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明治150年記念、日本を変えた千の技術博

コミュニケーションを変える技術その4はコンピューター!「日本を変えた千の技術博@国立科学博物館」

休みの日は見に来る人も少ないので今日は趣向を変えて・・・国立科学博物館で開催されていた、明治150年記念、日本を変えた千の技術博という特別展で見たものいろいろ・・・その28はコンピューターです。

 

こんな展示です。WEBページによれば・・・ 明治改元から150年、そして2019年に予定される改元。 時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。 日本各地の大学・研究機関や企業などから、 600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合! 科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真などを合わせ、 "日本を変えた千の技術"をたっぷりと紹介していきます。 中でも、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、 「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料は特に注目です! だそうです。 開館時間 : 午前9時~午後5時 (金曜日、土曜日は午後8時まで、入館は各閉館時間の30分前まで) 休館日 : 毎週月曜日(2月25日は開館、2月12日はお休み)

こんな展示です。WEBページによれば・・・

明治改元から150年、そして2019年に予定される改元。
時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。
日本各地の大学・研究機関や企業などから、
600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合!
科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真などを合わせ、
“日本を変えた千の技術”をたっぷりと紹介していきます。
中でも、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、
「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料は特に注目です!

もう終っちゃいましたけどね。

 

項目の一番最初にドーンと巨大な箱が置いてあります。

項目の一番最初にドーンと巨大な箱が置いてあります。

 

情報を処理する機械から未来を予想する機械へ 現在のコンピューターのルーツの一つはデータを記録し分類する機械だ。わが国では本格的に使用され始めたのは戦後である。1950年代後半になって、UNIVAC120などが官公庁や証券取引所などに導入され始めた。国内での開発が盛んになったのもこの頃で、初めて完成したのがFUJICである。コンピューターに使用される素子は、リレーや真空管から半導体へと発展し、今では一つのチップに数千万個のトランジスタが搭載されるようになり、地球環境の変動予測などが計算できるようになった。 計算機から計算もして情報を処理する機械になり、情報を処理をかさねて行こない、未来予測することに使えるようになった・・・ということなんですねぇ。

情報を処理する機械から未来を予想する機械へ
現在のコンピューターのルーツの一つはデータを記録し分類する機械だ。わが国では本格的に使用され始めたのは戦後である。1950年代後半になって、UNIVAC120などが官公庁や証券取引所などに導入され始めた。国内での開発が盛んになったのもこの頃で、初めて完成したのがFUJICである。コンピューターに使用される素子は、リレーや真空管から半導体へと発展し、今では一つのチップに数千万個のトランジスタが搭載されるようになり、地球環境の変動予測などが計算できるようになった。

計算機から計算もして情報を処理する機械になり、情報を処理をかさねて行こない、未来予測することに使えるようになった・・・ということなんですねぇ。

 

大きな箱の前にはエピソードが書いてあります。 この配線を見よ! 努力と根性で作ったわが国初の大型コンピューター。配線ミスひとつ許されない。  科学技術計算だけでなく事務計算にも適するように設計され、加減算を1秒間に約5万回もできる処理能力をもち、外国機と遜色ない性能であるが、もちろん現在のパソコンとは比較にならない。

大きな箱の前にはエピソードが書いてあります。
この配線を見よ!
努力と根性で作ったわが国初の大型コンピューター。配線ミスひとつ許されない。
 科学技術計算だけでなく事務計算にも適するように設計され、加減算を1秒間に約5万回もできる処理能力をもち、外国機と遜色ない性能であるが、もちろん現在のパソコンとは比較にならない。

 

その大型コンピューターはHITAC5020 東京大学で真空管式計算機TACの開発にかかわった村田健郎と中澤喜三郎らが日立製作所に入社し開発を先導した。

その大型コンピューターはHITAC5020
東京大学で真空管式計算機TACの開発にかかわった村田健郎と中澤喜三郎らが日立製作所に入社し開発を先導した。

 

この配線を見よ! やはり地元でなじみの深い日立の製品・・・写真をたくさん撮っています。

この配線を見よ!
やはり地元でなじみの深い日立の製品・・・写真をたくさん撮っています。

 

