参入増→イメージキャラクター導入の法則

ずっと農機広告を追っています。先日は1970年代後半から1980年代後半までの約10年はイメージキャラクターの時代と定義してみましたが、今日はちょっとその前を振り返ってみたくなってしまいました。(行ったり来たりですみません)

1970年代後半から1980年代後半までの約10年、主に女性タレントがたくさん起用された農機広告でしたが、その前に女性モデルを多数起用していた時があったことを忘れていました。

1960年前後は耕耘機ブーム。参入メーカーは膨れ上がりその数130社とも・・・

オシャレな格好をして耕耘機を操る女性。1960年前後、耕耘機がたくさん売れたのではないでしょうか?そこには女性モデルが寄り添っています。
1956年頃にはそれまで珍しかったティラー/耕耘機も本格的普及段階に入ります。多分、ごく初期の頃に導入されたであろうメリーティラーも、先駆者だからといってのんびりしていられるわけもなく、他社が女性モデルを起用すれば自社もこのように採用せずにはいられなかったようです。
1959年〜1960年あたりにはティラー/耕耘機ブームを迎えます。

経済の高度成長、農業就業人口の他産業への流出が顕著になるにしたがって労働手段としてのティラー/耕耘機の需要に拍車がかかりブームを形成。脱穀機、籾摺り機メーカーも組立主体に参入。その数130余社となり業界はティラー/耕耘機一色となる。

三菱の資料「農機技術概史と業界の動向」より
なるほど!そういうわけだったんですか! 機械性能はもちろん、デザインや値段もも頑張ったけれど、130社もある中で目立とうとすれば商品以外の部分でも何か知恵を絞らなければならなかった・・・

その結果がイメージキャラクター・・・女性モデルというわけだったんです。

稲作の場合はよく、「機械のお金を払うために勤めに出る」みたいな話を聞きましたが、その責任の一端をこのおねえさまたちは担っている部分もあったわけです。

すべて人力で作業していた部分が、このような機械でできるようになりずいぶん世の中が変わりました。

昔はとにかく人海戦術だったでしょうから、農業に人手がたくさん必要だったでしょうね・・・
昔はとにかく人海戦術だったでしょうから、農業に人手がたくさん必要だったでしょうね・・・
で、その人たちはハードな労働をするのでお腹がすきます。だからご飯もたくさん食べた。
で、その人たちはハードな労働をするのでお腹がすきます。だからご飯もたくさん食べた。
便利で力持ちな機械ができて、少し肉体的なキツさから解放されたり、人手も今までよりは切実に必要ってほどでもなくなると、機械を作るほうの工場にでもどう?ってことになります。
便利で力持ちな機械ができて、少し肉体的なキツさから解放されたり、人手も今までよりは切実に必要ってほどでもなくなると、機械を作るほうの工場にでもどう?ってことになります。
もっと強力な機械や、ちょっと便利な機械、機械がだんだん普及すると工場もたくさん増えて、なんだか作物を作っていた人たちがそっちへ流れていくぞ? どうやらでっかい町ができたようだ。
もっと強力な機械や、ちょっと便利な機械、機械がだんだん普及すると工場もたくさん増えて、なんだか作物を作っていた人たちがそっちへ流れていくぞ? どうやらでっかい町ができたようだ。
作物を作る人、機械を町で作るに別れただけでなく、町の中の工場の規模が大きくなり、機械を作る人ばっかりじゃなく、事務だけをする人や、機械を運ぶ人、町としての機能を司る人など分業が進みました。
作物を作る人、機械を町で作るに別れただけでなく、町の中の工場の規模が大きくなり、機械を作る人ばっかりじゃなく、事務だけをする人や、機械を運ぶ人、町としての機能を司る人など分業が進みました。
なんだがみんな遠くに行ってしまったなあ・・・作物を作る作業もロボットがGPSで分担したりしてるらしいし、様々な分業が進んで食べる人と作る人、ずいぶん離れちゃいました。
なんだがみんな遠くに行ってしまったなあ・・・作物を作る作業もロボットがGPSで分担したりしてるらしいし、様々な分業が進んで食べる人と作る人、ずいぶん離れちゃいました。
脱線しちゃいました。少し戻ります。

