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明治150年記念、日本を変えた千の技術博

第8章、コミュニケーションを変える技術「日本を変えた千の技術博@国立科学博物館」

休みの日、さらには巨大台風19号の接近により、見に来る人も少ないので今日は趣向を変えて・・・国立科学博物館で開催されていた、明治150年記念、日本を変えた千の技術博という特別展で見たものいろいろ・・・その24です。

 

こんな展示です。WEBページによれば・・・ 明治改元から150年、そして2019年に予定される改元。 時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。 日本各地の大学・研究機関や企業などから、 600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合! 科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真などを合わせ、 "日本を変えた千の技術"をたっぷりと紹介していきます。 中でも、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、 「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料は特に注目です! だそうです。 開館時間 : 午前9時~午後5時 (金曜日、土曜日は午後8時まで、入館は各閉館時間の30分前まで) 休館日 : 毎週月曜日(2月25日は開館、2月12日はお休み)

こんな展示です。WEBページによれば・・・

明治改元から150年、そして2019年に予定される改元。
時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。
日本各地の大学・研究機関や企業などから、
600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合!
科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真などを合わせ、
“日本を変えた千の技術”をたっぷりと紹介していきます。
中でも、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、
「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料は特に注目です!

もう終っちゃいましたけどね。

 

さて、第8章はコミュニケーションを変える技術です。 遠くへ習字に正確に情報を伝える。実現させたのは電気による通信技術です。19世紀に有線電信で始まり、20世紀に入ってラジオやテレビなどが登場し、情報化社会へと発展してきました。そして、コンピューターや人工知能(AI)は人の想像を超えた速度で進化しつつあり、人々のコミュニケーションが変わるかもしれません。 とあります。

さて、第8章はコミュニケーションを変える技術です。

遠くへ習字に正確に情報を伝える。実現させたのは電気による通信技術です。19世紀に有線電信で始まり、20世紀に入ってラジオやテレビなどが登場し、情報化社会へと発展してきました。そして、コンピューターや人工知能(AI)は人の想像を超えた速度で進化しつつあり、人々のコミュニケーションが変わるかもしれません。

とあり、展示は電気でつなぐ技術から始まっています。

どこでも、だれとでも電気でつながる
1871(明治4)年、デンマークの大北電信会社が長崎まで海底ケーブルを敷設し、日本は世界の通信網につながりました。1898年頃には、松代松之助が日本で初めての無線通信実験に成功しています。戦後、無線やエレクトロニクスの技術の発達により、1960年代には海底ケーブルと通信衛星によって、日本は世界とつながるようになりました。とあります。

松代松之助・・・すごい名前ですが、調べてみると電気試験所の主任で、日本海軍日露戦争当時以降使用した三六式無線電信機の前身、三四式無線機を開発した技師のようです。また、大北電信会社という会社は今でもあって、GNストア・ノードという名前で、現在は補聴器やヘッドセットなどの音響機器製造業として存続している模様です。

 

海底ケーブルの展示なのでしょう。背景のパネルには 世界が電線でつながる 水圧や張力に耐える海底ケーブルの製造は、明治時代の日本では困難であった。当時の古河電気工業、住友電線、藤倉電線がこの分野に挑戦し、1920年代には国産化に成功した。  戦後、国際間の通信は飛躍的に増え、1964(昭和39)年には日米で、太平洋横断海底ケーブルの第一号(TPC-1)を建設した。その際、日本太平洋海底電線(OCC)がケーブル製造を請け負った。現在、日本の国際通信は人工衛星も経由するが約99%は光海底ケーブルを利用していて、それを製造・敷設できるのは、世界でもNEC/OCC他数社しかない。 とあります。

海底ケーブルの展示なのでしょう。背景のパネルには

世界が電線でつながる
水圧や張力に耐える海底ケーブルの製造は、明治時代の日本では困難であった。当時の古河電気工業、住友電線、藤倉電線がこの分野に挑戦し、1920年代には国産化に成功した。
 戦後、国際間の通信は飛躍的に増え、1964(昭和39)年には日米で、太平洋横断海底ケーブルの第一号(TPC-1)を建設した。その際、日本太平洋海底電線(OCC)がケーブル製造を請け負った。現在、日本の国際通信は人工衛星も経由するが約99%は光海底ケーブルを利用していて、それを製造・敷設できるのは、世界でもNEC/OCC他数社しかない。

