昨日の続きです。NさんのフォトコレクションよりのヤンマーYMG2000D「おうちで撮りトラ」、リサーチを元にして、いつものように大胆に仮説を組み立ててみました。
![とりあえず登場人物だけ出しておきます。写真の中で目を惹いたのは2点。そのうちの1つがこのヤンマーYMG2000D。YMGという型番は初めて見ます。Gはどのような意味なのか気になります。](https://oba-shima.mito-city.com/wp/wp-content/uploads/2020/11/YMG2000D-504x1008.jpg)
小林旭以前の出来事
ではYM2000とはどんなトラクターだったのか
ヤンマー100年史というpdfにその姿を見ることができます。
機種の拡充やコストダウンへの取り組みを進め、1974 年2 月には4 輪駆動トラクタYM1500D、YM1700D、YM2000D の生産を開始した。4輪駆動を採用したのは水田作業での牽引力や機動力を高めるためであり、防水性に優れた機械式ベベルギヤも装備した。
ヤンマー100年史239ページ
![ヤンマー100年史に出てくるYM2000Dの画像。ただし、シンプルな足まわりから見て、この写真は二輪駆動のYM2000と思われます。](https://oba-shima.mito-city.com/wp/wp-content/uploads/2020/11/YM2000D-504x390.jpg)
1974年誕生のこのYM2000は青ガエルではないの?
写真をよく見るとトラクターのボディサイドに複数のラインが見えます。これはヤンマーの歴史のなかに一瞬現れた緑色のトラクター「青ガエル」じゃないでしょうか?なんだかおもしろいことになってきました。
なぜ緑?JDとオイルショックが関係しているのでは?(仮説)
![前出のヤンマー100年史240pにジョンディアのことが書かれています。](https://oba-shima.mito-city.com/wp/wp-content/uploads/2020/11/JD1020-504x455.jpg)
ディア社との提携とトラクタの北米輸出
1972(昭和47)年5月、ヤンマー農機は世界有数のトラクタメーカーであるアメリカのディア社(Deere &Company)を通じて、同社の輸出部門であるジョンディア社(John Deere Intercontinental Co., Ltd.)と大形トラクタなどの輸入販売契約を結んだ。この契約は大形農業機械時代の到来を予測して当社の商品シリーズを充実させるために結んだもので、47 馬力から86 馬力まで5機種のトラクタのほか、各種の牧草収穫機を輸入することになった。
ヤンマー100年史240p
![John Deere 1020(1965 - 1973) ジョンディア1020は水冷3気筒2.5リッターディーゼル33馬力だそうです](https://oba-shima.mito-city.com/wp/wp-content/uploads/2014/05/John_Deere_1020-2-504x378.jpg)
ちょうど同じ頃世に出たYM1700とYM2000・・・心なしかJDに似ていませんか?
![左がYM1700右がJD2010色は多少違いますが、僕には瓜二つ、少なくとも相当意識しているように見えます。](https://oba-shima.mito-city.com/wp/wp-content/uploads/2020/11/hikaku-504x231.jpg)
ここで1973年という年を考えてみたいと思います。
1973年、オイルショックが起きた年です。少なくともヤンマーはこのオイルショックによって大きな変化をしました。
Wikipediaによるとオイルショックは
1973年10月6日に第四次中東戦争が勃発。これを受け10月16日に、石油輸出国機構(OPEC)加盟産油国のうちペルシア湾岸の6カ国が、原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ70%引き上げることを発表した。(第1次オイルショック)
Wikipediaオイルショックより
ヤンマーではトラクターだけでなく田植機も変化していました。
何の証拠もありませんが、これらのことから僕は仮説としてヤンマーはオイルショックを契機に、トラクターをJDのような緑に変えようとしたのではないかと考えました。
この話、まだまだ傍証があるので散発的にまだまだ続きます。それではまた明日!