昨日の価格表にはコンバインの評価テストが付録でくっついていました。今だと、競合メーカーが一堂に会してヨーイドンの競争なんてやらないのではないでしょうか?
すごくおもしろい時代だったんだなあ・・・と思います。
いつものことですが、今日も時間がないので尻切れとんぼになってます。あしからず。
コンバイン競技会? 八郎潟干拓地における収穫機適応性テスト エントリーリスト
よく読めないでしょうから書きおこすと・・・
Ⅰ.テストの目的
八郎潟中央干拓地はヘドロ土壌と呼ばれる粘度土壌が多く、秋の天候とも関連してコンバイン等による収穫作業は多くの困難が予想されている。したがって、等団では42-2-16東京事務所に於いて、軟弱地盤における稲収穫対策について関連会社に協力を依頼し、42-10-9〜11に現地でテストを実施した。この結果、国産コンバインは軟弱地での走行性はよかったが、操行ためのクラッチ、ブレーキの故障が多く、刈取り損失も10%に達し、改良の必要を認めた。外車は刈取り損失は少なかったが軟弱地での走行性の点で問題のあるものもあった。したがって本年も再度軟弱地盤におけるコンバイン等の走行性、作業精度、作業能率の試験を実施し、稲収穫対策についての合理的指針を得ようとする。
Ⅱ.日程
10月3日 午前9時、実施農場に集合、試験方法を説明した後各試験を実施する。
10月4日 午前9時〜午后5時、普通型コンバインの構造調査を行う。
Ⅲ.テスト項目
1.コンバイン等収穫機の構造調査
2.ヘドロ土壌におけるコンバイン等の走行試験
3.ヘドロ土壌におけるコンバイン等の収穫機の作業能率、精度試験(関連校庭の作業精度試験)
Ⅳ.コンバイン等収穫機出費依頼会社
日本車輌製造㈱ 北海自動車㈱ 佐藤造機㈱ 久保田鉄工㈱ 東急自動車㈱ 三菱重工業㈱ 石川島芝浦機械㈱ ウェスタン自動車㈱ ヤンマー農機㈱ 富士小松ロビン㈱ 井関農機㈱
Ⅴ.収穫機適応テスト出品会社並びに銘柄
コース図とレーン割当が書いてあります
ゴメンナサイ。結果はまた明日。表(リザルト)を書き直すのが間に合いません。
おじまさん おはようございます
昭和43年に初収穫ですか・・・
すると八郎潟では巨大コンバインが多数稼働していて
見学の人たちも全国各地から来て熱気ムンムンだったでしょうね
一応競技会は2時間程で50アールですから、ちょうど一日2haで試験通りのイメージで、「実際もそうなんだ!」と思いました
2haしか・・・と言われてしまうということは、広告ではもっと刈れるように謳っていたのかもしれません
カメになった巨大コンバインをどうやって引き上げたのか、サイトを見にいってみます!
僕も是非見たいです!!
こんにちは。
この資料に昭和43年と書いてあるようですが,この年は,昭和32年に始まった八郎潟干拓事業のちょうど節目の年で,最初の入植があり,その人達が作った米の初収穫を迎える年だったようです。
食糧増産のための大型機械を使った大規模農業の国のモデルとなる事業だったようですから,行政も農機メーカーも相当積極的にかかわっていたんでしょうね。
「八郎潟にはクレイソンがいっぱい埋まってる」かどうかは判りませんが,「外国製大型コンバインはよく“カメ”になってしまい,引き上げるのに何日もかかったとか,刈り幅4mのコンバインで1日に2ha刈るのがやっとで,収穫ロスも1割以上だった。」という記事がありました。
大潟村百科事典
http://www.ogata.or.jp/encyclopedia/index.html
歴史>入植と営農
http://www.ogata.or.jp/encyclopedia/history/2-5.html
農業>大潟村の農地と農業の移り変わり
http://www.ogata.or.jp/encyclopedia/agriculture/index.html#agriculture_1
ちなみに,我が家の近くの生産組合にも当時,県南の東村で“カメ”になってしまって手に負えなかったというコンバイン(クレイソンのホイルタイプだったかな?)が引き取られてきていました。
こちらでは主に麦刈りに使っていたようで,“カメ”にもならずにまじめに働いていたようです。そのコンバインはとっくに退役して,今はJDのコンバインが活躍しているようです。
組合の機械格納庫の脇に野晒しでクレイソンがいたような気がしますので,今度見に行ってきます。