新しくできる水戸市民会館の模型を見てきました

近所の出張所に、新しくできる水戸市民会館の模型があると言うので見てきました。

『まさにこういうのが建ちます』という実勢設計の模型です。入口入ってすぐにあったので光が反射して見にくいかも。左が水戸芸術館。中央に市民会館をはさんで右奥が京成百貨店です。
『まさにこういうのが建ちます』という実勢設計の模型です。入口入ってすぐにあったので光が反射して見にくいかも。左が水戸芸術館。中央に市民会館をはさんで右奥が京成百貨店です。西側から眺めている感じですかね?
水戸市のWEBページによると公募型プロポーザルで設計者が伊東豊雄さんに決定したのでした。2016年というからずいぶん前だったんですね。
水戸市のWEBページによると公募型プロポーザルで設計者が伊東豊雄さんの会社に決定したのでした。2016年というからずいぶん前だったんですね。

最優秀者    D-029 株式会社 伊東豊雄建築設計事務所

ホールを木のやぐらでとり囲むという、個性的なこんな案です。
最優秀者の案はホールを木のやぐらでとり囲むという、個性的なこんな案です。詳細はわかりませんが、A3のこんな紙とプレゼンテーションの動画がWEBページに上がっています。その2つだけで選ぶのだとしたら、審査に当たった人は大変だったでしょうね・・・

↑最優秀者のプレゼンテーション。

優秀者(次点) D-056 (仮称)teco・能作建築設計事務所設計共同企業体

優秀者(次点)のプロポーザル。こちらもなかなか魅力的です。ホールを中心とした「屋根のある街」という感じですね。
優秀者(次点)のプロポーザル。こちらもなかなか魅力的です。ホールを中心として「突然できる小さな街」という感じですね。「建物の顔」という考え方も僕のツボです。

とにかく、最優秀者以外は全員優秀者という結果通り、どの案もなかなかステキで、逆に「きめて」というものが見当たらない感じです。

市内企業の案もなかなかステキです。市内の会社は別枠なんですね。

最優秀者    S-012 株式会社横須賀満夫建築設計事務所

やはり市内の会社は水戸のことをよく知っている感じで、気候や既存の施設とのかかわりなど、街の人の側に立った案という感じがします。いやー・・・これは選ぶのが難しい。
やはり市内の会社は水戸のことをよく知っている感じで、気候や既存の施設とのかかわりなど、街の人の側に立った案という感じがします。いやー・・・これは選ぶのが難しい。

優秀者(次点) S-011 株式会社エイプラス・デザイン

こちらも市内の会社。こちらもとてもよくできています。傾向としては市内の会社は水戸のまちをよく知っているだけに、似たような感じになっています。それに比べると外の会社はちょっと個性的な部分もあって、「外の視点を入れてみようかな?」
こちらも市内の会社。こちらもとてもよくできています。傾向としては市内の会社は水戸のまちをよく知っているだけに、似たような感じになっています。

それに比べると外の会社はちょっと個性的。

模型に戻ります。

模型は今まさに建てようとしている市民会館の模型。(京成百貨店と水戸芸術館の間は更地になっていました)
模型は今まさに建てようとしている市民会館の模型。(京成百貨店と水戸芸術館の間は更地になっていました)
芸術館側から見た市民会館。なんだかちょっとプロポーザルと違う感じだなぁ・・・
芸術館側から見た市民会館。なんだかちょっとプロポーザルと違う感じだなぁ・・・
でも木のやぐらはやるみたいで、窓の奥に木の軸組のようなものが見えます。外側をガラスのカーテンウォールで囲っているのでしょうか・・・
でも木のやぐらはやるみたいで、窓の奥に木の軸組のようなものが見えます。外側をガラスのカーテンウォールで囲っているのでしょうか・・・
ホールのサイズが少し変わったのでしょうか?この部分もプロポーザルと変わっている感じがします。
ホールのサイズが少し変わったのでしょうか?この部分もプロポーザルと変わっている感じがします。
京成側から見るとこんな感じ。
京成側から見るとこんな感じ。
中がどんな風になるのか早く見てみたいですね!
中がどんな風になるのか早く見てみたいですね!
泉町2丁目交差点あたりから泉町1丁目の交差点を見る感じ。
泉町2丁目交差点あたりから泉町1丁目の交差点を見る感じ。左側が市民会館。

あとは見たい写真をクリックしていただければ・・・

もうこんな時間になってしまった・・・それではまた明日!

50年目の野望

菅原さんといえばこういう日野レンジャーのレーシングトラック(とはいっても、戦う相手は排気量が桁違いで、トラックとは名ばかり、巨大なエンジンを積んだバギーとも言えるモンスターですけど)ずっとダカール・ラリーに出ていました。

日本のモータースポーツ発祥の地、浅間山麓で行なわれたライドアフリカツインのお手伝いでブログを更新できなかった僕の生存確認のため、ここのテーマと関係ない話をもう一つ・・・


