イセキ愛称、古い・ダサイ名前からの脱却は1980年から始まっていた

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昨日途中になってしまった、ヰセキ管理機KC350Fから始まる「愛称問題」。ヰセキは1971年の「さなえ」に始まり、「太郎」「大作」「耕太」と数々の愛称を生み出したトップランナーでした。

しかし、そんな愛称は当時だって農機だけ。

1971年といえばクルマはシビックが出た年。ましてや「花子」「二郎」なんてクルマは1台もないのでした。と、いうわけでヰセキは少しずつ古い・ダサイ名前からの脱却を進めていたフシがあります。それを少し追いかけてみましょう。

「さなえ」の成功に引っぱられた1970年代

当時のアイドル、桜田淳子さん。思い切り顔あげてますし、横向いちゃってます。きっとイセキ社員の広告写真撮影中のスナップショットなのでしょう。あぜ道の上に田植機が置いてあって、田植えすらしていません。
1971年生まれ、田植機「さなえ」シリーズの広告は桜田淳子さんで大ヒット(1975 – 1982年)
結局愛称「さなえ」は最後まで残りました。

当時のアイドル、桜田淳子さん。思い切り顔あげてますし、横向いちゃってます。きっとイセキ社員の広告写真撮影中のスナップショットなのでしょう。あぜ道の上に田植機が置いてあって、田植えすらしていません。
TS2510「耕太」は、おなじみの農研機構のサイトでは登録が1976年。tractordata.comでは1200cc3気筒ディーゼル25馬力とありますが、どうも2気筒エンジンのようです。
1975年生まれ、TS2510の愛称は「耕太」で、もちろん漢字表記。
イセキTX1410F『耕二』です。角目は角目でも少し薄い角目。クボタのB1400などもこのような顔をしていましたよね!
これも恐らく1975年生まれ、TX1410の愛称は「耕二」で、もちろん漢字表記。
こちらは同じく機械化農業、昭和47年(1972年)のヰセキコンバイン、HD700R「太郎」広告です。
こちらは同じく機械化農業、昭和47年(1972年)のヰセキコンバイン、HD700R「太郎」広告です。

考えてみたら、日本で最初の自脱型コンバイン、イセキHD50の愛称・別称は「Frontier」でした。それがいつのまにか「太郎」になってます。これも「さなえ」に引っぱられているとしか考えられません。
ネットで写真を探してきました。「大作」は耕うん機の名前でした。
多分最初、耕うん機に「大作」と名付けられたのはKS650(これはKS650の写真じゃないですけど)で、多分1972年

「ちょっとダサい」そんな愛称に少し変化が・・・

ISEKI TL2300F [KOTA]
ヰセキTSシリーズからTLシリーズになると、「耕太」が「kōta」になっています。これはTL2300、1980年でした。トラクターはTL以降、日本名が次々と消えて行きます。

「ランド化」その変化は1984年に決定的に・・・

最近充実してきたヰセキの取説サイトによれば(https://i-next.iseki.co.jp/goriyoujyouken.html←直接リンクはできず、ご利用条件同意から始めないとダメみたいです。)LANDHOPE TU200は・・・ 全長 3075mm 全幅 1180mm 全高 1880mm 軸距 1460mm 輪距 前 940,950mm 輪距 後 940,1095mm 最低地上高 270mm エンジン 名称 F3AF1-DK 形式 水冷4サイクル3気筒立形ディーゼル 総排気量 1170cc 燃料タンク容量 25ℓ タイヤ 前 400-15 タイヤ 後 9.5-22 となっています。
1984年、TU200はランドホープ(LANDHOPE)に・・・
イセキTA210F。でも、今年は収穫が少なくて、「いいな」と思ったのはこの一台だけ。
1985年、TA210はランドリーダー(LANDLEADER)に・・・

「ランド化」それは耕うん機の世界でも同じです

ラックナー周辺グループは、検索してみたところ、大きいもの、KC650FやKC750Fだけラックナーと言わないようです。ラックナーはKC320F/KC350F/KC450F/KC520Fの4機種だけです。
昨日の年表です。「大作」な世界だった耕うん機、小さいものは「ランドミニ」大きなものは「ランドボーイ」と、1985年を境に「ランド」になってしまいました。1980年に始まった小さな変化は1984年-85年で一気にヰセキランドとして花開きました。
昨日の記事はこちらです。

「太郎」だったコンバインは1984年にはフロンティアに先祖帰り

1984年、HL170はフロンティア。
1984年、HL170はフロンティア。
1984年、HL1900はフロンティア。
1984年、HL1900はフロンティア。
1984年、HL2400はフロンティア。
1984年、HL2400はフロンティア。

この頃までにヰセキの愛称はほぼ(「さなえ」を除く)英字表記になっています。親しみやすい日本名から、大地に関係する英語表記になったということですね。

その「さなえ」ですら1988年に「SANAE」になっています。ヰセキの愛称は1988年にはほぼ「カッコいい路線」に変化を完了していたことになります。しかし、追従他社はそのあたりでもまだ「親しみやすい日本名愛称」にこだわっています。

愛称のトップランナー「ヰセキ」、変化をするのも一番先だったということですね。さすが!

「みほ」「ケン太」ほんの少し残ってる

ただ、バインダーとハーベスターだけは、機械としてもオールドスクールなためか、かなり遅くまでに日本名が残っていたみたいです。

今日はこんな感じです。それではまた明日!

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