どんな製品だって配線ミスひとつも許されないと思いますが、ミスの起きる確率の違いは歴然! それにしても、当然キッチリしている人が引いた配線がこの状態なのですから、もし僕がやったら大変なことになっているでしょうね・・・電線の長さが10倍とかになって蓋が閉まらなくなっちゃうだろうなぁ・・・

どんな製品だって配線ミスひとつも許されないと思いますが、ミスの起きる確率の違いは歴然!
それにしても、当然キッチリしている人が引いた配線がこの状態なのですから、もし僕がやったら大変なことになっているでしょうね・・・電線の長さが10倍とかになって蓋が閉まらなくなっちゃうだろうなぁ・・・バイクの配線だって、僕はいつも手当り次第に、しかも同じ色の電線でやるのでメカニックにいつもイヤな顔されます。

 

その配線の表はこうなっているみたいです。小さなトランジスタを使った基盤のセルがたくさん!

その配線の表はこうなっているみたいです。小さなトランジスタを使った基盤のセルがたくさん!

HITAC5020 1964(昭和39)年に日立中央研究所で完成された大型コンピューターで、1967(昭和42)年まで使用された。日本で最初の優れた第一級大型機である。

とあります。それでもたった3年しか使わなかったというのが、コンピューターのしんかの速さを想像させます。

 

大きな箱の次が小さな基盤・・・ 地球趣味レーター(初代)の計算プロセッサ 1チップLSI: 8Gflops ●6000万トランジスタ ●クロック周波数500MHz(1GHz) ●消費電力 140W(Typ) とあります、きっとこれがたくさん入っているんでしょう。HITAC5020とは気が遠くなるような差があるということはわかります。驚くのはその消費電力・・・これひとつで140Wって・・・大型機がどれだけ電気を喰うか・・・これに尽きても気が遠くなりそう・・・

大きな箱の次が小さな基盤・・・
地球趣味レーター(初代)の計算プロセッサ
1チップLSI:
8Gflops
●6000万トランジスタ
●クロック周波数500MHz(1GHz)
●消費電力 140W(Typ)
とあります、きっとこれがたくさん入っているんでしょう。HITAC5020とは気が遠くなるような差があるということはわかります。驚くのはその消費電力・・・これひとつで140Wって・・・大型機がどれだけ電気を喰うか・・・これに尽きても気が遠くなりそう・・・

 

中の空間は広がっているはずですが、展示がどんどん小さくなって行きます。 NAND型フラッシュメモリー 半導体による不揮発メモリーでありながら低価格で大容量を実現し、国産で初めて世界標準メモリーとしてデファクトスタンダードとなった。現在では、スマートフォン、タブレット端末、デジタルスチルカメラ用メモリとして多用されている。 とあります。もちろん記録媒体も先ほどのコンピューターと同じように巨大なものから小さく大容量のものに変わっていっているのは、僕も目にしてきました。初めのうちはデジタルカメラの記録媒体は小さな機械式のハードディスクでしたもんね!

中の空間は広がっているはずですが、展示がどんどん小さくなって行きます。

NAND型フラッシュメモリー
半導体による不揮発メモリーでありながら低価格で大容量を実現し、国産で初めて世界標準メモリーとしてデファクトスタンダードとなった。現在では、スマートフォン、タブレット端末、デジタルスチルカメラ用メモリとして多用されている。

とあります。もちろん、記録媒体も先ほどのコンピューターと同じように巨大なものから小さく大容量のものに変わっていっているのは、僕も目にしてきました。初めのうちはデジタルカメラの記録媒体は小さな機械式のハードディスクでしたもんね!

