水戸の井坂農機、いつまで、そしてどこにあったか追跡する(その2)

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Sさんに送っていただいた、1963年運輸省型式認定のイサカ式カルチベーターIF型、製造した水戸の井坂農機を追跡中です。今朝の「朝1分の農機考古学」は井坂農機、いつまで、そしてどこにあったか追跡する・・・その2です。色々作っているうちに書き始めた段階で時間がなくなってしまった・・・

昨日までのあらすじです。井坂農機は水戸市柵町6丁目にあったことがわかりました。

柵町6丁目はここだ!

1934年、昭和9年の柵町の地図です。井坂農機は旧住所で柵町6丁目にありました。
1934年、昭和9年の柵町の地図です。井坂農機は旧住所で柵町6丁目にありました。
1934年、昭和9年当時の柵町6丁目赤枠で囲んだ部分・・・
1934年、昭和9年当時の柵町6丁目赤枠で囲んだ部分・・・
なにっ?!水戸? 思い切り水戸と書かれています。水戸に住んでいて、農機に興味があったらこれは食いつきます。「水戸=井坂農機」なにせこういうのはドイツ・マンハイム=ジョンディアトラクター、イギリス・ヨークシャー州メルサムミルズ=デビット・ブラウンのような聖地的表現を思い起こさせます。
なにっ?!水戸? 思い切り水戸と書かれています。井坂農機のカルチベーターIF型は1964年に運輸省型式認定を受けています。
こちらは1959年のカタログにある小型耕運機。井坂式小型耕耘機1959型。ゴムタイヤ付きですね!
こちらは1959年のカタログにある小型耕運機。井坂式小型耕耘機1959型。1959年には少なくとも存在していました。
井坂農機が間違いなく存在していたであろう水戸市柵町6丁目の航空写真です。国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで見つけました。
井坂農機が間違いなく存在していたであろう水戸市柵町6丁目(赤枠で囲っています)の航空写真です。国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで見つけました。

クリックすると拡大するので、大きくして見てもらうとわかりますが、1934年時の6丁目の範囲には工場らしきものは見当たりません。しかし、その周辺には「もしかしたらこれかも」的な建物も見えます。

井坂農機はこれでは?

僕が完全に根拠なく「これが井坂農機だ!」と思った建物はこれ。昭和9年の6丁目範囲から外れていますが、井坂農機の住所は6丁目の6000番台と大きいですから、水戸のお城の下に広がる千波湖の周辺に新しく生まれた住所かもしれませんし、そうなると6丁目の外れというロケーションとも符合します。
僕が完全に根拠なく「これが井坂農機だ!」と思った建物はこれ。昭和9年の6丁目範囲から外れていますが、井坂農機の住所は6丁目の6000番台と大きいですから、水戸のお城の下に広がる千波湖の周辺の田んぼを潰して新しく生まれた住所かもしれませんし、そうなると6丁目の外れというロケーションとも符合します。
先の1934年の地図に重ねるとこうなります。
先の1934年の地図に重ねるとこうなります。

1970年

やばいっ!朝早く起きたのに時間がなくなってきました。拡大するとこうです。「イサカ」カルチベーター・施肥播種機・果樹園除草機・・・住所は水戸市柵町6-5454とあります。
1970年の農業機械年鑑です。ここに主要メーカー等ということで井坂農機の名前があります。1970年までは少なくともあったはず。「イサカ」カルチベーター・施肥播種機・果樹園除草機・・・住所は水戸市柵町6-6154とあります。

1974年

1974年。新しい道に僕の想像する井坂農機の建物は削られてしまっています。
1974年。新しい道に僕の想像する井坂農機の建物は削られてしまっています。

1984年

1984年僕の想像する井坂農機の場所は更地になってしまっています。
1984年僕の想像する井坂農機の場所は更地になってしまいました。

1986年

1986年、小さな建物が建っていますが空き地になっていますね。
1986年、小さな建物が建っていますが空き地になっていますね。

2022年

グーグルマップで見るとアパートらしきものが建ってます。
グーグルマップで見るとアパートらしきものが建ってます。
現在は柵町一丁目です。
現在は柵町一丁目です。

全く違うかもしれませんけど、僕が「ここにあったのではないか?」と考える井坂農機の場所を想像してみました。もー時間がないので書きなぐっています。地図を合わせるのに時間がかかりすぎました。それではまた明日!

