仮説:ヤンマーは小林旭が登場する1977年まで「緑」で行こうと思っていた説その1「おうちで撮りトラ」

昨日の続きです。NさんのフォトコレクションよりのヤンマーYMG2000D「おうちで撮りトラ」、リサーチを元にして、いつものように大胆に仮説を組み立ててみました。

とりあえず登場人物だけ出しておきます。写真の中で目を惹いたのは2点。そのうちの1つがこのヤンマーYMG2000D。YMGという型番は初めて見ます。Gはどのような意味なのか気になります。
仮説の元となったYMG2000D。YMGという型番は初めて見ます。Gはどのような意味なのか気になります。この素性を調べる過程で興味深いことが浮かび上がりました。
そして時間を喰った張本人。年表です。
ヤンマーの社史でもある「豊穣無限ーヤンマー20年史」の資料から抜粋した年表です。YMGはわかりませんが、関係があると思われる、YM2000の先祖はYM270であることがわかります。

小林旭以前の出来事

でも、ここで見たのはYM270です。古すぎて農研機構のWEBサイトにも載っていません。お!2気筒なんですね!
YM270です。年表によれば1968年に誕生し、1974年にYM2000にバトンタッチするまで生産されました。
こんな顔です。この逆三角形の顔、よく覚えていてくださいね。

ではYM2000とはどんなトラクターだったのか

ヤンマー100年史というpdfにその姿を見ることができます。

機種の拡充やコストダウンへの取り組みを進め、1974 年2 月には4 輪駆動トラクタYM1500D、YM1700D、YM2000D の生産を開始した。4輪駆動を採用したのは水田作業での牽引力や機動力を高めるためであり、防水性に優れた機械式ベベルギヤも装備した。

ヤンマー100年史239ページ
ヤンマー100年史に出てくるYM2000Dの画像。ただし、シンプルな足まわりから見て、この写真は二輪駆動のYM2000と思われます。
ヤンマー100年史に出てくるYM2000Dの画像。ただし、シンプルな足まわりから見て、この写真は二輪駆動のYM2000と思われます。そしてこの白黒写真からもう一つのことがわかります。

1974年誕生のこのYM2000は青ガエルではないの?

写真をよく見るとトラクターのボディサイドに複数のラインが見えます。これはヤンマーの歴史のなかに一瞬現れた緑色のトラクター「青ガエル」じゃないでしょうか?なんだかおもしろいことになってきました。

↑ クリックで拡大します ネットで拾った画像、年式不明のヤンマートラクター これは少々古そうです すてきな形と色に見えるのは今、目新しい形だからでしょうか?
同じく1974年に誕生したYM1700。YM2000と同じ顔では?
10年以上前の記事・・・

なぜ緑?JDとオイルショックが関係しているのでは?(仮説)

前出のヤンマー100年史240pにジョンディアのことが書かれています。
前出のヤンマー100年史240pにジョンディアのことが書かれています。

ディア社との提携とトラクタの北米輸出

1972(昭和47)年5月、ヤンマー農機は世界有数のトラクタメーカーであるアメリカのディア社(Deere &Company)を通じて、同社の輸出部門であるジョンディア社(John Deere Intercontinental Co., Ltd.)と大形トラクタなどの輸入販売契約を結んだ。この契約は大形農業機械時代の到来を予測して当社の商品シリーズを充実させるために結んだもので、47 馬力から86 馬力まで5機種のトラクタのほか、各種の牧草収穫機を輸入することになった。

ヤンマー100年史240p
John Deere 1020(1965 - 1973) ジョンディア1020は水冷3気筒2.5リッターディーゼル33馬力だそうです
tractordata.comによればJohn Deere 1020(1965 – 1973) ジョンディア1020は水冷3気筒2.5リッターディーゼル33馬力だそうです 。しかし、今回の話では日本でもう少し長く余生を過ごしたようですね。
これもかなり古い記事です。ご承知のようにジョンディアは緑です。

ちょうど同じ頃世に出たYM1700とYM2000・・・心なしかJDに似ていませんか?

左がYM1700右がJD2010色は多少違いますが、僕には瓜二つ、少なくとも相当意識しているように見えます。
左がYM1700右がJD2010色は多少違いますが、僕には瓜二つ、少なくともYMはJDを相当意識しているように見えます。

ここで1973年という年を考えてみたいと思います。

1973年、オイルショックが起きた年です。少なくともヤンマーはこのオイルショックによって大きな変化をしました。

Wikipediaによるとオイルショックは

1973年10月6日第四次中東戦争が勃発。これを受け10月16日に、石油輸出国機構(OPEC)加盟産油国のうちペルシア湾岸の6カ国が、原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ70%引き上げることを発表した。(第1次オイルショック

Wikipediaオイルショックより

ヤンマーではトラクターだけでなく田植機も変化していました。

何の証拠もありませんが、これらのことから僕は仮説としてヤンマーはオイルショックを契機に、トラクターをJDのような緑に変えようとしたのではないかと考えました。

この話、まだまだ傍証があるので散発的にまだまだ続きます。それではまた明日!

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