やっぱり音頭だわ〜。愛称のフロントランナー「さなえ」エピソード

また寝坊してしまいました。なかなか正月気分が抜けません。

今日は愛称のフロントランナー「さなえ」のエピソードを『井関農機60年史』に見つけたので、それを抜きだして終わりにします。

CMもYOUTUBEにあったのですが、両方見ると会社として農機の愛称化とその効果を意識していたことがよくわかります。

「さなえ」エピソード

■「さなえ」の大成功
 昭和46年度から発売した2輪後傾苗タンク式の田植機「さなえ」は、発売当初から人気が高かったが、46年に「さなえマチック」を装備し、さらに2・4・6条とシリーズを整えるに及んで、だんぜん独走の勢いになった。

『井関農機60年史』176p

少し長いですが、なかなか興味深いのでずっと引用しますね。

 それより先、当社は稚苗用田植機を普及させるには育苗技術が隘路になると見通し、育苗プランとの開発と普及、育苗機器の苗箱・播種機・発芽機などの品揃え、当社側の特別技術員の育成、系列販社単位で行なう第一線セールスマンの“苗作りから田植えまで”の実習訓練、ユーザーに対する苗作り実演PR会の実施などに力を入れていたが、46年5月、後述のように営業本部内にプラント部を新発足させ、育苗プラントの推進体制を確立した。
 
 一方、宣伝についても、テレビを中心にラジオや新聞を組織的に使い、かつてない積極的なPR作戦を展開した。50年からはテレビコマーシャルに売出し中の歌手桜田淳子を起用したが、見事な田植機と愛称の「さなえ」と桜田のキャラクターと明るいコマーシャルソングとが、ういういしく、さわやかなハーモニーをつくりだして、農村の隅々まで浸透していった。そのころになると、農村では「さなえ」が田植機の代名詞として通用するようになり、また桜田が地方へ行くと「さなえちゃん」にされてしまうというとか、そういったほほえましい話題まで生まれ、ネーミングに始まるこの一連のPR作戦は大成功を収めた。

 田植機「さなえ」は、こうしたヰセキグループあげての販売促進策の成功にも助けられて、48年以降も好調に販売を伸ばし、農機ブームさなかの51年には年産8万7600台を記録、その生産シェアは36.7%に達した。当社が以後守り続けている田植機トップの座は、この時に基礎が築かれたのである。
 この間の生産台数の推移は図5-6に示すとおりである。

『井関農機60年史』176p-177p

読むと、啓発普及体制をしっかり整えて戦略的に大々的PRを被せたことがわかります。狙いが狙い通りバッチリハマった!ということなのですね。

CM部分の記載は何というか『ういういしく、さわやかなハーモニー』と、「CM作った人が書いてるの?」というくらい詳細です。また、桜田さんの農村エピソードもいいですよね!こういう部分を拾っているのは社史ならではだと思います。

あとからどんどん他社の追従がおきて愛称化が進むわけですけど、最初の果実は大きく甘かったのですねぇ・・・

桜田さんが登場したのは1975年、さなえも3ケタになった頃のようです。
桜田さんが登場したのは1975年、さなえも3ケタになった頃のようです。

YOUTUBEにCMが上がっていました

いいじゃないですかーー!

ドドンがドンの音頭と「ゴム車輪」が印象的。短いCMでは伝えられることは限られています。伝えたいことを絞ってキャラクターの歌う音頭に乗せる・・・これは発明ですね!

言いたいことを視覚と聴覚に少しずつ分担させてシンプルにまとめています。確かに社史の言うとおりの素晴らしいハーモニー。

だんだん残念な感じになる

独走状態だった「さなえ」も、それこそ他社の愛称化によって焦ってきたのか、「newさなえ」になると若干残念な感じになっています。音楽も「音頭」ではなくなって、一般的なCMソングっぽくなっています。

さなえはジャパンに

一周回ってフォロワーになっちゃった感じ・・・そのうち「さなえ」もなくなっちゃうかな・・・あれ?「SANAE」が「さなえ」に戻ってる!!!

この3つ並べてみると、今となってはダサイかもしれないけど「音頭」って日本の人に訴えるのに一番良い音楽とというか、リズムなんじゃないか?と思います。

ここはJAPAN、ドーンとかジャーンじゃなくてドドンがドンで行ったほうが良かったのじゃないかなぁ・・・なんて思います。だってそこもかしこもこれじゃないですか。イセキもクボタも区別がつきません。(外国の人にはこれをやるしかないのかなぁ)

今日はこんなところです。また明日!

上の記事とゆるく関連しているほかの記事:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。