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“水戸の井坂農機、いつまで、そしてどこにあったか追跡する(その2)” への17件の返信

  1. フランツさん おはようございます

    >残念ながら、佐藤造機㈱の皆さんも既にお亡くなりになりましたが、佐藤造機㈱の皆さんや井坂農機の井坂社長様のことをこのタイミングで、ここに記述することに感慨を覚えております。

    まさにそうですね

    会社や農機という「形あるもの」が、たとえなくなったとしても
    技術としてどこかに残っていたり
    それこそフランツさんのように本に遺されていたり
    「子供の頃おじいちゃんが使っていた」「小さな時に運転した」など
    人の心に残っていたりするものなのだなぁ・・・と度々思います

    切ないような、少し嬉しいような不思議な感覚です

  2. Noraさん

    早速コメントありがとうございます。三菱マヒンドラ農機(旧佐藤造機㈱)の撤退の話は本当に残念です。
    キャプションの名前の方は、当時の農業機械化で政府代表で米国視察もされた方です。
    父の取得した特許に、
    佐藤造機㈱社長佐藤廉氏(当時)との連名で取得した特許証が遺ってます。
    特許第282724
    「動力装置の変速装置」
    昭和36年3月15日
    特許庁長官 伊藤繁樹
    となってます。
    昭和36年(1961年)ですから、小生は4歳で、昭和39年の東京オリンピックの開催が間近の時代ですね。
    残念ながら、佐藤造機㈱の皆さんも既にお亡くなりになりましたが、佐藤造機㈱の皆さんや井坂農機の井坂社長様のことをこのタイミングで、ここに記述することに感慨を覚えております。

  3. フランツさん
    詳しいコメントありがとうございます
    佐藤造機(株)専務取締役 広田繁雄様 と書いてある写真でしょうか・・・
    茨城から島根まで出かけていたのですね

    3月に発表がありましたが三菱マヒンドラ農機は撤退(何度目でしょうかね)してしまうようです
    とにかく体力も規模も大きくという時代なので仕方がないですが
    小さくてもアイディアと小回りで地域に貢献していた多数のメーカーのあった時代を
    お父様も含め残念に思ってらっしゃる方も多いことと思います

  4. Noraさん
    返信ありがとうございました。
    以前Noraさんが、小生の本
    「ポツダム少尉 自費出版 非売品」をヤフーオークションで、偶然、第1版を入手して頂いたと記憶してます。
    この拙本は4版まで作成してますが、Noraさんの第1版のP111をご覧になって貰うと、右隅の一番下の写真に、3名で写って居る写真があります。
    実は、この左端に立っていらっしゃるメガネを掛けている温厚そうな紳士が、井坂社長さんでは!?と云う指摘を受けた記憶があります。(第3版作成前)

    キャプションを間違えたと思い、第3版作成時には、差し障りないように「旅のひとコマ」と云うキャプションに変更した次第です。

    この写真を井坂様に是非見て頂けないかと思った次第です。

    井坂様が、水戸市近郊にお住まいなら、時間のある時に、県立図書館の2Fの郷土資料コーナーで見て頂けると有り難いです。
    井坂様のお祖父様かもしれません。
    何せ作成当時でさえ、50年の歳月が流てましたので・・。

  5. フランツさん
    コメントありがとうございます
    近隣で同業ということで交流があったのですね!