とあります。

 

そんな海底ケーブルの展示の次はアンティークな電話。しかしこれは無線電話機です。 TYK式無線電話機 1914(大正3)年に鳥潟右一、横山英太郎、北村政治郎らによって世界で最初に実用化された無線電話機。 ええええっ?これって携帯電話ってことでしょうか?(携帯できないですけど)

そんな海底ケーブルの展示の次はアンティークな電話。しかしこれは無線電話機です。
TYK式無線電話機
1914(大正3)年に鳥潟右一、横山英太郎、北村政治郎らによって世界で最初に実用化された無線電話機。
ええええっ?これって携帯電話ってことでしょうか?(携帯できないですけど)

 

電線もないのに遠くに電気が届く 無線技術は19世紀末に研究が始まったばかりの若い技術であった。1896(明治29)年には早くも逓信省電気試験所の松代松之助らが研究に着手している。その成果は日露戦争の日本海海戦で無線電信機が活用されたことで実証された。そして同所の鳥潟右一、横山英太郎と北村政治郎は、1912(明治45)年にTYK式無線電話機を開発して実験に成功し、2年後には伊勢湾で離島間通信に使用された。これは世界における無線電話の最初の実用例となった。

電線もないのに遠くに電気が届く
無線技術は19世紀末に研究が始まったばかりの若い技術であった。1896(明治29)年には早くも逓信省電気試験所の松代松之助らが研究に着手している。その成果は日露戦争の日本海海戦で無線電信機が活用されたことで実証された。そして同所の鳥潟右一、横山英太郎と北村政治郎は、1912(明治45)年にTYK式無線電話機を開発して実験に成功し、2年後には伊勢湾で離島間通信に使用された。これは世界における無線電話の最初の実用例となった。とあります。

 

こちらはアンテナと受信機でしょうか?

こちらはアンテナと受信機でしょうか?

 

上の展示は八木・宇田アンテナを初めて実用化した極超短波無線受信機でした。 八木・宇田アンテナは、短波及び超短波用のアンテナで、東北帝国大学の八木秀次や宇田新太郎らによって発明された。特に宇田新太郎の貢献が大きかったと言われている。1926(大正15)年に特許となった。 八木・宇田アンテナなくしてテレビ見られず! 指向性超短波アンテナの元祖で世界中の家の屋根の上に! 今や衛星のパラボラのほうが多いかもしれませんが、世界中の家の屋根の上・・・確かにそうです。

上の展示は八木・宇田アンテナを初めて実用化した極超短波無線受信機でした。

八木・宇田アンテナは、短波及び超短波用のアンテナで、東北帝国大学の八木秀次や宇田新太郎らによって発明された。特に宇田新太郎の貢献が大きかったと言われている。1926(大正15)年に特許となった。

また、その下の吹き出しには

八木・宇田アンテナなくしてテレビ見られず!
指向性超短波アンテナの元祖で世界中の家の屋根の上に!

とあります。今や衛星のパラボラのほうが多いかもしれませんが、世界中の家の屋根の上・・・確かにそうです。こんな発明はなかなかないですよね!

 

蜘蛛の巣みたいなアンテナは鉱石ラジオのアンテナ。右手前は四球ラジオ。

蜘蛛の巣みたいなアンテナは鉱石ラジオのアンテナ。右手前は四球ラジオ。印象的な少女の絵が取りあげられたパネルには、ラジオ放送開始とタイトルされています。
1907(明治40)年にアメリカのデ・フォレストが発明した三極真空管は、球速にその応用分野を広げ、電子の時代になった。真空管の発達がラジをやテレビを実現し、そしてエレクトロニクスの時代が到来したのである。アメリカでは1920(大正9)年にKDKA局がラジオ放送を開始し、我が国でも少し遅れて1925(大正14)年からラジオの本放送が開始された。放送を支えた真空管の技術に関しても、1930年頃には欧米との技術格差は少なくなった。と書いてあります。

 

雑誌「主婦の友」 ラジヲを聞いている婦人・・・とあります。子供じゃなくてご婦人なんだ!