 

たくさんキーボードが並んでいます。 壁のパネルは・・・ 最初は理科系オタクのおもちゃだった 大型計算機が実用化されても、個人で使うことは夢であった。小型電卓に必要なLSI(大規模集積回路)の開発のため、日本のビジコン社から派遣された嶋正利と、インテル社が共同で生み出したのがインテル系プロセッサの元祖intel4004である。  1970年代の中頃にはプロセッサを組み込んだワンボードとよばれるコンピューターキットなどが発売され、個人でも手が届くようになった。特に何かに役立つわけではなかったが、多くの若者がプログラミングの魅力に取り憑かれ、後に情報家技術を担う人材となった。 とあります。

たくさんキーボードが並んでいます。
壁のパネルは・・・

最初は理科系オタクのおもちゃだった
大型計算機が実用化されても、個人で使うことは夢であった。小型電卓に必要なLSI(大規模集積回路)の開発のため、日本のビジコン社から派遣された嶋正利と、インテル社が共同で生み出したのがインテル系プロセッサの元祖intel4004である。
 1970年代の中頃にはプロセッサを組み込んだワンボードとよばれるコンピューターキットなどが発売され、個人でも手が届くようになった。特に何かに役立つわけではなかったが、多くの若者がプログラミングの魅力に取り憑かれ、後に情報家技術を担う人材となった。

とあります。「特に何かに役立つわけではなかった」というところに毒を感じます、しかし、残念ながらその通りでした。僕もポケットコンピューター的なものを買ってBASICで遊んでみたりしましたが、思い出してみると「何かをすると何かが表示される」「間違えるとエラーが出る」みたいな、「で、何?」な代物でした。ブロック遊びなどと大した違いはなく、確かにオモチャ・・・。でも、おもしろかったんだよなぁ・・・

 

ベーシックマスターMB6880 1978?(読めません) 日本発の8ビットパソコンといわれている。CPUは68系の・・・(読めず)マシン語の他にBASICでプログラミングもできた。

ベーシックマスターMB6880
1978?(読めません)
日本発の8ビットパソコンといわれている。CPUは68系の・・・(読めず)マシン語の他にBASICでプログラミングもできた。

 

パーソナルコンピューター PC-8001 1979(昭和54)年発売 国産初期の代表的な8ビット・パーソナルコンピューター。カラー表示、仮名文字が扱え、価格も手頃だったことなどから、個人に加え、ビジネスでも広く利用された。

パーソナルコンピューター PC-8001 1979(昭和54)年発売
国産初期の代表的な8ビット・パーソナルコンピューター。カラー表示、仮名文字が扱え、価格も手頃だったことなどから、個人に加え、ビジネスでも広く利用された。

 

これよりあとのものですが、富士通のこのような機械を友達が持っていてさわったことがあります。記録媒体がテープレコーダーで、ゲームをやってもめちゃめちゃ遅く、あまりときめかなかったかも・・・

 

コンピューターを身につけた日 セイコーUC-2000(腕コン)1984(昭和59)年 世界初のコンピューター付ウオッチ。2000字のメモ機能をはじめ、電卓機能、スケジュールの記憶機能などを搭載。 とあります。今ならこんな機能を「コンピューター」と表記しないでしょうが、当時はそんな感じだったのでしょうね。これは知らないなあ・・・

コンピューターを身につけた日
セイコーUC-2000(腕コン)1984(昭和59)年
世界初のコンピューター付ウオッチ。2000字のメモ機能をはじめ、電卓機能、スケジュールの記憶機能などを搭載。
とあります。今ならこんな機能を「コンピューター」と表記しないでしょうが、当時はそんな感じだったのでしょうね。これは知らないなあ・・・

 

これが腕コン。 キーボードは別体だったんですね。これだとメモ帳を取り出してペンで書いたほうが速そう。

これが腕コン。
キーボードは別体だったんですね。これだとメモ帳を取り出してペンで書いたほうが速そう。

 

腕時計がモニターで、キーボードはポケットに・・・そしてプリンターは家に置いておく・・・もしくはカバンの中に・・・という商品だったのですね。売れたのかなあ・・・

腕時計がモニターで、キーボードはポケットに・・・そしてプリンターは家に置いておく・・・もしくはカバンの中に・・・という商品だったのですね。売れたのかなあ・・・

 

日本語入力

 

