オリジンパークへ行ってきた。その3

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たまーに写真撮影可の博物館、例えば『スガノ農機「土の館」トラクタ博物館』であったり『明治150年記念、日本を変えた千の技術博』の話になったりします。今日は先日行ってみた日立市の大甕(おおみか)にある日立製作所の企業ミュージアム「日立オリジンパーク」に行ってきましたその3です。日立最初の製品5馬力モーターの隣は5kVA変圧器でした。

大きなものを作っている日立製作所ですから、その展示には苦労しているみたいで、詳しいキャプションと実際のブツは離れた構成になっています。主に小さいものや、詳しいキャプションは、このような什器に入っています。足元が光っているのがわかりますかね?ものすごく凝っています。
大きなものを作っている日立製作所ですから、その展示には苦労しているみたいで、詳しいキャプションと実際のブツは離れた構成になっています。主に小さいものや、詳しいキャプションは、このような什器に入っています。足元が光っているのがわかりますかね?ものすごく凝っています。
文書が短く絵がでかい。見せ方が素敵です。でも、ブツは少なめ。 開拓者たちの挑戦 1910年、日立鉱山の修理工場での実績を経て、日立製作所が創業。 「純国産技術による電気機械の製作」への挑戦が始まる。 輸入品に頼っていた時代、全くのゼロからのスタートであった。苦難の連続の末、国産化の道を拓いた日立は、事業を大きく発展させていく。
その什器の上のこれは・・・
メッシュのバナー印刷。裏透け防止ののっぺらぼうを挟んで反対側の表示となっている、これまた凝った構成でした。
メッシュのバナー印刷。裏透け防止ののっぺらぼうを挟んで反対側の表示となっている、これまた凝った構成でした。
ものはこのように「ボン」と離れて置いてあります。什器の中のキャプションと頭の中で繋げるのがちょっと難しかったです。
ものはこのように「ボン」と離れて置いてあります。什器の中のキャプションと頭の中で繋げるのがちょっと難しかったです。
真っ黒で何が何だかわからない物体・・・小さなプレートに5kVA変圧器とだけ。これがなんであるかは、先の什器の中のキャプションを読んでいないとわからないのでした。僕は先に物体に飛びついてしまったので、ずっと「???」と思いながらいました。
真っ黒で何が何だかわからない物体・・・小さなプレートに5kVA変圧器とだけ。これがなんであるかは、先の什器の中のキャプションを読んでいないとわからないのでした。僕は先に物体に飛びついてしまったので、ずっと「???」と思いながらいました。
写真を撮って置いたので、あとかわかるその内容・・・自主技術の確立をめざす  小平の学生時代の日記には「模倣を以て満足する限りは日本の工業豈論ずるに足やむや」とある。日立鉱山では、送風機や電気鍛錬の電解槽など、たくさんの電気機械が導入されていたが、いずれも外国製であり、抗内の厳しい環境で酷使されていた。日々、焼損したモーターや変圧器を小さな小屋で修理しながら、研究し技術を磨き、人材を集め、失敗を克服し、製作事業への自身を高めていった。
写真を撮って置いたので、あとかわかるその内容・・・

自主技術の確立をめざす

小平の学生時代の日記には「模倣を以て満足する限りは日本の工業豈論ずるに足やむや」とある。日立鉱山では、送風機や電気鍛錬の電解槽など、たくさんの電気機械が導入されていたが、いずれも外国製であり、抗内の厳しい環境で酷使されていた。日々、焼損したモーターや変圧器を小さな小屋で修理しながら、研究し技術を磨き、人材を集め、失敗を克服し、製作事業への自身を高めていった。
1910年 日立マーク第1号 5kVA単相変圧器 工作課修理工場で修理した最初の製品は、変圧器と記録されている。手荒く扱われるため、修理どころではなく初めから作るようなものも多かった。すぐ交換できるように、修理だけでなく変圧器の中身を作ることで、経験を積み重ねた。製作に必要な鋳物と巻線絶縁については素人ばかりであったため、鋳物職人を育て、絶縁も試行錯誤しながら技術を習得していった。こうして、日立鉱山用5kVA変圧器が完成した。
1910年
日立マーク第1号
5kVA単相変圧器

工作課修理工場で修理した最初の製品は、変圧器と記録されている。手荒く扱われるため、修理どころではなく初めから作るようなものも多かった。すぐ交換できるように、修理だけでなく変圧器の中身を作ることで、経験を積み重ねた。製作に必要な鋳物と巻線絶縁については素人ばかりであったため、鋳物職人を育て、絶縁も試行錯誤しながら技術を習得していった。こうして、日立鉱山用5kVA変圧器が完成した。

