愛称の付け方はやっぱりイセキが一番うまい!「田植機考古学」

年に一遍しか使わない、トラクターほど愛されず、保存するより鉄屑に・・・と、かわいそうな田植機に光をあてる「田植機考古学」

今日は田植機の愛称を考えます。でも、考えているうちに時間がなくなっちゃいました。書く前から尻切れな匂いがプンプンしています。

生まれた当初は愛称どころではない

1960年代後半、田植機が発売された当初は主流を目指して鎬を削っていたので愛称どころではなく、田植機は「ナントカ式」のように育苗方式や会社の名前などで呼ばれていた感じです。

トラクター狂さんは、その「ことしの田植機」の記事の中にヤンマーフロート式動力田植機FP2Bというのを見つけてくれました。
これは広告ではないので、よりそんな感じがするのでしょうけど、学術書とか技術書のような感じです。

もしかしたら最古の愛称はこれかもしれない。1970?1971?三菱は「すくすく号」

なぜか昔の歩行型の田植機は今とは逆で、苗とにらめっこしながら歩く方式になっています。この方式を苗対面型(仮)と呼ぶことにします。今回のミッションではこいつの型式を推定してみようと思います。
田植機 マット苗
三菱田植機すくすく号
田植機の始まり 昭和47年
と書いてあります。
なぜか昔の歩行型の田植機は今とは逆で、苗とにらめっこしながら歩く方式になっています。この方式を苗対面型(仮)と呼ぶことにします。今回のミッションではこいつの型式を推定してみようと思います。
拡大すると「new すくすく号」と書いてあるのがわかります。「す」の文字の頭が稲の葉っぱになっているのがかわいいです。それから機首のほうには大きなCの文字。これは謎でよくわかりませんでした。
拡大すると「new すくすく号」と書いてあるのがわかります。「す」の文字の頭が稲の葉っぱになっているのがかわいいです。それから機首のほうには大きなCの文字。これは謎でよくわかりませんでした。

NEWすくすく号の前にすくすく号があったのでしょうから、田植機の愛称は「すくすく」が一番古いかもしれません。

わあ!すくすく号じゃないですか! MP250が2条植え。年表によると製造年は1979年〜1982年。MP450が4条植え。年表によると製造年は1979年〜1982年。MP650が6条植え。年表によると製造年は1979年〜1982年となっています。
MP250が2条植え。年表によると製造年は1979年〜1982年。MP450が4条植え。年表によると製造年は1979年〜1982年。MP650が6条植え。年表によると製造年は1979年〜1982年となっています。

佐藤造機の愛称は「わかくさ」1970?1971?

むむむっ!ここにも匿名おねえさんイメージキャラクターがっ! 三菱のページの写真はサイケなピッピー風パンツ姿のおねえさんでしたが、こちらはホットパンツのおねえさん。これは女性でもできますアピールというよりは思い切り男性目線を意識したチョイスと思われます。
佐藤造機は「わかくさ」の愛称と苗をイメージした緑のボディでアピール

もっとも有名な「さなえ」は1971年

田植機ではもっとも知られているのではないでしょうか?「さなえ」の名は、1971年登場で最初か二番目だと思います。

機械化農業 昭和46年(1971年)12月号のヰセキ田植機「さなえ」の広告です。この機械化農業、創刊は昭和10年なんですね・・・
機械化農業 昭和46年(1971年)12月号のヰセキ田植機「さなえ」の広告です。この機械化農業、創刊は昭和10年なんですね・・・

1973年、ヤンマーは「伊吹」

農業近代化の歩みを世界へ 「農機事業」というヤンマーのpdfでは、1967 年 5 月にいち早くひも苗式の田植機(動力苗まき機)TP21 を発売したにもかかわらず、市場をマット苗式に席巻された苦い記憶として記されている田植機部門。同PDFには『1972(昭和 47)年 2 月にヤンマー農機、ダイキン工業、神崎高級工機の3社技術陣で新たなプロジェクトチームを結成して散播・マット式田植機の開発に取り組み、同年末には AP2 を、翌 1973 年8月には YP2 を発表した。』と書かれています。また、ヤンマー100年史にも同じく『田植機「伊吹」YP2、YP4を発表』とありますので、誕生日は間違いなさそうです。そして1974年。他社に出遅れた分、感性に訴えることにしたのでしょうか。カタログはおねえさん少なめ、風景が多めになっています。
農業近代化の歩みを世界へ 「農機事業」というヤンマーのpdfでは、1967 年 5 月にいち早くひも苗式の田植機(動力苗まき機)TP21 を発売したにもかかわらず、市場をマット苗式に席巻された苦い記憶として記されている田植機部門。同PDFには『1972(昭和 47)年 2 月にヤンマー農機、ダイキン工業、神崎高級工機の3社技術陣で新たなプロジェクトチームを結成して散播・マット式田植機の開発に取り組み、同年末には AP2 を、翌 1973 年8月には YP2 を発表した。』と書かれています。
これなんかもそうです。ヤンマー田植機の広告。一番上の目立つところに若い女性の写真が何の説明もなく・・・浅芽陽子。「なぁ、みんなどう思う。」っていわれてもねえ・・・
1978年、ヤンマー田植機の広告。ヤンマーの田植機の愛称は発表から5年後には「伊吹」から「いちばん苗」に変わっています。型番も伊吹の後継を匂わせるYP200。

伊吹がしっくり来なかったのか、ヤンマーは「いちばん苗」などという愛称も使っています。

年代わからず。1973年あたり。クボタは春風

ブルトラの頃のカタログと同じ体裁でクボタ乗用田植機、乗用6条植 SPR600とあります。
イメージキャラクターは林寛子さん。1973年デビューだそうです。クボタはいつから使っているのかわかりませんが、田植機の愛称は「春風」。

こうやってみるとイセキが一番強い印象

中身はよくわからないのですが、広告は見てるととても楽しいです。
1978年機械化農業の広告。ヰセキ田植機

このように見てくると、イセキは人の名前にも使われていて印象に残りやすく、イメージキャラクターの女性と強く結びついた「さなえ」でもっともインパクトを与えたのではないでしょうか?

申し訳ないのですが、植物や稲が伸びるようすや風の名前では対抗できる感じがしません。やはり人の名前のほうがより身近です。

「さなえ」はこの後の農機の広告に大きな影響・・・人の名前がやたら出てきたり、ナントカ君が出てきたり、かと思えば意味不明な迷走したり・・・などをもたらしたのじゃないか・・・なんて思います。

わーまとまらない・・・今日はこんなところです。また明日!

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