    しかも、絶対に本やネットでは得られない生の情報で
    これまで本や雑誌の広告でしか見たことのない「井坂農機」という文字が
    確かに存在して生きていたという手触りが出てくるように思います
    きっと両者の間で「あそこの処理はこうした」とか「あのエンジンはダメ」など
    色々情報交換があったのでしょうねぇ・・・興味深いです

  6. 井坂さん
    コメントありがとうございます
    ヤスミンのあたりが井坂農機商会だったのですね!
    以前県立図書館で調べたのですが今とは全然雰囲気が違っていてどこだかよくわかりませんでした
    それより前には別の場所に井坂鐵工所というのもあったみたいです
    井坂農機商会

  7. NORAさん
    お久しぶりです。
    偶々、井坂農機さんの話が話題になっているのを拝見しました。
    実は、小生の父は、井坂さん(井坂伝社長?)と同業者の好で交流があった記憶があります。
    当時小学生高学年か中学生だったので鮮明な記憶ではないですが、「井坂さん、井坂さん」と頻繁に話をしていた記憶はあります。
    ただ、小生が井坂農業へ行った記憶はありませんが・・。

  8. こんにちは。
    工場があったのは今のプリン専門店やすみん
    がある辺りになると思います。

  9. こんちは。
    何が知りたいのですか!
    場所に関しては工場があったのが
    今のプリン専門店やすみん辺りにありました。

  10. 井坂さん

    お返事遅くなりました
    大変興味深いです
    お話聞きたいです!!

  11. 管理人様こんばんは。管理人様の今後の調査を首を長くしてお待ちします(^^
    今回場所の推定には「今昔マップon the web」というサイトを使用しました。左側の画面を「地理院地図」、右の画面を「写真」にすると比べやすかったです。

  12. ラ長さん こんばんは
    重要な情報ありがとうございます
    やられた!という感じですけどすごく助かります
    これについいては最後にもう一度、いつになるかわかりませんけどまとめたいと思います
    事実、もしくは真実に少しでも近づけたという実感を持つことができるのはワクワクしますよね!

    ありがとうございました

  13. 次に年代的なことです。県立図書館の蔵書なのですが、残念ながら抜けている年次がありましたので最初にお断りしておきます。
    まず、日本地図編集社による「水戸市住宅明細地図1960」には「井坂鉄工所」の名で掲載されています。それが三洋堂の「水戸市住宅詳細図1962,63,65,66,67」では「井坂農機YK」名になっています。なお、1965〜67年版には現在のセレモニア富士水戸駅南館さんの辺りに同社の所有と考えられる倉庫も記載されています。
    ゼンリン「水戸市住宅地図1968,71」には「井坂農機」名で存在が確認でき、倉庫も確認できますが、その両方が同地図1972年版では無くなっています。住宅地図ですから、廃業したのかそれとも移転したのかは残念ながら確かめようがありませんでした。
    今回はおかげさまで自分なりに達成感のある時間を過ごすことができました。この場をお借りして管理人様に感謝いたします。

  14. 許可がいただけたということで(笑

    なお、最初にお断りしますが「住宅地図」を参考にしたということで、場所のズレが考えられることと、調査から地図の発行までにタイムラグが生じているであろうことをお許しください。

    まず、場所ですが管理人様が考えられた場所とは少しずれており、現在の茨城県水戸合同庁舎の北側、在の柵町1丁目の2、「株式会社ミトレン」の名が入った銀色の円柱タンク?がある辺りのようです。

  15. ラ長さん こんばんは

    地図ですか!なるほど!!

    僕は出不精の上にせっかちなので、行き詰まるとそれから先調べもせずに
    いつも妄想をでっち上げてしまっています

    奥ゆかしく思いやりのあるお申し出・・・
    わかったことが何のタメもなくそのままだだ漏れしてしまう僕は
    「こういう大人な言い方もあるのか。何かあったら使わせてもらおう」と、メモしつつも
    是も非もなく情報提供していただきたいです 知りたい!

  16. いつも楽しみに拝見しています。さて、「井坂農機」について週末に県立図書館(蔵書の古い住宅地図を閲覧)で調査してきました。管理人さんの楽しみを奪ってしまうようで恐縮なのですが、わかったことの情報提供をしてもよいでしょうか?

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