あの真っ黒で四角い物体は、日立マーク第一号だったんだ!!・・・と後からわかりました。

真っ黒で何が何だかわからない物体・・・小さなプレートに5kVA変圧器とだけ。これがなんであるかは、先の什器の中のキャプションを読んでいないとわからないのでした。僕は先に物体に飛びついてしまったので、ずっと「???」と思いながらいました。
どこまでも真っ黒だったので、少し画像をいじってみました。てっぺんに日立マークがあるのが何となくわかります。また、四角いプレートの下に「日立製作所」とあるはずなんですけど、こちらは昔の壁画並みで、想像力がないと見えない感じです。
小平が考案した日立マーク 「日」と「立」の感じを組み合わせて考案したもので、4つの角は太陽のフレアを表しており、「太陽と共に立つ」という意味が込められている。
小平が考案した日立マーク
「日」と「立」の感じを組み合わせて考案したもので、4つの角は太陽のフレアを表しており、「太陽と共に立つ」という意味が込められている。

とあります。このマーク、1910年にはすでにできていたのですね。

水戸の先、勝田駅西口ではいまでも見ることができますよね。うちの子が小さい時に「豚の鼻がある!」と叫んでいました。まあ、そう見えないこともないです。

実際にはモノだけ先に見たのですが、後から「ちゃんと細かいキャプションを読むべき」とわかったので、そんな感じで進行します。これ、モーターなんですがかなり大きい。
実際にはモノだけ先に見たのですが、後から「ちゃんと細かいキャプションを読むべき」とわかったので、そんな感じで進行します。これ、モーターなんですがかなり大きい。映えある日立製品シリアルナンバー1番らしいのですが、なぜかNO2と書いてあります。50年ほど使われたもののようで、古いトラクターと同じ「使われた感」の匂いがします。このように展示物となった今は、手を触れることすら禁止ですが、台座から上にかけてのワイヤーを乱暴にかけた跡は、撤去時の鉄屑としての扱いを表しています。そのギャップが面白いなぁ・・・よく残ったものです。
そのキャプションです。1912年 国産技術の確立へ 275馬力送風用電動機 1910年、新工場ができ本格的に製作を開始した。作れるものはなんでも作ろうという意気込みで、変圧器、電送機、発電機などが作られていく。創業初期は日立鉱山向けのものが多く、275馬力 3,600回転の高速小形ターボブロワーの電動機の注文を受ける。大型製品であり、また、回転が速いため製作に苦労したが、1912年無事完成させ、培鉱用送風機として半世紀にわたり稼働した。海外製品に劣らぬ技術が確立し国産化への道が開いていった。
そのキャプションです。

1912年
国産技術の確立へ
275馬力送風用電動機


1910年、新工場ができ本格的に製作を開始した。作れるものはなんでも作ろうという意気込みで、変圧器、電送機、発電機などが作られていく。創業初期は日立鉱山向けのものが多く、275馬力 3,600回転の高速小形ターボブロワーの電動機の注文を受ける。大型製品であり、また、回転が速いため製作に苦労したが、1912年無事完成させ、培鉱用送風機として半世紀にわたり稼働した。海外製品に劣らぬ技術が確立し国産化への道が開いていった。

とあります。
製品番号第1号の銘板 この製品から製品番号をつけることになり、製品番号第1号と刻まれている。
製品番号第1号の銘板
この製品から製品番号をつけることになり、製品番号第1号と刻まれている。
これですね。銘板好きなのでこれは撮っていました。確かに1番です。こういうのって、後の事を考えて001とか0001とかにしそうなものですけど、潔く「1」とだけ打っていますね。
これですね。銘板好きなのでこれは撮っていました。確かに1番です。こういうのって、後の事を考えて001とか0001とかにしそうなものですけど、潔く「1」とだけ打っていますね。ちょっと指でゴシゴシしたような感じの部分です。わかります?
でっかいモーターの上あたりだったか、こうなっています。しっかりした建物なので、木組みのこんな構造は日つお湯ないと思われるので、これは「創業小屋感」を出す演出なのだと思います。
でっかいモーターの上あたりだったか、こうなっています。しっかりした建物なので、木組みのこんな構造は日つお湯ないと思われるので、これは「創業小屋感」を出す演出なのだと思います。
コンクリートに木材の模様がついているのですが、これがとても繊細です。
ちょうど外から見たこの部分なのでしょう。

今日はこんなところです。今朝も肌寒い感じ・・・午後から風も出てさらに天気も悪くなるとか。おとといから田植えが始まったようなので、明日はそんな話題でもと考えています。それではまた明日!

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