米子の児玉さんに送ってもらった、デビッドブラウントラクター david brown 770 selectamatic「撮りトラ」その2です。
以前のケース・デヴィッドブラウン1212はイギリス製の部品が使われていましたが、今度の770はアメリカ製の部品です。
白いパネルに黒い計器が映えます
AC?
ACは アルバート・チャンピオン(Albert Champion)だった!
イギリス生まれのデビット・ブラウンはバトラーズ(BUTLERS)というメーカーのテールランプを使っていましたが、こちらの770 selectamaticの計器類はアメリカ製でした。
なぜかプラグのメーカーである AC Spark Plug Companyという会社の製品です。
ACスパークプラグ社は今のAC-デルコでした
僕は全然知らないことでしたし、斜めに読んでいるので合っているかどうかわかりませんが・・・お付き合い下さい。
1900年代初頭、フランスはエンジンの点火プラグの生産寡占国でした。
そのフランスから一人の男がやってきた
1889年、アメリカに自転車とオートバイのレーサーであるフランス人のアルバート・チャンピオンが移り住みます。
ACデルコのWEBページによれば、アルバート・チャンピオンは非常に優秀な自転車レーサーで、トレーニングに使うオートバイ用に自己流でスパークプラグを作り、友人に売って小遣いを稼いでたそうです。
これがきっかけとなり、アルバートは投資家の援助によって、彼は副業としてマサチューセッツで点火プラグの製造販売会社、チャンピオンイグニッション社を設立します。
まさに、工夫ズキの機械ズキだったわけです。
まさにスパークプラグの聖地、ミシガン州フリントへ・・・
1904年、GMの創業者である、ウィリアム·デュラントは彼の会社をミシガン州はフリント(Flint:「火打石」とは何て点火プラグにぴったりな名前なんでしょう!)へ誘い、このあたりはあまり定かではないのですが、きっとそのことで投資家といざこざがあったのでしょう。
投資家は彼の事業から資本を引き揚げてしまい、さらに「チャンピオン」の商標権をも持ち去られてしまったみたいなんです。
そちらの方も残っています
創始者は・・・
アルバート・チャンピオンは自分の作ったものに自分の名前を冠して売れなくなり、1908年に(4年とは短い!)同じくフリントにあった自動車メーカー、ビュイックと手を組みACスパークプラグ社を設立します。
しかし、ビュイックは経営をウィリアム·デュラントに任せ、会社はGMの1ブランドとなります。成長する自動車産業へスパークプラグを供給する必要のあったGMは1909年にこのACスパークプラグ社を買収します。
合意したから売ったとはいえ、何度も会社を持っていかれたチャンピオンさんはどんな気持だったでしょう?
2008年まであったメインの工場も現在は更地になっています
チャンピオンはチャレンジャー
ACスパークプラグ社は1916年から飛行機の点火プラグの生産を始め、第一次世界大戦中には一日5万本も作っていたそうです。また、ACスパークプラグ社はこの時期のビッグネームとも関わっていました。
「スピリット・オブ・セントルイス」と名づけた単葉単発単座のプロペラ機でニューヨーク・パリ間を飛び、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功したチャールズ・リンドバーグ。
1927年のチャールズ・リンドバーグの快挙に続き、女性として初めての大西洋単独横断飛行を成し遂げたアメリア・イアハート。
航空機による初の北極点到達を成し遂げたリチャード・バード・・・会社を無くしてもその製品は、アルバート・チャンピオンさんの遺伝子が組み込まれていたみたいですね。
このACスパークプラグ社は1919年にはスピードメーターの生産を始めています。(ここでやっとメーターが出てきました!)
スピードメーター
世の中を席巻している感じ
グッズやいろいろな派生商品も見つけました。
変わったものも作っていました
プラグとスピードメーター・・・なんだか関係がないようですけど、ACスパークプラグ社の絶縁碍子を焼いていた窯ではタイルも焼いていたそうです。
フリントファイアンス&タイル社という会社で、光沢のある塗装のタイルで知られ、米国の最高のアート&クラフトタイル企業の一つに数えられていたそうですよ!
冷却と再加熱の繰り返しサイクルが窯に損傷を与えるため、窯の温度を下げないよう、空いた時にタイルを作っていたみたいなのですが、スパークプラグの需要が増えるとその必要もなくなりタイル生産をやめたそうです。
宇宙へも!
1933年にはGM向け生産部門が作られ、各種フィルター、電流計、燃料ポンプなども作られるようになり、1974年にはACスパークプラグ社とユナイテッド デルコ社が資本提携し、現「ACデルコ」が誕生したという流れになっているようです。
トラクターに部品あり、部品に歴史あり
フィンランドのトラクター、ヴァルトラの歴史なんかもそうでしたがトラクター本体のみならず、その部品にも歴史や物語があるんだなあ・・・としみじみ思いました。それも、必ずしも成功の歴史ではなく、途中で途切れてしまったり飲み込まれてしまったり・・・
会社の歴史も、現在主流で残った側からの眺めと、言葉は悪いかもしれませんが傍流の側からの眺めは、ずいぶん違い興味深いです。
就職活動などで受けようとする会社の歴史を調べる学生さんもいるかもしれませんが、「製品から」とか「その部品から」とか、少しでも興味の持てるものから攻めて行くとおもしろく思えるかもしれませんね・・・
まあ、受ける会社が多すぎていちいち調べきれないか・・・
Dさん おはようございます
アルバートさんのプラグはタイルを焼いていたわけですから磁器で絶縁していたのでしょうね
当時のプラグは調子の悪いものが多く、そこで好評を博したとどこかで見かけたので
雲母と磁器の違いだったのかもしれません
しかし、マイカプラグ、一体どんな形だったんでしょう
ACデルコの由来、イヤハートまで出てくるとは恐れ入りました。
当時の航空発動機のプラグは雲母で絶縁してたみたいですけど、詳しい資料見つからないんです。
児玉さん おはようございます
そういわれるとそんな風に思えますね
機体の生年月日が分かるとぐっと身近に感じられます
レストアにかかっているのですか!
できあがっとき、また見せていただけたら嬉しいです
あ!それから
David Brown770 Selectamaticホワイト770A
1965-1970 4月、582001S-592375S
5年間の総生産台数10374台の9725台目№591726・・・年間2千台以上ということは間違いなく最終年度1970年製造の最終機体前649台目ということでしょうか、、、
よく調べていただきました、勉強になります、ACデルコは最近高性能バッテリー充電器が目に留まりますね、ACってAlbert Championだったなんて、、、