フルカバードの耕耘機の生みの親、ホンダF150と影響を受けた(はず?)の他の耕耘機「撮りトラ」

今日は昨日の続き「昔のカタログシリーズ」、もとい「昔のポスター」。伊藤産業機械さんのところで見た、1960年代のモノと思われる、メリーティラーのポスターです。

 

前回紹介した日の出式の耕耘機?ティラー?同様、フルカバードの美しい形です。色が褪せているのでわかりにくいですが、小豆色とクリーム色のツートンではないかと思われます。この時代、農機具といったらこの色の取り合わせ・・・という暗黙のお約束でもあったのでしょうか? そしてまた、およそ農作業とはかけ離れたファッションの妙齢の女性が佇んでいるのも共通です。
前回紹介した日の出式の耕耘機?ティラー?同様、フルカバードの美しい形です。色が褪せているのでわかりにくいですが、小豆色とクリーム色のツートンではないかと思われます。こんな形の耕耘機が出てきたのはホンダのF150という黒船のためだった・・・というのが昨日までのお話。

 

展示プレートには、強制空冷4サイクル倒立2気筒OHV/排気量154cc変速機/前進6段/後進2段/常用出力/5PS/5,000rpm ホンダ初の汎用完成品。耕耘機で世界初のOHV倒立2気筒エンジンは低速重視。自動遠心クラッチとギヤ駆動採用。低重心、手元集中操作で扱いやすさを追求した。とあります。
『ホンダのテーラー/耕耘機』より。これがその黒船。昭和34年、1959年、ホンダ耕耘機F150 展示プレートには、強制空冷4サイクル倒立2気筒OHV/排気量154cc変速機/前進6段/後進2段/常用出力/5PS/5,000rpm ホンダ初の汎用完成品。耕耘機で世界初のOHV倒立2気筒エンジンは低速重視。自動遠心クラッチとギヤ駆動採用。低重心、手元集中操作で扱いやすさを追求した。とあります。

 

それまではこのようなエンジンをフレームに載せ、ベルト駆動のユニバーサルタイプが主流でした。写真はイセキ耕耘機KAI型(昭和27年、1952年。井関農機60年史P89より)
それまではこのようなエンジンをフレームに載せ、ベルト駆動のユニバーサルタイプが主流でした。写真はイセキ耕耘機KAI型(昭和27年、1952年。井関農機60年史P89より)

 

投じられた一石

 

多少このタイプのほうが先に生まれているわけですが、これがF150と並んだ時、時代がどちらに向いているか子供にもわかってしまいます。

しかも値段は従来の耕耘機が1台15万〜16万円だったのに対し、F150型は卸し7万円、小売り10万円という破格のお値段だったそうです。

 

慌ててF150に遅れること8ヶ月、急遽 ビクターオートと提携しエンジンを調達。1959年、昭和34年12月にF150と同じようなエンジンを縦置きにし、それがミッションに繋がるタイプの耕耘機を発表したそうです。
慌ててF150に遅れること8ヶ月、イセキは急遽ビクターオートと提携しエンジンを調達。1959年、昭和34年12月にF150と同じようにフルカバードでエンジンを縦置きにし、それがミッションに繋がるワンボディの耕耘機を発表したそうです。(井関農機60年史P116より)これのドンガラ、見たことあります!

 

ヰセキ KF850型 動力耕耘機 表記馬力 8.5ps/2000rpm 最大馬力 10ps/2000rpm 排気量 498cc
『ドンガラだけど・・・イセキ耕耘機KF850・・・「撮りトラ」』の時に見た、ヰセキ KF850型 動力耕耘機 物悲しげなのは、天気が悪くて青っぽく写っているせいです。これも小豆色と言えば小豆色だよなあ・・・

 

ヰセキ KF850型 動力耕耘機 表記馬力 8.5ps/2000rpm 最大馬力 10ps/2000rpm 排気量 498cc
本来なら正面からあのカッコイイSTIHLのジェットエンジンのようなインテークが見えるのですが、大きな口の向こうには何もありません。ボンネットの上にも空気の取り入れ口があって航空機のようにも見えます。

 

KF850 ぬめっとした流線型のフィニッシュと大きな開口部。まるでジンベイザメです。
KF850 ぬめっとした流線型のフィニッシュと大きな開口部。まるでジンベイザメです。

 

ポーズをとる女性は農機お約束のチェック(かなり大きいですが)のシャツ。しかし、とても農作業はできそうもないパンプスを履いています。 ・・・・ そんなことより、このフルカバードの耕耘機、まるっこいデザイン、ホイールキャップはデイッシュ型でめちゃめちゃ格好いいじゃないですか!!!
埼玉・川越 片山製作所 日の出式のハンドトラクター。井関農機が慌てたくらいですから、きっとこの片山製作所も慌てたに違いありません。F150後の流れ、フルカバード・ワンボディに乗ったのだと思います。

 

クボタも慌てたかもしれません

 

早くからホンダのF150型の情報は他メーカーにも入っていたらしく、クボタも同じようにフルカバード・ワンボディの耕耘機を開発していたようです。

 

 イセキと同じくF150型から8ヶ月遅れの1959年、昭和34年12月にKB500型を発表します。

イセキと同じくF150型から8ヶ月遅れの1959年、昭和34年12月にKB500型を発表します。(井関農機60年史P117より)

 

クボタ耕うん機 KMEシリーズ 車両の写真というか、写真を大幅に修正したものだと思いますが、原画を見てみたいです。前足のスタンド、バネが付いているんですね! 自転車のスタンドみたいに跳ね上げられるものだったのでしょうか?
そういえばKBではなくただのK、K500のカタログは以前見ましたよね!クボタ耕うん機 K500 操作はテーラーなみの「軽い耕うん機」これに比べるとKB500はかなり洗練された形の美しい耕耘機となっています。

 

これらのフルカバード・ワンボディの耕耘機は、後に乗用四輪トラクターが普及するまでのわずかな間、爆発的に売れたようです。日の出式やメリーティラー、井関やクボタの他にもたくさんのメーカーがこのようなカテゴリーの耕耘機を作って売ったに違いありません。

 

今でも残っているものがあったら是非見てみたいです。

 

今日はここまでです。また明日!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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“フルカバードの耕耘機の生みの親、ホンダF150と影響を受けた(はず?)の他の耕耘機「撮りトラ」” への3件の返信

  1. noraさん ご返信ありがとうございます。

    井関農機60年史を確認しましたが、載っていました!確かに、他社のことをここまで紙幅を割いて書いていて、衝撃の大きさが伺えますね。教えてくださりありがとうございました。

  2. お好み焼きさん おはようございます

    この記述は井関農機60年史113ページにあります
    ホンダの本ではなく、ヰセキの本に書かれているところに衝撃の大きさが伺えます

  3. はじめまして。耕うん機の歴史を調べていてたまたま発見しました。大変興味深く記事を読ませて頂いています。

    一つ質問なのですが、「しかも値段は従来の耕耘機が1台15万〜16万円だったのに対し、F150型は卸し7万円、小売り10万円という破格のお値段だったそうです。」とあるのですが、この情報元を教えていただけないでしょうか。『トラクターの世界史』にも同じような記述があるのですが、情報元が判別しません。

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