今日はトラクター狂さんに送っていただいた、昔のトラクターカタログ、日の本トラクター「ベストE25」です。
カタログはタイムカプセルもしくはタイムマシン
今突然見ると、タイムマシンというか、いきなり昔が紙に乗って降ってきたという感じで不思議な気持ちになります。なにせ、新品の昔のマシンですからね。
こっちに「ベスト」と言いたい
やっぱり広告ってどこかウソっぽい。実際に何十年も働いたこの顔はどんな美辞麗句も追いつかない感じ。
この頃はこんな顔がはやっていたのか?
当時の流行ハンマーシャーク顔
発売は1976年?
カタログ3ページ目。時代がかった言葉たち
その他にも・・・
「完全ポジションコントロールシステム」
作業時の上下は油圧レバーでどの位置でも止められる機構、凸凹の多い圃場の整地や代かきなどに特に威力を発揮します。「残耕ゼロの広幅耕うん」
1400mmと耕うん幅は広いうえ残耕なし、反転性抜群。仕上げのあざやかな日の本ロータリー爪。ますます好評を得ています。「780kgの大きな持上げ力(ロワーリンク先端)」
完全独立式の油圧ですのでエンジン回転中は走行およびPTOに関係なく油圧が働き、大きな力を発揮します。「快適な乗りごこち」
人間工学に基づく平行リンクを備えた運転席は大きなバウンドを吸収するサスペンション機構ですので長時間の作業も疲れません。特に凸凹のはげしい路面走行時や圃場内では抜群の効果があります。
いったいいつから(当社比)は流行しだしたのかな?
1975年としても今から40年ちかく前のカタログです。こうやってみてみると、「驚くほど」「抜群」などの主観で語られたり、比較対象が曖昧な言葉が含まれていて時代を感じます。
きっと、クレームなども少なくおおらかだったんでしょうね。
この中の「ますます好評を得ています」という文言も、現在なら「ますます好評を得ています(当社比)」と書かれることでしょう。
いったいいつから(当社比)は流行しだしたのかな?
カタログ4ページめはスペック
他にもいろいろ興味深いことが・・・
日の本トラクター提供番組
五木ひろし、八代亜紀、中条きよしを生んだ「全日本歌謡選手権」
『全日本歌謡選手権』(ぜんにほんかようせんしゅけん)は、日本テレビ系列局ほかで放送された読売テレビ製作の視聴者参加型歌謡番組。読売テレビと日本テレビでは1970年1月5日から1976年12月25日まで放送。
とありますので、少なくとも日の本トラクターE25は1970年から1975年の間に作られたものと考えていいと思います。
一流品を生み出すトラクターの量産工場 新増設工場完成
トラクターを生産している工場、しかも当時の姿を見ることができるのはなかなか貴重な体験です。これはどうも、滋賀県甲賀市水口町の工場のようです。
もういっちょ! 今度は本社工場だ
1970年代には世界のトラクタメーカーを目指していたんですが、それがかなったからなのでしょうか・・・農業機械の世界は厳しいです。
ただ、世界を目指した結果がスーパーマーケットだったというわけではなく、今も残るE25やその他のトラクターが成果を表しています。40年近くも世界中で使われているわけですから。
ERIGONさん
レースで忙しく、しなきゃしなきゃと思いつつすっかりお返事遅れました
僕は北アフリカしか行ったことがないのですが
農業が盛んということで、レストランのお話は南アフリカかかなんかなのでしょうかね・・・
今は無くなってしまったトラクターの会社を色々と調べているうちにわかったことは
会社の名前が無くなっても、精神というかDNAは必ず製品に残っているということです
ですから、初めのうちは僕も「会社がなくなってさみしいなぁ、悲しいなぁ」と思っていたのですが
「精神はちゃんと生きてるじゃん!」「DNAは残ってるじゃん!」と思うようになりました
死んで何もかもなくなってしまったわけではなかったのです
お父様もそう思ってくれるといいなぁ
うわぁ、こんなに素敵な記事にしてくださり有難うございます。
このモデルは、当時現役だった父の誇りの結晶なのです…。
縁あって、私は遠いアフリカに住んでいたのですが、そちらのレストランの併設プレイグラウンドにこのモデルが置いてあり、世界各国から来た駐在員や現地の子供達に愛されていました。
定年になり悲しんでいた当時の父に、孫を乗せて写真を撮り、『同じく定年を迎えた子のトラクターはこんなにも子供達に愛されてるよ』とメッセージを送りました。
今、難しい状況の中にいる父に、この記事を是非読ませたいと思います。元気になってくれることを願いつつ…。
田上さん こんばんは
なんだか心が温かくなるようなエピソードをありがとうございます!!