発動機が百花繚乱の頃はどうだったのでしょう・・・

1960年前後のティラー/耕耘機ブームの前には発動機ブームがあったのではないかと思います。

それまで人力で大変な思いをして行なっていた、水汲みや脱穀の作業をエンジンで・・・ということで、ずいぶん多くのメーカーが参入していたはず。発動機の広告をちょっと調べてみました。

とはいっても、大してネタを持っているわけではありません。手っ取り早く新聞広告を探してみます。

東京大学総合研究博物館画像アーカイヴス
日本の新聞広告3000(明治24年-昭和20年)


という素晴らしいサイトがありまして、1945(昭和20)年までと、少し半端ではありますが、ここで簡単に探してみます。
[Image 2625] 2625 東京朝日新聞 第 17650 号、1 面、昭和 10 年 6 月 8 日発行 東京、東京朝日新聞社 ついに昭和10年!左横書き大豊作です。機械と工具、エアストリームクライスラー、明電舎モートル、冨士タービン、マキノ式粉砕器、揚水ポンプ、羽田ベルト・・・機械関係、モーター関係、最新式な感じで左横書きが採用されているのでしょう。あたらしモノ好きにアピールする感じでしょうか・・・
[Image 2625] 2625 東京朝日新聞 第 17650 号、1 面、昭和 10 年 6 月 8 日発行 東京、東京朝日新聞社 ついに昭和10年!左横書き大豊作です。機械と工具、エアストリームクライスラー、明電舎モートル、冨士タービン、マキノ式粉砕器、揚水ポンプ、羽田ベルト・・・機械関係、モーター関係、最新式な感じで左横書きが採用されているのでしょう。あたらしモノ好きにアピールする感じでしょうか・・・
上の画像から発動機関係を抜き出してみました。この時点ではまだ発動機メーカーも数百社などというレベルではないのでしょう。古すぎて女性モデル(イメージキャラクター)が出てくるには至っていません。発動機の絵?が精一杯です。狭いスペースで大きく目立とうと、レイアウトに苦労している様子はわかります。
上の画像から発動機関係を抜き出してみました。この時点ではまだ発動機メーカーも数百社などというレベルではないのでしょう。古すぎて女性モデル(イメージキャラクター)が出てくるには至っていません。発動機の絵?が精一杯です。狭いスペースで大きく目立とうと、レイアウトに苦労している様子はわかります。
一方こちらはクルマのコマーシャル。何と女性のイラスト入りです!しかも商品のクルマより大きい!!! やはり女性モデル(イメージキャラクター)の流れは確実にここで見てとれます。
一方こちらはクルマのコマーシャル。何と女性のイラスト入りです!しかも商品のクルマより大きい!!!

やはり女性モデル(イメージキャラクター)の流れは昭和10年のこの時点で確実に見てとれます。

高価な商品で、参入のメーカーがある程度出てきた時、女性モデル(イメージキャラクター)が出現する法則!!

これは時代に関係なく、現れては消え現れては消えしていたのです!
[Image 381] 381 東京日日新聞 第 18246 号、1 面、昭和 2 年 6 月 18 日発行 東京、東京日日新聞発行所(大阪毎日新聞社東京支店) 昭和2年!やりました。換気扇、モーター・・・色々あるなかで一つだけ左横書きが・・・うえおのほうの中程、最高級ナビゲーターボートモーターとあります。他にはヤンマーのポンプや石油発動機などもありますね。これから先大正時代には左横書きは見つかりませんでした。
[Image 381] 381 東京日日新聞 第 18246 号、1 面、昭和 2 年 6 月 18 日発行 東京、東京日日新聞発行所(大阪毎日新聞社東京支店) 昭和2年!やりました。換気扇、モーター・・・色々あるなかで一つだけ左横書きが・・・うえおのほうの中程、最高級ナビゲーターボートモーターとあります。他にはヤンマーのポンプや石油発動機などもありますね。これから先大正時代には左横書きは見つかりませんでした。
他のメーカーはまだ女性モデル(イメージキャラクター)を導入していません。エアストリームクライスラーが先頭です!
上の画像、クルマ部分だけ抜き出します。
昭和2年の段階では他のメーカーはまだ女性モデル(イメージキャラクター)を導入していません。エアストリームクライスラーがもしかしたら先頭です!

というわけで、時代に関わらず参入増→イメージキャラクター導入の法則が成り立つのではないか?ということを見てきました。

まだ続きますがきょうはここまでです。それではまた明日!

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