胸ドキドキのご機嫌田植え「春風ライダー4」クボタ田植機「昔のカタログ」

今日は「田植機考古学」。Nさんに貰ったクボタの春風ライダー4(多分NSR-4)のカタログ商品写真部分です。

これがその問題の写真。とにかく一番先に目に入るのが正面の女性。〈春風ガール〉金久保美幸と書かれています。
これがその問題の写真。とにかく一番先に目に入るのが正面の女性。〈春風ガール〉金久保美幸と書かれています。

金久保美幸?

金久保美幸って誰?と思い調べてみると、本人のブログに行き当たりました。

もう35年前の事になりますが.タイトルの名前で、芸能活動をしておりました(*^_^*)
私自身の代表的な作品は、昭和55年10月から翌年56年の「生徒諸君!」だと思っているのですが、世間一般的には、「3年B組 金八先生」の方が有名なんでしょうね。そして当時は勿論、今のようなネット社会ではなかったので、こんな時代になるとは思ってもいなかったです。

☆*:.。.MIYU.KANA.。.:*☆

知らなくてすみません・・有名な方だったのですね。なるほど・・・ということは、「3年B組金八先生」の1979年〜「生徒諸君!」の1980年〜1981年のあたりのカタログということになります。

この写真はカタログの見開き部分のようですが、クボタ80年代のカタログということで表紙はきっと「ドーン!」と金久保さんの写真だたのでしょうね。

コピーもなかなか含蓄がある

彼女の横に書かれているコピーもなかなか深いです。

こんなに春を楽しくしたのは、春風ライダー4。
胸ドキドキのご機嫌田植え

春風ライダーカタログ

こんなに田植機の事を調べているのに僕のイメージとして、田植機はトラクターのような古くからある機械と一緒になってしまっています。

ですが実際は、一般の人が田植を「乗って」できるようになったのは、「3年B組金八先生」「生徒諸君!」のころになってから・・・ということを表しているのではないでしょうか?

元々「さなえ」に対抗して歩行型の田植機に付けられた愛称「春風」。

それに「乗る」の意味あいをのせた「春風ライダー」という呼び名、愛称が、辛い田植えが楽になり「春を楽しくする」という言葉になっているような気がします。

「乗る喜び時代」金久保さんの先輩

今まで見たクボタのカタログの中で、女性モデルにその名前が書かれているのは、この金久保さんを含めてまだ2人しか知りません。

「春風ライダー」は田植機が普及したということなのか、運転者視点というか、ユーザーファーストな愛称だと感じられるのに対し、これは「乗る田植機」「乗る春風」。メカファーストというか、機能重視の愛称です。
ブルトラの頃のカタログと同じ体裁でクボタ乗用田植機、乗用6条植 SPR600とあります。
女性のちょっと下に林寛子と書かれているのがわかるでしょうか?大抵は「匿名おねえさん」のカタログに氏名が載るのは珍しいです。
さすがに完成度という面では専用機である春風ライダーにはかなわないと思います。また、「乗る田植機」と大きく書かれていることからも、それが貴重で珍しいことであるのがわかります。使いやすさとか性能よりも「乗る」ということが重要・・・乗る喜び!という感じですよね。

試行錯誤の乗る喜び

春風ライダー(型番?はNSR)という田植機があったときいて調べてみると、一番先に見つかったのがこれ。メチャメチャカッコいいじゃないですか!!!何だか複葉機みたい。特に走行時の車輪が航空機っぽい。
春風ライダーにはこんな1輪型もあった!転倒しそうだし、もしかしたら同じライダーの「田面ライダー」のように足で漕ぎながら進む場面だってあったかこしれません。
これ、思ったよりライダー感ありませんでした。
乗る先人の努力があってこその「春の楽しさ」・・・しみじみしますねー!
乗る先人の努力があってこその「春の楽しさ」・・・それを考えるとしみじみしますね!

今日はこんなところです。また明日!

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