家庭電化のはじまり。オリジンパークへ行ってきた。その6

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たまーに写真撮影可の博物館、例えば『スガノ農機「土の館」トラクタ博物館』であったり『明治150年記念、日本を変えた千の技術博』の話になったりします。今日は先日行ってみた日立市の大甕(おおみか)にある日立製作所の企業ミュージアム「日立オリジンパーク」に行ってきましたその6。今日は「家庭電化のはじまり」の展示です。

家庭電化のはじまり 今日、家電製品は世界中のメーカーによって多機能・高性能・優れたデザインのものが製造販売されている。日本で家電製品が急速に普及したのは第二次世界大戦以降であるが、日立が家電製品の開発に着手したのは創業から間もないころであった。小平は日立を総合電機メーカーとして発展させるため、民需製品の試作を開始し、事業を拡大させていった。とあります。
家庭電化のはじまり

今日、家電製品は世界中のメーカーによって多機能・高性能・優れたデザインのものが製造販売されている。日本で家電製品が急速に普及したのは第二次世界大戦以降であるが、日立が家電製品の開発に着手したのは創業から間もないころであった。小平は日立を総合電機メーカーとして発展させるため、民需製品の試作を開始し、事業を拡大させていった。

とあります。
1926 日立初の輸出品 扇風機 日立の扇風機開発は、小平の自宅で使われていた海外製品を参考に30台試作したことから始まった。国内でも普及しはじめ、国内メーカーも既に生産に乗り出していた 。1916年には本格的に試作を開始。モーターや変圧器製作の傍ら苦心して開発を進め、1920年、日立扇風機第一号を発売。1926年、輸出第1号製品として米国に30台送り出した。純国産技術で立ち上げたことから、輸出制限などの影響を受けずに海外輸出をスタートすることができた。とあります。日立が最初に輸出したのは扇風機だったんですね。何事もゼロから生み出すのに楽なことはないのですが、扇風機についても「苦心して」と書かれています。どこに苦心したのか、ヒントだけでも書いてくれていたらもっと楽しめたのになぁ・・・(小平さんの伝記とか、社史を読めということなのでしょうけど)下にはあまり鮮明でない写真があります。 下左:木造の扇風機工場 下右:扇風機の設計図
1926
日立初の輸出品
扇風機

日立の扇風機開発は、小平の自宅で使われていた海外製品を参考に30台試作したことから始まった。国内でも普及しはじめ、国内メーカーも既に生産に乗り出していた 。1916年には本格的に試作を開始。モーターや変圧器製作の傍ら苦心して開発を進め、1920年、日立扇風機第一号を発売。1926年、輸出第1号製品として米国に30台送り出した。純国産技術で立ち上げたことから、輸出制限などの影響を受けずに海外輸出をスタートすることができた。

とあります。
日立が最初に輸出したのは扇風機だったんですね。何事もゼロから生み出すのに楽なことはないのでしょうけど、扇風機についても「苦心して」と書かれています。どこに苦心したのか、ヒントだけでも書いてくれていたらもっと楽しめたのになぁ・・・(小平さんの伝記とか、社史を読めということなのでしょうけど)

下にはあまり鮮明でない写真があります。

下左:木造の扇風機工場 下右:扇風機の設計図
扇風機の設計図 とあります。昔でしょうから手で描いたのだと思いますが、とても美しいです。そして描かれた用紙は紙ではなく布のように見えます。こういうものだったのでしょうか?
扇風機の設計図

とあります。昔でしょうから手で描いたのだと思いますが、とても美しいです。そして描かれた用紙は紙ではなく布のように見えます。こういうものだったのでしょうか?
扇風機の実物です。面白いのはファン部分のカバー・・・設計図では丸い針金で同心円状にカバーされているはずですが、この扇風機は鶏小屋の網に使うような亀甲状の網に変えられています。溶接が悪くてカバーが取れちゃって金網で代用しているんどえしょうね。なんだか「使われていた」という証拠を発見したようで傍に人を感じます。
扇風機の実物です。面白いのはファン部分のカバー・・・この扇風機は鶏小屋の網に使うような亀甲状の金網がかけられています。扇風機のガードは設計図では丸い針金で同心円状にカバーされているはずですが、それとは違うタイプ。中心から外に向かって数本しかガードされていません。見るとガードの隙間がすごく大きいです。小さな子供がいる家で、子供が手を突っ込まないよう、家人が工夫して網をかけたのだと思います。なんだか「使われていた」という証拠を発見したようで傍に人を感じます。
1932 家庭用電気製品の将来性に着目 電気冷蔵庫 電気冷蔵庫は小平がその将来性に着目し、晩年取組んだ製品である。世界で初めて電気冷蔵庫の販売を行なった米国ケルビネーター社の冷蔵庫をモデルに、家庭用冷蔵庫の試作が始まる。1927年には小平が書き溜めていた年譜に「8月12日亀戸工場冷蔵庫成功す」との記載が出てくる。亀戸工場ではターボ冷蔵庫の研究開発に注力することとなり、家庭用電気冷蔵庫の製作は 日立工場に移された。戦時中、贅沢品の製造販売禁止令が下り、開発は一時中断される。とあります。
1932
家庭用電気製品の将来性に着目
電気冷蔵庫

