
たまーに写真撮影可の博物館、例えば『スガノ農機「土の館」トラクタ博物館』であったり『明治150年記念、日本を変えた千の技術博』の話になったりします。今日は先日行ってみた日立市の大甕(おおみか)にある日立製作所の企業ミュージアム「日立オリジンパーク」に行ってきましたその3です。日立最初の製品5馬力モーターの隣は5kVA変圧器でした。





自主技術の確立をめざす
小平の学生時代の日記には「模倣を以て満足する限りは日本の工業豈論ずるに足やむや」とある。日立鉱山では、送風機や電気鍛錬の電解槽など、たくさんの電気機械が導入されていたが、いずれも外国製であり、抗内の厳しい環境で酷使されていた。日々、焼損したモーターや変圧器を小さな小屋で修理しながら、研究し技術を磨き、人材を集め、失敗を克服し、製作事業への自身を高めていった。

日立マーク第1号
5kVA単相変圧器
工作課修理工場で修理した最初の製品は、変圧器と記録されている。手荒く扱われるため、修理どころではなく初めから作るようなものも多かった。すぐ交換できるように、修理だけでなく変圧器の中身を作ることで、経験を積み重ねた。製作に必要な鋳物と巻線絶縁については素人ばかりであったため、鋳物職人を育て、絶縁も試行錯誤しながら技術を習得していった。こうして、日立鉱山用5kVA変圧器が完成した。
あの真っ黒で四角い物体は、日立マーク第一号だったんだ!!・・・と後からわかりました。



「日」と「立」の感じを組み合わせて考案したもので、4つの角は太陽のフレアを表しており、「太陽と共に立つ」という意味が込められている。
とあります。このマーク、1910年にはすでにできていたのですね。
水戸の先、勝田駅西口ではいまでも見ることができますよね。うちの子が小さい時に「豚の鼻がある!」と叫んでいました。まあ、そう見えないこともないです。


1912年
国産技術の確立へ
275馬力送風用電動機
1910年、新工場ができ本格的に製作を開始した。作れるものはなんでも作ろうという意気込みで、変圧器、電送機、発電機などが作られていく。創業初期は日立鉱山向けのものが多く、275馬力 3,600回転の高速小形ターボブロワーの電動機の注文を受ける。大型製品であり、また、回転が速いため製作に苦労したが、1912年無事完成させ、培鉱用送風機として半世紀にわたり稼働した。海外製品に劣らぬ技術が確立し国産化への道が開いていった。
とあります。

今日はこんなところです。今朝も肌寒い感じ・・・午後から風も出てさらに天気も悪くなるとか。おとといから田植えが始まったようなので、明日はそんな話題でもと考えています。それではまた明日!