今、同じようなことはできないのでしょうけど
経営者側の人たちと、現場の人たちの距離の近さがすごくいいです
極々当たり前のことなのですが、今はなくなってしまったとしても
会社では人々が働いていて、それぞれその時を生きていたのだなぁ・・・と感じます
製品は今も残っていて、未だ人々に愛されているのですけど
作っていた人たちのことはなかなか知ることができません
そういうことを知れば、もっと製品
(この場合は東洋社のトラクターですけど)を愛せるのではないか・・・と思います
1970年代に東洋社の滋賀工場で働いていました。当時、田上譲治副社長は滋賀工場に来ると、社員寮に泊まるのですが、毎晩マージャンに明け暮れていたのを覚えています。部長や課長もこれに引きずり込まれ、社員寮の部屋からマージャンの音が聞こえて来ると、副社長が来ているのが分かりました。
シマダさん こんにちは
ヤフオクに出てますね
すごくキレイですけど、高いですねえ
42万円です
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f212726257
日ノ本JF-1を探しております。お知り合いで 手放してもいいと 言う人がいましたら 連絡下さいませ。
匿名さん おはようございます
歴史のある会社の名前が消えてしまうのは寂しいですよね
もちろん、いろいろな思い出は関係者の方々の中に残っているわけですけど・・・
ただ、僕のような外の人間にはそうなってしまうとほとんど知る機会がなくなってしまいます
もちろん商品のなかにDNAが残っているでしょうし、メインストリームの会社の沿革などで少々の情報を得ることもできますが
名前のなくなったほうの会社はやっぱり記載が少なく
そういうところはちょっと残念だといつも思います
東洋社の補修パーツ、今でもあるのですか???
最後まで製品のめんどうを見る姿勢、すごいです
2月14日の匿名の者です
東洋社を取り上げて頂いて感謝
私 創業当時の東洋社の役員の一人の孫です
東洋社は農機具関連から建設機器への転換を進める中
日立建機に吸収される形で合併 寂しいです
ティエラの創業当時の歴史は東洋社のことです。
当時の社員の方々の写真や社員旅行や運動会の写真
など まだ数枚は祖父の遺品は残っています。
写真に写っている社員の方々はどれくらいご存命なのかなぁ
私の父は今年で 東洋社のトラクターの補修パーツの
製造を終了しようとしています。高齢ですからね
匿名さん こんばんは
の出は熊本だったんですか!
九州発で画期的な会社だったんですね
東洋社の発祥は北熊本です
初の量産トラクターも有名でしたが 日本初の量産長床スキも
有名で伊勢神宮の資料館に展示されていると聞いたような
pasuhiroさん こんにちは
うわー見たいですねえ・・・デッドストック・・・そんなことってあるんですね
許可が取れれば是非写真を撮りにいきたいです!!!!
家の畑から15m位の所に建っている古い倉庫扉が壊れて30cm位あいています、昨日中を覗くと日ノ本のハイブル使用と思われるエンジンの乗っている青いトラクター26台くらいありました。外から見ただけですが未使用のトラクターみたいです。その他未使用と思われる古い農機具たくさんありました。7~8年前から人の出入りのない倉庫です。
Dさん おはようございます
あんまりおもしろかったので、表に出してしまいました!
ジープはあなたのお嫁さん、
さてどちらを選んだものか知ら
をおもいだしますね。
http://www.mikipress.com/m-base/2013/09/20.html