コマ図の指示に従って道を走り、スタート地点に戻ってくる、コマ図ラリーに参加するために、ギネスダカール・ラリーの最多連続出場(25回)記録保持者である、ラリー界のレジェンド菅原義正さんが来ていました。
コマ図の指示に従って道を走り、スタート地点に戻ってくる、コマ図ラリーに参加するために、ギネスダカール・ラリーの最多連続出場(25回)記録保持者である、ラリー界のレジェンド菅原義正さんが来ていました。
菅原さんといえばこういう日野レンジャーのレーシングトラック(とはいっても、戦う相手は排気量が桁違いで、トラックとは名ばかり、巨大なエンジンを積んだバギーとも言えるモンスターですけど)ずっとダカール・ラリーに出ていました。
菅原さんといえばこういう日野レンジャーのレーシングトラック(とはいっても、戦う相手は排気量が桁違いで、トラックとは名ばかり、巨大なエンジンを積んだバギーとも言えるモンスターですけど)ずっとダカール・ラリーに出ていました。
コマ図とは、40キロ地点で右に曲がれとか左に曲がれとか指示されるこんなもの。今現在の自分の場所しかわからない地図で、言われた通りに正確に走れば目的地に着く地図。すべてを知るのは主催者のみ。あらかじめルートや経由地を頭に入れておけないので、普通とはちょっと違う新鮮な体験ができるツーリングです。
コマ図とは、40キロ地点で右に曲がれとか左に曲がれとか指示されるこんなもの。今現在の自分の場所しかわからない地図で、言われた通りに正確に走れば目的地に着く地図。すべてを知るのは主催者のみ。あらかじめルートや経由地を頭に入れておけないので、普通とはちょっと違う新鮮な体験ができるツーリングです。
指示通りといっても、判断を誤れば迷子になってしまうので、何台かで「あーでもない、こーでもない」と話し合いながら走ってもヨシ、一人でじっくり取り組んでもヨシ。そんなイベントでした。
そんなイベントに菅原さんは「昨日買ってきたんだよ」というジムニーで参加です。
そんなイベントに菅原さんは「昨日買ってきたんだよ」というジムニーで参加です。
といっても、ただのジムニーではなく、世界で一番ジムニーを売っていると思われる自動車屋さんのデモカーだったもの。僕はジムニーには詳しくないのですが、ノーマルじゃないことはわかります。
といっても、ただのジムニーではなく、世界で一番ジムニーを売っていると思われる自動車屋さんのデモカーだったもの。僕はジムニーには詳しくないのですが、ノーマルじゃないことはわかります。
菅原さんに水を向けたらいきなり「僕は昔『軽自動車のすべて』という本を出しててね・・・」と話し始めます。軽自動車が今のように便利で快適じゃなかった頃、今の状態を『あの頃想像したことが全部現実になっちゃってるんだもの。今一番売れているのが軽自動車でしょ?』といいます。
菅原さんに水を向けたらいきなり「僕は昔『軽自動車のすべて』という本を出しててね・・・」と話し始めました。軽自動車が今のように便利で快適じゃなかった頃の本だそうで、そのときに予想した今の状態を『あの頃想像したことが全部現実になっちゃってるんだもの。今一番売れているのが軽自動車でしょ?』といいます。
この本、調べてみたら昭和46年に出た本。1971年、もう50年くらい前の本です。
この本、調べてみたら昭和46年に出た本。1971年、もう50年くらい前の本です。

菅原さん、二輪四輪と長年レース活動をされ、ずーっと出ていたダカールラリーは引退したのですが『最後はこの進化した軽で締めたいんだよ』的なことをおっしゃっていました。

僕はこのジムニーで何かおもしろいことを企んでいるんだな・・・と感じました

その本の内容がわかるサイトを見つけました

1971年に発行された『軽自動車のすべて : 便利でスバラシイこれからのクルマ』という本、絶版でどんな本かよくわからなかったのですが、探すと『44year later 日本の道とジムニーと』という記事に行き当たりました。ここに少しその内容がわかる記載があります。
1971年に発行された『軽自動車のすべて : 便利でスバラシイこれからのクルマ』という本、絶版でどんな本かよくわからなかったのですが、探すと『44year later 日本の道とジムニーと』という記事に行き当たりました。ここに少しその内容がわかる記載があります。

この本の中に書かれていたことを44年後に追体験するという記事です。

WEBの記事によれば、本の中で菅原さんは初代ジムニーの助手席に女子大生を乗せ、「中部山岳の秘境を走破」するというアドベンチャードライブをしたことになっています。

初代ジムニーといったら1970年に発売された2サイクルの360ccで4速MT。当時は道も未舗装が多くて悪く、ちょっとしたことが冒険になったという、ある意味幸せな時代でした。
初代ジムニーといったら1970年に発売された2サイクルの360ccで4速MT。当時は道も未舗装が多くて悪く、ちょっとしたことが冒険になったという、ある意味幸せな時代でした。写真はWikipediaより。

当時の道、当時の軽だからこそ冒険になった出来事・・・今の軽(ジムニー)で冒険、アドベンチャーをやるには・・・

進化した今の軽(ジムニー)で冒険になることといったらもう海外くらいしかなく、きっとそれは冒険の王様ダカール・ラリーでしょう。

しかし、今ダカールラリーは昔のようにアフリカでやっていません。ですから僕は「菅原さんは冒険のオールドスクール、アフリカで開催される何かのラリーにあの白いジムニーで出ようと考えているに違いない」と思いました。

その時はきっと『軽自動車のすべて』に書かれていたアドベンチャードライブの時のように、当時の女子大生か、現役の女子大生を助手席に乗せるに違いありません。

ま、僕の勝手な想像ですけど・・・

僕が浅間に行っている間に梅雨明しちゃったんですね。今日はこんなところです。また明日!
僕が浅間に行っている間に梅雨明しちゃったんですね。今日はこんなところです。また明日!