愛称の話が続いています。時間がないというのに、この話題の根は色々なところに繋がっていてまとめきれません。全部書くととりとめがなくなってしまうので、キリの良いところで切りながら細々とやっていきます。
今日は1971年に「さなえ」が生まれ、「伊吹(ヤンマー)」「わかくさ(サトー)」「春風(クボタ)」「すくすく(三菱)」とフォロワーを生んだ田植機の愛称が、1988年にはどうなっていたか・・・というお話です。
1988年イセキPS20 SANAE25
農研機構の登録では1988年。イセキの「さなえ」は「SANAE」になっていました。
誕生から17年も経ち、時代が変わって「さなえ」はダサく感じられ、「SANAE」に改まったということなのでしょうか?
1987年三菱MP2マイレディ(MY LADY)
1970年代には「すくすく号」と名乗っていた三菱田植機。さすがに「号」は古すぎます。そこでやはり横文字表記できる「マイレディ」に変わっています。
1988年、クボタS1-45DS RAINBOW
「春風」「春風レインボー」「RAINBOW」とダサさを振り切ってきた17年。1988年のクボタ田植機の愛称は「RAINBOW」です。
おそらくこのころは「さなえ」はともかく「太郎」や「耕太」は世の中的にカッコ悪い感じに変化していたのだと思います。それを敏感に嗅ぎ分け、愛称も少ししゃれた感じに変化していた・・・そんな風に思います。
1989年、ヤンマーの愛称は独自路線
世の中の流れは田植機に於いてもスカした横文字が主流。田植機の出そろった1970年代当時から「伊吹」「いちばん苗」などと安定していなかったヤンマー・・・1989年でも他社とは違う路線を歩んでいました。その名も「すこやか」
「すこやか」を「SUKOYAKA」にすると「SAYONARA」のように、外国人が喋ってるようでおかしいですし、『「すこやか」はダサくない』という意識だったのだと思います。
もし、一周回ってダサカッコいい狙いならそれこそ「TAGOSAKU」とか「権兵衛」にしそうなものです。
田植機のカタログでこんな不思議なキャラクターを生み出すヤンマーですから、きっと他の会社には惑わされず、独自路線で行っていたのでしょう。
「さなえ」誕生から17年。1988年近辺では一世を風靡した人の名愛称も、他社の意図せぬ愛称のドミナント戦略にやられ、すっかり下火になっているのでした。
きょうはこんなところです。また明日!