休みの日は見に来る人も少ないので今日は趣向を変えて・・・国立科学博物館で開催されていた、明治150年記念、日本を変えた千の技術博という特別展で見たものいろいろ・・・

明治改元から150年、そして2019年に予定される改元。
時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。
日本各地の大学・研究機関や企業などから、
600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合!
科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真などを合わせ、
“日本を変えた千の技術”をたっぷりと紹介していきます。
中でも、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、
「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料は特に注目です!
もう終っちゃいましたけどね。

生活を変えた電気。現代の生活で使わないことは困難です。長時間電気が通じないと、屋内の電気製品だけでなく、社会全体が機能しなくなります。電気による明かりの登場は、家の中や夜の町を明るくし、人々の生活と労働の場を広げました。さらにそのシステムを利用した電化製品の普及は、人々の生活を大きく変えました。
とあります。
僕は先の東日本大震災で、まさに電気のありがたさや、無意識に電気に頼り切っていたことを思い知らされました。

電化製品の利用について、冷凍利用の恩恵という、分かりやすい絵が描かれています。片や冷蔵庫で冷された冷たいビールを冷したトマトで一杯。
対して戸棚にしまった食品は痛んで悪臭を放っています。
生活一般に煮炊きに電気やガスを使えば、スイッチポン!炭や油で汚れない、衛生的文化的な生活がおくれる・・・というわけです。


電気冷蔵庫 SS-1200型
東芝製作所製 1930(昭和5)年
日本初の家庭用電気冷蔵庫。家庭用冷蔵庫普及のきっかけとなったアメリカのゼネラルエレクトリック社製のモデルを国産化し、国内生産への先鞭をつけた冷蔵庫。当時の価格720円、容量125リットル。
とあります。



機械遺産
撹拌式電気洗濯機 ソーラーA型
東芝製作所製 1930(昭和5)年
アメリカのハーレーマシン社(商標Thor)からの技術導入により製造された国産第一号の洗濯機。たらいと洗濯板を使う選択は主婦の仕事の中でも重労働であったため、耐久消費財の中で戦後いち早く普及した。当時370円。
とあります。東芝強いです。しかし、自社で作っているとはいえ、あちこちから技術を持ってきていて、東芝おすすめセレクトショップといった様相です。



林製作所製 1957(昭和32)年発売
電気のいらない手動洗濯機
とあります。スプートニク見たいな形です。

スプートニク1号(スプートニク1ごう、露: Спутник-1)は、ソビエト連邦が1957年10月4日に打ち上げた世界初の人工衛星である。重量は 83.6kg。Спутникはロシア語で衛星を意味する。
コンスタンチン・ツィオルコフスキーの生誕100年と国際地球観測年に合わせて打ち上げられた。科学技術的に大きな成果となっただけでなく、スプートニク・ショックを引き起こし、米ソの宇宙開発競争が開始されるなど、冷戦期の政治状況にも影響を与えた。
とあります。


東京芝浦電気製 1947(昭和22)年
和室ではそれほど必要性がなかったためか、戦後になっても掃除機の普及はゆっくりであった。
とあります。

山本忠興は高知県の出身、1905(明治38)年に東京帝国大学・電気工学科を卒業、芝浦製作所に勤務後、留学を経て早稲田大学の教授となった。電動機の研究開発や、川原田政太郎らとともに早大式(歯車を使った機械式の一種)テレビの実用化に尽力した。一方で山本は、生活改善の一環として家庭の電化を大いに推進し、自らもオール電化住宅に住んだ。山本の電化住宅は当時かなり有名となったが、冬場は耐えられないほど寒かったようだ。
とあります。このようなひとがいての「今」なんですね。きっと、当時女性がするものとされていた家事一般の大変さを、電化製品で何とかしたい!と、その一念で却って不自由な生活をしてみせたのでしょう。
この山本さんなどが今の世の中を見たらどう思うでしょう・・・。電気のない生活をよくよく知っていて、電気のある生活を留学や勉学などで知ってしまった山本さん。そして電気のある生活を普及させようと却って不自由な生活をした山本さん。
すっかり電気に全体重を掛けている現代が今度は危うく見え、今度は電気のない生活をしてみせるかもしれませんね。
今日はこんなところです。またあした!