雑誌「主婦の友」
ラジヲを聞いている婦人・・・とあります。子供じゃなくてご婦人なんだ!

 

コヒラー検波機 鉱石検波器や真空管が発明されるまで多用された電波の検波機。ニッケルと銀の粉末を銀栓サンドイッチしガラス管に封入したもの。電波を受けると抵抗値が変化する。本機は鳥潟右一が使用したと伝わる。 ゲルマニウムラジオの前にシルバーラジオがあったということでしょうか。

コヒラー検波機
鉱石検波器や真空管が発明されるまで多用された電波の検波機。ニッケルと銀の粉末を銀栓サンドイッチしガラス管に封入したもの。電波を受けると抵抗値が変化する。本機は鳥潟右一が使用したと伝わる。

ゲルマニウムラジオの前にシルバーラジオがあったということでしょうか。

 

だんだん新しいものが展示されてきます。ダイヤル式の電話機。

だんだん新しいものが展示されてきます。ダイヤル式の電話機。

 

そしてバブルでおなじみショルダーホン。僕も使っているヒト見たことがあります。 ショルダーホン100型 大阪万博から15年ほどして、持ち歩くことができる電話が登場した。しかし、まだ自動車電話と兼用になっていた。とあります。 そういえば、自動車電話のついた車には特別な形のアンテナが必要で、見栄を張るためにアンテナだけが売られていましたよね!町中にはそのアンテナを付けたハイソカーってヤツが溢れていました。

そしてバブルでおなじみショルダーホン。僕も使っているヒト見たことがあります。
ショルダーホン100型
大阪万博から15年ほどして、持ち歩くことができる電話が登場した。しかし、まだ自動車電話と兼用になっていた。とあります。
そういえば、自動車電話のついた車には特別な形のアンテナが必要で、見栄を張るためにアンテナだけが売られていましたよね!町中にはそのアンテナを付けたハイソカーってヤツが溢れていました。

 

どこでも誰とでも電波でつながる かつてはどこにでも持ち歩ける電話が夢だった。1970(昭和45)年に大阪で開催された日本万国博覧会は、その夢の実現が近いことを印象づけた。15年後にやっと実現した携帯電話は肩掛けカバンほどの大きさであった。無線で電波を飛ばし、電話と交換機の技術があれば、携帯電話ができるわけではない。電波を細かく分けて使い、空間を飛び交う膨大な電波のなかから、それをキャッチし、混線しないように通信する高度な技術がひつようなのだ。 その下は自動車電話。そうそう!多くの人が見栄をはってインチキで付けていたのはこのアンテナです!

どこでも誰とでも電波でつながる
かつてはどこにでも持ち歩ける電話が夢だった。1970(昭和45)年に大阪で開催された日本万国博覧会は、その夢の実現が近いことを印象づけた。15年後にやっと実現した携帯電話は肩掛けカバンほどの大きさであった。無線で電波を飛ばし、電話と交換機の技術があれば、携帯電話ができるわけではない。電波を細かく分けて使い、空間を飛び交う膨大な電波のなかから、それをキャッチし、混線しないように通信する高度な技術がひつようなのだ。
その下は自動車電話。そうそう!多くの人が見栄をはってインチキで付けていたのはこのアンテナです!

 

当時のどこでも、誰とでもつながる夢・・・現実のものとなった現在では寝ても覚めても誰かとつながっていて、つながりに逆に追いかけられいている状態です。「つながらない権利」なんて最近のニュースで聞きましたもん。

 

具体的にはコンサートホールで電話がつながらないようにする技術が開発されたり、見えないものを見えるようにするレーダー技術が開発されれば、それで発見されないようにステルス技術が磨かれる・・・

 

夢が現実になればその夢を無効にする技術ができる・・・常にプラスマイナスがついてきます。こんどはその塩梅をAIでコントロールしようなんていう技術ができたりして・・・

 

きっとそのうちAIの裏をかくAIなどが開発され、さらにその裏をかくAI・・・新しい技術を使うほうのニンゲンはどこまでおばかさんなんだろうと思います。

 