どの機械も大きなものから小さなものへ・・・という流れで展示されています。(あたりまえですけど)これは初期のワードプロセッサ。 日本語ワードプロセッサ JW-10 1975(昭和53)年発表、1979年発売 初の日本語ワードプロセッサー。文章の読みを文節ごとに区切って入力する文節指定入力と感じ部分を指定して入力をする感じ指定入力を使用することで、効果的な日本語入力を可能にした。かな漢字変換技術で開発された言語処理技術は世界中の象形文字の入力技術に大きな影響を与えたと言われている。10メガバイトの磁気ディスクと14ドットのシリアルプリンタを搭載し、価格は630万円であった。 これまた巨大なワープロです。まるで机!そのワープロ自体もパソコンが普及したらなくなってしまいましたね・・・

どの機械も大きなものから小さなものへ・・・という流れで展示されています。(あたりまえですけど)これは初期のワードプロセッサ。
日本語ワードプロセッサ JW-10 1975(昭和53)年発表、1979年発売
初の日本語ワードプロセッサー。文章の読みを文節ごとに区切って入力する文節指定入力と感じ部分を指定して入力をする感じ指定入力を使用することで、効果的な日本語入力を可能にした。かな漢字変換技術で開発された言語処理技術は世界中の象形文字の入力技術に大きな影響を与えたと言われている。10メガバイトの磁気ディスクと14ドットのシリアルプリンタを搭載し、価格は630万円であった。
これまた巨大なワープロです。(漢字が書けなくなる元凶)まるで机!そのワープロ自体もパソコンが普及したらなくなってしまいましたね・・・

 

壁のパネルには日本語入力のことが書かれています。 日本語入力 26文字程度のアルファベットで構成されている欧米の言語と異なり、日本語は常用漢字だけでも二千以上の漢字を表記できなくてはならない。欧米では早くからタイプライターが普及したが、漢字仮名交じり文を機械で素早く表記することは、想像以上に困難なことであった。 とあります。 また、その下の木製の機械は謄写版でしょうかね・・・キャプションが読めません。

壁のパネルには日本語入力のことが書かれています。

日本語入力
26文字程度のアルファベットで構成されている欧米の言語と異なり、日本語は常用漢字だけでも二千以上の漢字を表記できなくてはならない。欧米では早くからタイプライターが普及したが、漢字仮名交じり文を機械で素早く表記することは、想像以上に困難なことであった。

とあります。
また、その下の木製の機械は謄写版でしょうかね・・・キャプションが読めません。

 

その隣の小さい塊は 機械式翻訳機「やまと」論理回路 1959(昭和34)年 電気試験所が中心となって開発した黎明期の機械式翻訳専用機である。

その隣の小さい塊は
機械式翻訳機「やまと」論理回路
1959(昭和34)年
電気試験所が中心となって開発した黎明期の機械式翻訳専用機である。

 

巨大なものから小さなものへ・・・動力を使った機械は動きが外に出ているので、想像の入り込む余地もあり、わかりやすいのですが、電気回路を使う品物は動きが電子の動きなので、なかなかわかりにくいです。

 

わかりにくい上にどんどん小さくなるのでさらにわかりにくくなる・・・変化のスピードも速いですし、想像さえ拒む感じ。

 

機械類は明治から昭和という流れでした。このような電子機器は昭和の終わりから平成にかけての速い変化・・・なかなか追いつかないですね!

 

今日はこんなところです。また明日!

 

 

 

 

 

 

 

光や音で伝える、コミュニケーションを変える技術その3「日本を変えた千の技術博@国立科学博物館」

休みの日は見に来る人も少ないので今日は趣向を変えて・・・国立科学博物館で開催されていた、明治150年記念、日本を変えた千の技術博という特別展で見たものいろいろ・・・その27です。

 

こんな展示です。WEBページによれば・・・ 明治改元から150年、そして2019年に予定される改元。 時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。 日本各地の大学・研究機関や企業などから、 600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合! 科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真などを合わせ、 "日本を変えた千の技術"をたっぷりと紹介していきます。 中でも、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、 「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料は特に注目です! だそうです。 開館時間 : 午前9時~午後5時 (金曜日、土曜日は午後8時まで、入館は各閉館時間の30分前まで) 休館日 : 毎週月曜日(2月25日は開館、2月12日はお休み)

こんな展示です。WEBページによれば・・・

明治改元から150年、そして2019年に予定される改元。
時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。
日本各地の大学・研究機関や企業などから、
600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合!
科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真などを合わせ、
“日本を変えた千の技術”をたっぷりと紹介していきます。
中でも、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、
「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料は特に注目です!

