偶然ではありますが、ここのところずっとFORDが続いていました。それで今度は意図的にFORD「撮りトラ」を続けてやろうと高崎競馬場跡地のFORDを取りあげたわけですが、ちょっと競馬場跡地利用のほうに引っぱられてしまいました。
気の向くまま書いているので、こういうこと、しょっちゅうあります。今日はその昨日の続きです。
ねっ?中央の広場にはテニスコートが2面あって、車が停められるスペースが常設、臨時も含めて相当あります。ちょっとしたイベントなどに使われていたんだな・・・きっと。
そういえば、2013年のダカールの時、競馬場がビバークに使われていて、この真ん中のスペースにたくさん車両が停まっていて、「どうやって中に入ったんだろう・・・」と不思議に思ったんだっけ。
ちゃんとこの時に「レーストラックの下をくぐるトンネル」に気がついているのに忘れてます。みなさん、覚えてくださいね!
「競馬場には必ずレーストラックの下をくぐるトンネルがある」お忘れなく!
うんのさんによれば、高崎市は過去重点的に競馬場とは駅をはさんだ反対側の歴史地区(城跡があるそうなんです)を整備していて、競馬場側はちょっと置き去りにされていた感があったそうです。そこへようやく光が当たりはじめたのでしょう。
BIG-CITY高崎に比べればずっとスケールの小さな水戸市も、同じく歴史地区の整備が重点的に行われていて、その他の地域は震災の影響もあって更地や駐車場が増え、寂しい感じになっていますから似たようなものです。
群馬県は県のプログラムで「交流人口の増加」を掲げていますから、お金を生む可能性のある歴史地区の整備は一番先に思いつき、実行されますよね。
おお!こんなすてきな城があるんだ! 高崎城は安土・桃山時代に築かれて、まわりには市役所や芸術・文化施設、公共・公益施設が建っているみたいで、ちょうど水戸市の三の丸みたいなものじゃないですか!
でも・・・グーグルマップで水戸城趾を見るとこんなことになってる・・・差がありすぎます・・・かなしい。
まあ、とにかく高崎市の場合は歴史地区の整備が一段落したのでしょう・・・「いよいよ他の部分にかかるよ」ということなのでしょう。
またしてもものすごく脱線してしまった・・・FORD7600に戻ります
これですね
↑数十秒と短いです。オームみたいです。
いっこうに出てきません。ふと日本ニューホランドのWEBサイトを見ていたら、URLがhttp://www.nh-hft.co.jp/と「HFT」が付いていることに気がつきました。
ウィキペディアを見てもニューホランドAgの日本におけるニューホランドの項に
日本におけるニューホランド
総代理店・日本ニューホランド
現在日本におけるニューホランド製品の総代理店である日本ニューホランドの前身、北海自動車工業が北海道札幌市に設立されたのは1934年である。
当初、外国製乗用車の販売と修理の営業を行っていたが、1952年、フォードトラクターの日本総代理店となり、農業用トラクターの輸入販売を開始した。
1970年には北海自動車からトラクター部門が独立し、北海フォードトラクター(HFT)として発足。また、1987年にはフォード・ニューホランド製の牧草機械の販売権をも獲得する。
1995年には社名を日本ニューホランドと変更し、現在に至る。1952年からのトラクタの輸入台数の累計は約65,000台以上で、無借金経営の上に自己資本比率は70%近くに及ぶ。
とあり、北海フォードトラクター(HFT)、HFTというのがここにも出てきます。ちょうど1970年に発足したHFTが1975年から生産しているこの7600を販売するときに、アタッチメントとして売ったフロントローダーにHFTというロゴを付けるのは自然かなあ・・・と思います。
よって、今日のところの結論はこのHFT、北海フォードトラクターを表しているという結論にしておきます。
団体営草地開発整備事業
それともうひとつ。HFT の写真、エンジンフードに文字が書いてあります。読めないところがあるのですが、52年度、○○○○○開発整備事業と書いてあります。わかるところだけ打ち込んで検索すると、団体営草地開発整備事業というのもがヒットしました。
今一度よくエンジンフードを見てみると、確かにそう書いてるように見えます。つまり、『昭和52年度団体営草地開発整備事業 NO10』
とフードに書いてあるのです。このフォード、39歳でした!
これをさらに調べてみると、団体営草地開発整備事業は草地等開発整備事業の一環で、昭和33年から53年まで行われた事業みたいです。
草地等開発整備事業は牛その他の家畜を育てるため、機械が入れるように木の根を抜いたりするのでしょう・・・草地の造成改良、整備や併せて道路、用水などの設備、また畜舎、柵、トラクターのような機械などの利用施設を整備する事業なんですって。
初めは群馬県のどこかの牧場で働いていたFORD7600が、草地つながりでその後半の人生を競馬場で過ごすようになった・・・そんなところではないでしょうか?
食料増産のためだと思いますが、昭和30年あたりから稲作はクレイソンコンバイン(あまりうまくいかなかったようですが)が補助を受けて入ってきました。畜産にも同じような補助があって、こうやって機械の導入を後押ししてきたんですねえ・・・知らなかったなあ。