どうしたらよいのか、考えがまとまらないまま今日はおしまいです。また明日!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第7章、街づくりを変える技術「日本を変えた千の技術博@国立科学博物館」

休みの日は見に来る人も少ないので今日は趣向を変えて・・・国立科学博物館で開催されていた、明治150年記念、日本を変えた千の技術博という特別展で見たものいろいろ・・・その23です。

 

こんな展示です。WEBページによれば・・・ 明治改元から150年、そして2019年に予定される改元。 時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。 日本各地の大学・研究機関や企業などから、 600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合! 科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真などを合わせ、 "日本を変えた千の技術"をたっぷりと紹介していきます。 中でも、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、 「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料は特に注目です! だそうです。 開館時間 : 午前9時~午後5時 (金曜日、土曜日は午後8時まで、入館は各閉館時間の30分前まで) 休館日 : 毎週月曜日(2月25日は開館、2月12日はお休み)

こんな展示です。WEBページによれば・・・

明治改元から150年、そして2019年に予定される改元。
時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。
日本各地の大学・研究機関や企業などから、
600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合!
科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真などを合わせ、
“日本を変えた千の技術”をたっぷりと紹介していきます。
中でも、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、
「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料は特に注目です!

もう終っちゃいましたけどね。

 

第7章 街づくりを変える技術 地震、雷、火事、親父。この怖いもののリストの1番と2番は自然災害です。突然襲ってくる自然災害。その国土で快適かつ安全に暮らすために、防災の技術が発達しました。震災の経験は耐震設計を生み、重機は環境を住みよく変え、レーダーは自然災害に備える礎となっています。 とあります。

第7章 街づくりを変える技術
地震、雷、火事、親父。この怖いもののリストの1番と2番は自然災害です。突然襲ってくる自然災害。その国土で快適かつ安全に暮らすために、防災の技術が発達しました。震災の経験は耐震設計を生み、重機は環境を住みよく変え、レーダーは自然災害に備える礎となっています。
とあります。

 

柔構造VS剛構造

 

関東自身で倒壊した凌雲閣(浅草十二階) 1923(大正12)年9月1日に発生した関東地震によって上部が倒壊した凌雲閣と倒壊した上智大学の建物 このような壊れ方をしたのでは人的被害も相当大きかったのでしょうね。

関東地震で倒壊した凌雲閣(浅草十二階)
1923(大正12)年9月1日に発生した関東地震によって上部が倒壊した凌雲閣と倒壊した上智大学の建物

とあります。このような壊れ方では人的被害も相当なものだったでしょう。

 

ものすごく巨大な装置セットです。

グレーの四角いものは1961年、日立製のアナログ計算機。地震に対する建物の応答を計算するために作られたそうです。

 

全体が一枚の写真に入りきらないこの装置は、 関東地震を再現する装置! 円筒の外側に付けられた3本の鉄線は、”関東地震の波形”。 その波形に忠実に振動台を揺らすことができる! とあります。

次の装置は、
関東地震を再現する装置!
円筒の外側に付けられた3本の鉄線は、”関東地震の波形”。
その波形に忠実に振動台を揺らすことができる!

とあります。上の写真の右側の円筒に3本の鉄線が乗っているのが見えますよね?

 

もしかしたら中央下のちょっとした四角い部分がその振動台なのかもしれません。巨大な装置ですけど、揺らすのがこの小さなスペースだとしたら、ちょっとおかしいです。

もしかしたら中央下のちょっとした四角い部分がその振動台なのかもしれません。巨大な装置ですけど、揺らすのがこの小さなスペースだとしたら、ちょっとおかしいです。

 

上の機械は最古の地震振動装置だそうです。 1929(昭和4)年 90年前の耐震研究装置。振動台の上に模型を乗せ、それを実際に揺らして影響を解析する手法は古くからあるが、東京工業大学の谷口忠は、より地震波に近い振動を模型に与えて過渡的な現象を観測できる装置を考案した。本装置を使った実験により、建築物の地震に対する応答を解析した。 とあります。

上の機械は最古の地震振動装置だそうです。
1929(昭和4)年
90年前の耐震研究装置。振動台の上に模型を乗せ、それを実際に揺らして影響を解析する手法は古くからあるが、東京工業大学の谷口忠は、より地震波に近い振動を模型に与えて過渡的な現象を観測できる装置を考案した。本装置を使った実験により、建築物の地震に対する応答を解析した。

とあります。やっぱりあのスペースに模型を置くんですね!