もう終っちゃいましたけどね。

 

僕はこの機械?にすごく興味を持ったらしく、たくさん写真を撮っています。これを初めて見て、何の装置かわかる人、たくさんはいないと思います(いるかな?僕だけわからなかった?)映画に出てくるマッドサイエンテストが作る人体改造マシンという趣です。 すぐ脇のパネルを見れば何をする装置かすぐわかります。 X線で視る ドイツの物理学者レントゲンが放射線を発見したニュースは、瞬く間に世界中に広がった。翌年の1896(明治29)年には早くも日本で、島津源蔵が協力した第三高等学校や、山川健次郎などがX線による写真撮影に成功している。X線を利用すれば、体の内部を透視できるので、その後、研究・医療を目的として東京帝国大学医科大学と陸軍軍医学校に装置が輸入された。大正時代には、国産のX線装置やX線管が製造され、レントゲン撮影も普及した。 とあります。この装置、レントゲン撮影装置だったんですね!

僕はこの機械?にすごく興味を持ったらしく、たくさん写真を撮っています。これを初めて見て、何の装置かわかる人、たくさんはいないと思います(いるかな?僕だけわからなかった?)映画に出てくるマッドサイエンテストが作る人体改造マシンという趣です。

すぐ脇のパネルを見れば何をする装置かすぐわかります。

X線で視る
ドイツの物理学者レントゲンが放射線を発見したニュースは、瞬く間に世界中に広がった。翌年の1896(明治29)年には早くも日本で、島津源蔵が協力した第三高等学校や、山川健次郎などがX線による写真撮影に成功している。X線を利用すれば、体の内部を透視できるので、その後、研究・医療を目的として東京帝国大学医科大学と陸軍軍医学校に装置が輸入された。大正時代には、国産のX線装置やX線管が製造され、レントゲン撮影も普及した。

とあります。この装置、レントゲン撮影装置だったんですね!

 

X線装置 ニューオーロラ号 島津製作所製 1896(明治29)年にレントゲン撮影に成功した二代目島津源蔵は、理化学用及び医療用X線装置の開発にも熱心であった。ニューオーロラ号は、1918(大正7)年頃から販売され、国内の多くの病院に設置され、わが国の医療に貢献した。

X線装置 ニューオーロラ号
島津製作所製
1896(明治29)年にレントゲン撮影に成功した二代目島津源蔵は、理化学用及び医療用X線装置の開発にも熱心であった。ニューオーロラ号は、1918(大正7)年頃から販売され、国内の多くの病院に設置され、わが国の医療に貢献した。

 

この機械ですよ?これを白衣のおじさんが操作する・・・子供は確実に泣きますね。

この機械ですよ?これを白衣のおじさんが操作する・・・子供は確実に泣きますね。

 

ニューオーロラ号、高圧の電気を使うのでしょう大きな碍子が物々しいです。中央のハンドルで電圧か何かを制御するのでしょう。下の箱は・・・コンデンサでしょうか・・・これを見ているうちにある典型的な絵が思い浮かびました。

ニューオーロラ号、高圧の電気を使うのでしょう大きな碍子が物々しいです。中央のハンドルで電圧か何かを制御するのでしょう。下の箱は・・・コンデンサでしょうか・・・これを見ているうちにある典型的な絵が思い浮かびました。

 

よくある表現ですけど、雷に打たれたらガイコツって、いつも「どうしてだろう」と思っていたんです。この機械から来た表現だって考えればスッキリします。 きっと、この装置のどこかでバチバチ火花が飛んでいる部分があったのではないでしょうか?電気が流れる?ブーンという音がしていたのではないでしょうか? それと透視というのが組み合わさり、世界中でこのような表現になったのだと考えれば納得がいきます。

