最初からこれを狙ってたんじゃないか?青ガエル「おうちで撮りトラ」

ずっと出かけずにネット中心の「おうちで撮りトラ」。今日も昨日の続きで、1974年に4匹生まれたヤンマーの「青ガエル」、その後どうなったか・・・僕の想像と妄想に基づくリサーチでは、「西洋青ガエル」となって北米に向かいました。

なぜ緑だったかを考える

1974年に生まれた4匹の青ガエルですが、なぜいきなり緑なのか謎でした。妄想ばかりで申し訳ないのですが、僕は輸出したかったのじゃないか?と、考えました。

なぜそう考えたか? 時系列で追ってみます。まず、ヤンマー100年史に、「ディア社との提携とトラクタの北米輸出」というタイトルの記述があります。1972年、青ガエルが生まれる前にジョンディアと大型トラクターの輸入販売契約を結んでいます。
なぜそう考えたか? 時系列で追ってみます。まず、ヤンマー100年史に、「ディア社との提携とトラクタの北米輸出」というタイトルの記述があります。1972年、青ガエルが生まれる前にジョンディアと大型トラクターの輸入販売契約を結んでいます。

1972年、「青ガエル」が生まれる前です。

同じくヤンマー100年史に、「トラクタの北米輸出を実現」というタイトルの記述があります。この記事の中、「北米の小型トラクタYM240」とされる左の写真、青ガエル色です!
同じくヤンマー100年史に、「トラクタの北米輸出を実現」というタイトルの記述があります。この記事の中、「北米の小型トラクタYM240」とされる左の写真、青ガエル色です!

このくだり、かなり興味深いので引用します。

トラクタの北米輸出を実現

 北米はヨーロッパと並ぶ巨大市場であり、当社が「真の国際企業のヤンマー」(1981 年経営重要方針)となるためには、この地域への本格的な進出は必要不可欠であった。 当社では、北米市場に切り込む尖兵として小形トラクタに白羽の矢を立てた。当社の小形ディーゼルエンジンおよび作業機によって、北米のCUT(Compact UtilityTractor)市場に十分に進出できると判断したのである。CUT は牧場の軽土木作業や家庭の芝刈りなどで使用される40 馬力以下の小形トラクタである。 1974(昭和49)年から商社経由でYM240(24 馬力)などのテスト販売を開始し、市場の好感触を得たので、1979 年12 月、商社との合弁でイリノイ州ベンセンビルにヤンマートラクタUSA(Yanmar Tractor[U.S.A.]Inc.)を設立した。現地仕様に改良したYM240 などの販売を開始し、顧客満足度調査で高い評価を得た。

ヤンマー100年史より

「小型トラクター」は北米進出の足がかりを築く重要な使命を持った先遣隊だった

北米進出が「必要不可欠」と考え、切り込み隊長として小型トラクターが位置づけられたことがわかります。小型トラクターは重要な使命を持った先遣隊だったと考えられます。

また、その先遣隊であるYM240が生まれたのが1974年・・・国内で「青ガエル」が生まれたのと時を同じくしています。

また、同じくヤンマー100年史では、その輸出に関しての記述にこうあります。
また、同じくヤンマー100年史では、その輸出に関しての記述にこうあります。

一方、輸出に関しては、1975 年3月から当社木之本工場で国内機種に現地仕様を施した小形トラクタYM240(24 馬力)をはじめ5機種の生産を開始し、商社経由でアメリカへ送り出すようになった。北米のCUT(Compact Utility Tractor)市場をターゲットとしたもので、軽土木作業やホビー向けに導入された同機は、顧客満足度調査で高い評価を獲得した。

ヤンマー100年史より

「青ガエル」は初めから北米を視野に国内で売り出されたのでは?

5機種の北米向けトラクターが、国内仕様のトラクターに現地仕様を施して北米に輸出された・・・

1974年に出た「青ガエル」は4機種でした、これをサクッと改造して翌年アメリカに出したのではないでしょうか?つまり、「青ガエル」は初めから輸出するつもりだった説です。

5機種の輸出トラクター。最後の一台はなかなか見つかりませんでしたが、最初の4台は国内青ガエルとの関係ですぐにわかりました。

YM135(13馬力)

YM135です。tractordata.comによれば1976年に発売されたことになっています。
ネットで見つけた写真、YM135です。tractordata.comによれば1976年に発売されたことになっています。

YM155(15馬力)

YM155です。 YM155はYM135と兄弟、セットなので同じく1976年発売なのだと思います。
ネットで見つけた写真、YM155Dです。 YM155はYM135と兄弟、セットなので同じく1976年発売なのだと思います。

YM195(19馬力)

YM195、実機の写真なかなか見つかりませんでした。すごく小さな画像ですがカタログにYM195と見えます。
YM195、実機の写真なかなか見つかりませんでした。すごく小さな画像ですがカタログにYM195と見えます。tractordata.comによれば1977年に発売されたことになっています。

YM240(24馬力)

そしてYM240です。
ネットで見つけた写真、そしてYM240です。tractordata.comによれば1977年に発売されたことになっています。

ここまでは国内青ガエルYM1300/1500/1700/2000から来ている感じで、すぐにわかりました。わからなかったのは次の一台。

YM330(36馬力)

YM330Dです。これがなかなか見つかりませんでした。
ネットで見つけた写真、YM330Dです。これがなかなか見つかりませんでした。tractordata.comによれば1978年に発売されたことになっています。

YM1300とYM1500をちょっといじるだけのYM135/155はすぐに輸出できて、YM1700/2000の馬力アップが必要だったYM195/240は翌年輸出。なんとなくそういう絵が見えませんか?

そして当時匹敵する国内トラクターがなかったYM330はさらにその次の年、1978年に輸出・・・そんな感じがします。

時間がなくなってきてしまいました。

で、何で緑なのか?という僕の想像ですけど

小さなトラクターはアメリカ人の命、芝生を刈るのに多く使われていたと思います。その芝刈りに使うには「赤」じゃなく、「緑」のほうが合う・・・と考えたのではないでしょうか?

僕の結論としては『「青ガエル」は初めからアメリカを夢見て国内で発売された』です。

わーーーーーー時間がない。さようなら!

上の記事とゆるく関連しているほかの記事:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。