今日は、北海道上富良野町にあるスガノ農機の『「土の館」 土と犂の博物館』で見た、バウツBAUTZ300「撮り虎」続きです。
兵器とバウツトラクタ
調べているとBAUTZ社は、1943年から1945年まで、工場はツェッペリン飛行船の製造に接収され、一部ではV2ロケット(コードネーム Aggregat-4 (A4))のための部品を製造していたたみたいです。

考えてみると、日本の農機製造会社でも古い会社は何らかの兵器を作っていたかもしれないですね・・・そういうことも古い人に聞けば分かると思うのですが、ネットなどではなかなか見かけないです。兵器と農機の関係も、調べてみると興味深いことがたくさん出てくるかもしれません。
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突然ですけど、ここで朝ちょっと調べたバウツトラクタの歴史
ウツ社はヨセフ・バウツによって1900年に収穫機を生産する会社として創業されました。
1935年にトラクターを生産するために取得した工場は、プロトタイプ少数を作るのみにとどまり、1939年には兵器製造のために接収されてしまいます。
1943年から1945年まで、工場はツェッペリン飛行船の製造に使われ、一部ではV2ロケット(コードネーム Aggregat-4 (A4))のための部品を製造していました。
そして戦争が終わって1948年にいよいよトラクターの本格的な生産に入り、AS120モデルが作られ、この300に繋がります。
その先はどうもはっきりとはしないのですが、前に紹介したナフィールドやハノマーグと提携関係を持っていたこともあったようで、1962年まで25000台ものトラクターを生産していた模様です。
その後、1969年にCLAASに吸収されてしまった感じです。
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今でもとっても愛されているみたいですが、会社としては残っていないようです。美しくていいものを作っていても、なかなか残っては行かないものですね。
こんなのも見つけた!