よくある表現ですけど、僕はすっと雷もしくは電気に打たれた表現だと理解していました。でも、雷に打たれたらガイコツって、いつも「どこでそう繋がるんだろう」と、不思議に思っていたんです。それも、このX線装置から来た表現と考えればスッキリします。
きっと、この装置のどこかでバチバチ電気の青い火花が飛んでいる部分があったのではないでしょうか? また、電気が流れる?ブーンという音がしていたのではないでしょうか?
それらとX線透視というのが組み合わさり、世界中でこのような表現になったのだと考えれば納得がいきます。

 

ニューオーロラ・・・今だと安っぽいホテルの名前にしか思えませんが、大正時代の話です。きっとカッコよく感じてもらえたのでしょう。しかも「号」が付いています。装置に「号」をつけるセンス、今は信じられないことですが、その大きさは「号」にふさわしいです。きっとオーロラというのもその電気との関係や神秘的な印象から名付けたのでしょう。

ニューオーロラ・・・今だと安っぽいホテルの名前にしか思えませんが、大正時代の話です。きっとカッコよく感じてもらえたのでしょう。オーロラというのもその電気との関係や神秘的な印象から来ているのだと思います。しかもニューオーロラの後ろには「号」が付いています。装置に「号」をつけるセンス、今は信じられないことですが、その装置の大きさは堂々として「号」にふさわしいです。

 

銘板にはROENTGEN APPARATUSと書いてあります。SHIMADZU SEISAKUSHO LTDはKYOTO,TOKYO,OSAKA,FUKUOKA,DAIREN・・・その当時すでに大連にも支店があったんですね。

銘板にはROENTGEN APPARATUSと書いてあります。SHIMADZU SEISAKUSHO LTDはKYOTO,TOKYO,OSAKA,FUKUOKA,DAIREN・・・その当時すでに大連にも支店があったんですね。

 

このガラスの機器からX線が放射されて、後ろの木の板にはさんだ感光体に像が定着するんですかねえ・・・もー子供は絶対泣きますってば。これは大人だって怖いです。当時病院なんて暗い感じでしょうし、ブンブンバチバチいっている装置から出る得体の知れない光線を浴びるなんて・・・

このガラスの機器からX線が放射されて、後ろの木の板にはさんだ感光体に像が定着するんですかねえ・・・もー子供は絶対泣きますってば。これは大人だって怖いです。当時病院なんて暗い感じでしょうし、ブンブンバチバチいっている装置から出る得体の知れない光線を浴びるなんて・・・

マッドサイエンティストの話はやっと終り、次です

 

コミュニケーションとはちょっと違いますが、計算機の話です。後ろのパネルを読んでみましょう。まずは左のパネル。 そろばんに負けたから計算機をつくりたいと思った カシオ計算機の創業者の一人、樫尾俊雄は、計算機を開発するようになった経緯について、以前語っている。「ある時、電動計算機とそろばんによる計算速度の対決で、そろばんが勝った。しかし、そろばんによる計算速度はこれ以上速くならないだろうと思った。ところが計算機は技術によって、まだまだ発展させることができる。それならやってみようと思った」と語っている。 とあります。モーターを使った計算ではそろばんに負けてしまうんですね。そしてその隣のパネルには・・・ はじまりは計算する機械 複雑な計算は面倒くさい。そこで計算する機械が考案された。明治時代の中頃になると、国内でも機械式計算機の特許が認められている。1903(明治36)年には、矢頭良一が独自のアイディアによる計算機「自動算盤」を発明している。そして1950年代後半には、リレーを使った計算機や真空管式の計算機が登場した。1964(昭和39)年に早川電機工業(現・シャープ)が発表したオールトランジスタ式卓上計算機は業界に大きな衝撃を与えた。

コミュニケーションとはちょっと違いますが、計算機の話です。後ろのパネルを読んでみましょう。まずは左のパネル。

そろばんに負けたから計算機をつくりたいと思った
カシオ計算機の創業者の一人、樫尾俊雄は、計算機を開発するようになった経緯について、以前語っている。「ある時、電動計算機とそろばんによる計算速度の対決で、そろばんが勝った。しかし、そろばんによる計算速度はこれ以上速くならないだろうと思った。ところが計算機は技術によって、まだまだ発展させることができる。それならやってみようと思った」と語っている。

