく見ていると1回くらいは塗っているみたいです。正面のKUBOTAのプレートの上のほう、少し塗料がかぶっている部分がある・・・
まだまだツヤもあるなぁ・・・などと思って細かく見ていると1回くらいは塗っているみたいです。正面のKUBOTAのプレートの上のほう、少し塗料がかぶっている部分がある・・・
エンジンに付いている銘板です。「UH」クボタ オートディーゼル 出力:15馬力 回転速度:1500rpm 最大出力:18馬力 とあります。
エンジンに付いている銘板です。「UH」クボタ オートディーゼル 出力:15馬力 回転速度:1500rpm 最大出力:18馬力 とあります。

T15だけでなく、T18もあったんですよ!

畑作用トラクターはT15だけでなく、T18もありました。ただ「国産初」でないために、このような展示をされているのは見たことがないですけど・・・

クボタの社史「久保田鉄工80年の歩み」の年表を見ると、1960年にディーゼルエンジンUH型(T15に載ってます)、1961年にUH-2型発売(多分T18に載ってます)との記載があります。また、1960年にトラクターT15型(畑作用)1961年にトラクターT18型(畑作用)発売との記載があります。1年違いの大きな弟です。

少し(大きく)話は飛びますけど・・・

例を引いたクボタ100年 KUBOTA The First Hundred Yearsの117pに興味を引く写真が載っていました。

それがこの写真。キャプションを見ると『重量40kgと軽量、超小型エンジンSH形(昭和27年)』とあります。
それがこの写真。キャプションを見ると『重量40kgと軽量、超小型エンジンSH形(昭和27年)』とあります。

40キロと言ったら相当重いです。先ほどの耐久テストの根拠ではないですが、『軽量、超小型』を表すのにこの写真が適切かどうか・・・

おそらく「女性(かよわい)でも持てます」ということを言いたいのだと思うのですが、彼女の怪力のほうがクローズアップされてしまうような気がしてならない・・・

少し調べてみると【建設論評】25㎏という重さ 運ぶ人への配慮という記事が見つかりました。読むとなかなかおもしろいです。

新入社員のとき、袋詰めセメントは1袋の重さが50㎏あった。現場の職人さんがセメントを楽々と運ぶのを見て私も担(かつ)ごうとしたがビクともしない。肩にはとても背負えず、ようやく両手で前に抱きかかえてよたよた歩くのが精一杯で重かった

袋セメントの重量は、左官業界などの要請で1971(昭和46)年にそれまでの50kgが40kgとなり、さらに96(平成8)年からは現在の25kgとなった。

【建設論評】25㎏という重さ 運ぶ人への配慮

プロの男の人ですら40kgを25kgにしてと頼むくらいですから、40キロの発動機をニコニコ持つ(運ぶわけではないにしろ)あの女性はやはり力持ち・・・

・・・最後はすっかりセメント袋と発動機に持っていかれました。今日は困難ところです。それではまた明日!

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