 

エピソード 柔構造VS剛構造  固い建物(剛構造)としなやかな建物(柔構造)、どちらが耐震性に優れているか。東京帝国大学の佐野利器は、サンフランシスコ地震の調査などから剛構造による耐震理論を提案した。関東地震の被害を受け、真島健三郎が柔構造を提唱し建築界では議論となった。  構想の構造物では、柔構造とならざるをえないが、柔らかすぎれば変形してしまう。地震に対して、実際の建物がどう揺れるか。強震計による地震記録の集計と計算機を使った動的設計法によって、日本で高層建築を立てることが可能となった。 とあります。

エピソード
柔構造VS剛構造
 固い建物(剛構造)としなやかな建物(柔構造)、どちらが耐震性に優れているか。東京帝国大学の佐野利器は、サンフランシスコ地震の調査などから剛構造による耐震理論を提案した。関東地震の被害を受け、真島健三郎が柔構造を提唱し建築界では議論となった。
 構想の構造物では、柔構造とならざるをえないが、柔らかすぎれば変形してしまう。地震に対して、実際の建物がどう揺れるか。強震計による地震記録の集計と計算機を使った動的設計法によって、日本で高層建築を立てることが可能となった。
とあります。

 

結局このエピソードには柔構造VS剛構造のどちらが勝ったのか、書いていなかったので調べてみました。Wikipediaによると、一応この時は剛構造有利で決着したようなことが書いてありました。

 

レーダー

 

怖い自然災害、地震の次は気象現象です。電波を使えは見えないものが捉えられる・・・ということでレーダーです。 小型船舶用レーダー NMD-411型 アンテナ 波長3.2mm、尖頭出力30kw、最大探知距離80km、戦後GHQから気象レーダーの研究が許可されたのは1950(昭和25)年で、翌年に一般的なレーダーの研究が解禁となった。本装置はかつて日本館屋上で、実際に稼働させ展示していたものである。とあります。

怖い自然災害、地震の次は気象現象です。電波を使えは見えないものが捉えられる・・・ということでレーダーです。

 

小型船舶用レーダー NMD-411型 アンテナ 波長3.2mm、尖頭出力30kw、最大探知距離80km、戦後GHQから気象レーダーの研究が許可されたのは1950(昭和25)年で、翌年に一般的なレーダーの研究が解禁となった。本装置はかつて日本館屋上で、実際に稼働させ展示していたものである。とあります。

小型船舶用レーダー NMD-411型 アンテナ
波長3.2mm、尖頭出力30kw、最大探知距離80km、戦後GHQから気象レーダーの研究が許可されたのは1950(昭和25)年で、翌年に一般的なレーダーの研究が解禁となった。本装置はかつて日本館屋上で、実際に稼働させ展示していたものである。

とあります。

 

 

気象レーダー 電磁波は、雨や雪、雲などに当たると、吸収や散乱が起こる。底から反射して返ってくる電磁波を分析すると、雨や雨雲の状況を知ることができる。アメリカでは1940年代から研究が進み、我が国では戦後の1954(昭和29)年から開発が始まった。  その10年後、富士山頂に最大観測範囲800キロメートルにおよぶレーダーが完成し、台風の接近を知ることができるようになった。現代ではゲリラ豪雨などの局地的な現象を、より遠く正確に把握するためのレーダー開発が続いている。

気象レーダー
電磁波は、雨や雪、雲などに当たると、吸収や散乱が起こる。底から反射して返ってくる電磁波を分析すると、雨や雨雲の状況を知ることができる。アメリカでは1940年代から研究が進み、我が国では戦後の1954(昭和29)年から開発が始まった。
 その10年後、富士山頂に最大観測範囲800キロメートルにおよぶレーダーが完成し、台風の接近を知ることができるようになった。現代ではゲリラ豪雨などの局地的な現象を、より遠く正確に把握するためのレーダー開発が続いている。