とあります。モーターを使った計算ではそろばんに負けてしまうんですね。そしてその隣のパネルには・・・

はじまりは計算する機械
複雑な計算は面倒くさい。そこで計算する機械が考案された。明治時代の中頃になると、国内でも機械式計算機の特許が認められている。1903(明治36)年には、矢頭良一が独自のアイディアによる計算機「自動算盤」を発明している。そして1950年代後半には、リレーを使った計算機や真空管式の計算機が登場した。1964(昭和39)年に早川電機工業(現・シャープ)が発表したオールトランジスタ式卓上計算機は業界に大きな衝撃を与えた。

 

これがその業界に衝撃を与えたシャープの卓上計算機。 電子式卓上計算機 コンペットCS-10A 1964(昭和39)年 オールトランジスタ・ダイオードによる電子式卓上計算機として、世界でも最初期に発売され、その後の小型化や普及に道を拓いた。ゲルマニウム・トランジスタ530個とダイオード2,300個を含む4,000点の部品からなり、重量は25kgもある。定価は53万5千円で、当時の大衆的な乗用車と大体同じ値段であった。 卓上といっても卓に載せることが可能・・・という大きさですが

これがその業界に衝撃を与えたシャープの卓上計算機。
電子式卓上計算機 コンペットCS-10A 1964(昭和39)年
オールトランジスタ・ダイオードによる電子式卓上計算機として、世界でも最初期に発売され、その後の小型化や普及に道を拓いた。ゲルマニウム・トランジスタ530個とダイオード2,300個を含む4,000点の部品からなり、重量は25kgもある。定価は53万5千円で、当時の大衆的な乗用車と大体同じ値段であった。

卓上といっても卓に載せることが可能・・・という大きさと重さですね。

 

電子計算機 SOBOX ICC-500 ソニー製 1967(昭和42)年
トランジスタ電卓元年の1964(昭和39)年に発表された試作計算機の実用機で、軽量小型で使い勝手の良さにソニーならではの工夫が光る。

たった三年で卓上と素直に認められる計算機ができてしまいましたね。

 

カシオミニ カシオ計算機製 1972(昭和47)年 ついにパーソナルユースの電卓登場!幅146×奥行77×高さ42mm。重量315g(本体215g、電池100g)、少肥電力は0.85W。手のひらサイズのこ型電子卓上計算機である。開発当初より個人での利用を考え、機能を絞り低価格(発売当時の価格は12,800円)を実現したことにより、電卓が広く普及するきっかけとなった。

カシオミニ カシオ計算機製 1972(昭和47)年
ついにパーソナルユースの電卓登場!幅146×奥行77×高さ42mm。重量315g(本体215g、電池100g)、少肥電力は0.85W。手のひらサイズのこ型電子卓上計算機である。開発当初より個人での利用を考え、機能を絞り低価格(発売当時の価格は12,800円)を実現したことにより、電卓が広く普及するきっかけとなった。

 

答え一発カシオミニ・・・ですね。今気がついたのですが、普段何も考えずに使っている「電卓」という言葉・・・よく考えたら、どこにも計算機の匂いがないです。

 

電気とテーブルしか想像できない・・・今まで何も考えていませんでした。これで小さな計算機だとどうして認識できたのか・・・

 

ここまで見てきてやっとわかりました、樫尾さんがそろばんに負けた悔しさの詰まった、そろばんの手動に対抗しての電気、もしくは電動の「電」と、巨大な装置としての計算機ではなく、「家庭でも使えますよ」の気持が込められた卓上の「卓」合わせて「電卓」。

 

今から50年以上も前のその気持が今に繋がって、個人で使う小さな計算機のことを「電卓」と認識しているんですね!おもしろいです。

 

今日はこんなところです。また明日!

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  • 世界最速の『おにぎり』(多分)#レッドブルボックスカートレース #redbullsoapboxraceへのコメント (noraより[10/09]) 好きな具は昆布さん 
  • 「お米たべてー!」TEAMはゼッケン8。#レッドブルボックスカートレース #redbullsoapboxraceへのコメント (noraより[10/09]) H2さん こんにちは
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