電気冷蔵庫は小平がその将来性に着目し、晩年取組んだ製品である。世界で初めて電気冷蔵庫の販売を行なった米国ケルビネーター社の冷蔵庫をモデルに、家庭用冷蔵庫の試作が始まる。1927年には小平が書き溜めていた年譜に「8月12日亀戸工場冷蔵庫成功す」との記載が出てくる。亀戸工場ではターボ冷蔵庫の研究開発に注力することとなり、家庭用電気冷蔵庫の製作は 日立工場に移された。戦時中、贅沢品の製造販売禁止令が下り、開発は一時中断される。

とあります。
「日立月報」1937年 一、電気冷蔵庫は何故必要か 漸く気温も柔らぎ、新緑滴る候となりましたがこれからは日毎温度が昇るにつれて頭痛の種となるのは食物保存の悩みでありませう。殊に梅雨季に入りますと何処の御家庭でも一層飲食物の取扱ひに苦労されるところでありますが、こうした時に安心して幾日でも清潔に保存できる方法がありましたならば、それはどんなに仕合せでせう。後略  とあります。
面白いのはその下

「日立月報」1937年

一、電気冷蔵庫は何故必要か
漸く気温も柔らぎ、新緑滴る候となりましたがこれからは日毎温度が昇るにつれて頭痛の種となるのは食物保存の悩みでありませう。殊に梅雨季に入りますと何処の御家庭でも一層飲食物の取扱ひに苦労されるところでありますが、こうした時に安心して幾日でも清潔に保存できる方法がありましたならば、それはどんなに仕合せでせう。後略

とあります。漸(ようやく)が読めませんでしたが、なかなか面白いことが書いてあります。ほんと、冷蔵庫がなかった時は買い置きとかできないですよね?それこそ毎日買い物に行き、その日必要なものだけを買っていたということになります。

それはそれで食品的には無駄のない割といい感じの状態。(買い物に行ったり料理したりする人は大変ですけど)
その日立の冷蔵庫がこちら。
その日立の冷蔵庫がこちら。
1932 電気冷蔵庫 K−40型(2/3模型)
1932 電気冷蔵庫 K−40型(2/3模型)がっかりなのはこれが模型なのです。上の日立月報の写真を見るとかなり大きなもののようです。
その模型ですが、なかなか精巧。ちゃんとこんなところまでできています。
その模型ですが、なかなか精巧。ちゃんとこんなところまでできています。
明治150年記念、日本を変えた千の技術博でもこのタイプの冷蔵庫が展示されていました。
電気を使った生活、そのための電化製品も展示されていました。これは冷蔵庫です。
電気を使った生活、そのための電化製品も展示されていました。これは冷蔵庫です。
機械遺産 電気冷蔵庫 SS-1200型 東芝製作所製 1930(昭和5)年 日本初の家庭用電気冷蔵庫 。家庭用冷蔵庫普及のきっかけとなったアメリカのゼネラルエレクトリック社製のモデルを国産化し、国内生産への先鞭をつけた冷蔵庫。当時の価格720円、容量125リットル。 とあります。
機械遺産 電気冷蔵庫 SS-1200型 東芝製作所製 1930(昭和5)年 日本初の家庭用電気冷蔵庫 。家庭用冷蔵庫普及のきっかけとなったアメリカのゼネラルエレクトリック社製のモデルを国産化し、国内生産への先鞭をつけた冷蔵庫。当時の価格720円、容量125リットル。 とあります。

日立の製品より2年早いですね。
電化製品の利用について、冷凍利用の恩恵という、分かりやすい絵が描かれています。片や冷蔵庫で冷された冷たいビールを冷したトマトで一杯。対して戸棚にしまった食品はいたんで悪臭を放っています。こういう「こうしないと大変悪いことが起きます」というキャンペーン、今でも日本のあちこちで行なわれていますよね?
電化製品の利用について、冷凍利用の恩恵という、分かりやすい絵が描かれています。片や冷蔵庫で冷された冷たいビールを冷したトマトで一杯。対して戸棚にしまった食品はいたんで悪臭を放っています。こういう「こうしないと大変悪いことが起きます」というキャンペーン、今でも日本のあちこちで行なわれていますよね?

今までは「悪い」これを使えば「素晴らしい」考えてみたらずっと基本的にはこういう路線で商品は売られてきていたんだなぁ・・・

今日はここまでです。また明日!

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