 

で、その電波のもとマグネトロン

 

富士山レーダー用マグネトロンM159A せん頭出力2MW、パルス幅4μS。 富士山頂に、世界最大の気象レーダーがあった。1959(昭和34)年の伊勢湾台風による被害を契機に、日本に近づくおそれのある台風の市を早期に把握するため、気象庁によって建設されたものである。本紙量はその富士山レーダーの心臓部。 とあります。マグネトロンはWikipediaによるとマグネトロンとは、発振用真空管の一種で、磁電管とも呼ばれる。電波の一種である強力なマイクロ波を発生する。レーダーや電子レンジに使われている。と書かれています。

富士山レーダー用マグネトロンM159A
せん頭出力2MW、パルス幅4μS。
富士山頂に、世界最大の気象レーダーがあった。1959(昭和34)年の伊勢湾台風による被害を契機に、日本に近づくおそれのある台風の市を早期に把握するため、気象庁によって建設されたものである。本紙量はその富士山レーダーの心臓部。

とあります。Wikipediaによるとマグネトロンとは、発振用真空管の一種で、磁電管とも呼ばれる。電波の一種である強力なマイクロ波を発生する。レーダーや電子レンジに使われている。と書かれています。

 

気象レーダー用マグネトロン5M36A

気象レーダー用マグネトロン5M36A

 

電子レンジ用マグネトロン

電子レンジ用マグネトロン

 

電波でモノを温める 電子レンジは、アメリカのレーダ技師パーシー・スペンサーが戦時中の研究開発の過程で思いついたといわれている。戦後アメリカでレーダーレンジの名で発売された。 我が国では、1959(昭和34)年に東京芝浦電気が最初の電子レンジを開発し、その後各社も発売した。1962(昭和37)年には、国鉄の食堂車で使用され、評判となった。以降、国内各社の電子レンジ用マグネトロンの開発によって、小型化、低価格化が進み、瞬く間に家庭用調理家電として普及した。

電波でモノを温める
電子レンジは、アメリカのレーダ技師パーシー・スペンサーが戦時中の研究開発の過程で思いついたといわれている。戦後アメリカでレーダーレンジの名で発売された。
我が国では、1959(昭和34)年に東京芝浦電気が最初の電子レンジを開発し、その後各社も発売した。1962(昭和37)年には、国鉄の食堂車で使用され、評判となった。以降、国内各社の電子レンジ用マグネトロンの開発によって、小型化、低価格化が進み、瞬く間に家庭用調理家電として普及した。

 

というわけで、1961年、東京芝浦電気製の電子レンジです。冷蔵庫ぐらいの大きさ。中央の取手部分が実際の調理スペースなのでしょう。今のサイズを考えると驚異的です。

というわけで、1961年、東京芝浦電気製の電子レンジです。冷蔵庫ぐらいの大きさ。中央の取手部分が実際の調理スペースなのでしょう。今のサイズを考えると驚異的です。

 

今日はこんなところです。また明日!

あと14日!投票は100越えを狙ってます。よろしくお願いします!

 

わー昨日より一つ増えてる・・・うれしー!     今回「お米たべてー!」TEAMのカート名は『おむすびころりん』。地震で物資の輸送が止まっても保存の効く米は有効です。みんながお米を食べなくなって、田んぼがなくなってしまったら、非常時だって困ります。一人一人が一日おにぎりを一つ食べるだけだってかなり違うはず。というわけで、現在受付中の人気投票で「お米たべてー!」TEAMに投票をお願いします!

わー昨日より一つ増えてる・・・うれしー!
今回「お米たべてー!」TEAMのカート名は『おむすびころりん』。地震で物資の輸送が止まっても保存の効く米は有効です。みんながお米を食べなくなって、田んぼがなくなってしまったら、非常時だって困ります。一人一人が一日おにぎりを一つ食べるだけだってかなり違うはず。というわけで、現在受付中の人気投票で「お米たべてー!」TEAMに投票をお願いします!

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