『コンマ田植機MPR5H 他社製田植機を自社ブランドで販売するメリットって・・・』の記事で、今間製作所が「昭和40年代、自走自脱(ハーベスタ)を日本で初めて販売して一世を風靡した会社です。」だと教えてくれたトラクター狂さんに、その自走自脱(ハーベスタ)のカタログを送っていただきました。
トラクター狂さん、いつもありがとうございます!


コンマ 播種機 AP-G23T 中古価格¥120,000 購入初年度平成18年 播種機はオリジナルだそうで、山形ではこれがスタンダードだそうです。

コンマハーベスタMT51J・MT41J・MT40J-2
これは刈取りはできないんです。つまり自走脱穀機。下のほうには
コンマが日本で初めて開発し日本農業に定着させて10年・・・いまやコンマハーベスタは全国各地で圧倒的な人気を独占しています。
とあります。
僕は農業のことをよく知らないので、米収穫の機械化はバインダー→コンバインの流れだと思っていました。しかし、その間に自走脱穀機というのがはさまっていたのでした。
確かに農家の規模はまちまちですから、おだがけして天日乾燥して、その後脱穀していた農家もあれば、バインダーの刈取り後すぐに脱穀して強制乾燥する農家もあったということなのでしょう。
となれば脱穀機を現場に持っていきたいニーズもあったのだと思います。

わが国の稲は脱粒性が「難」であるため、欧米式脱穀機では穀粒損失が多い。自脱の持つ脱穀特性を生かした構想で、上森農機と農林省農試が昭和36~39年に共同研究を行いプロトタイプを完成した。以後、多くの農機メーカが積極的に開発を試み、昭和42年、写真の「歩行2条刈自脱コンバイン」が井関農機から量産・市販され始めた。



『だまって奥さまやお年寄りに収穫がおまかせできる』と大きく書かれたタイトルも興味深いです。都市部で人手が必要となり、兼業で他の仕事をしていた農家の様子が目に浮かびます。勤めで稼いだお金をこのような機械の購入に使ったのでしょうね・・・

なぜ自走脱穀機?と最初思ったのですが、考えてみたら収穫機として最初にバインダーを導入したでしょうから、刈取り部は必要なかったはずです。「必要な機械だけ買えた」という面ではとてもリーズナブルな機械だったと言えます。
ただ、このハーベスタ買替えの際には技術の進歩もあって自脱式のコンバインがレンジに入ってきたでしょう・・・今や全く見かけることのないこのタイプはそうやって入れ替わってしまったのですね。
このハーベスタの話、ちょっと続きます。また明日!
伊藤産業機械(株)さん おはようございます
そうだったのですね
確かにそうすれば乾燥機はいらないし、田んぼで全て済むので家が散らかりません
それはそれで考えられた機械体系で、今だって場合によっては使えそうです
服部さん、バインダーだけ持っていて、刈った稲を干してから家に持ち帰って、据え置きの脱穀機で脱穀するという人は、ほとんど見たことがありません。
たいていの場合は、バインダーとハーベスターをセットでお持ちになっていて、バインダーで稲刈り後にいったんおだがけし、乾燥してからハーベスターを持っていて、田んぼで脱穀していました。
バインダーの場合は、収穫してすぐに強制乾燥という人もマレでした。