あっちへ飛んだりこっちへ行ったり、道草しながらもようやく稲刈りのお話しになってきました。クボタコンバインER-108(話題に出たのでよく見たらスイスイデバイダが4つついていました)での今年の稲刈り(とはいっても、一日しか見られませんでした)です。
その中で興味深く思ったこと、「井戸を避けて稲刈り」です。何のことかというと、田んぼの中に井戸(多分現在は使っていない)があるんです。
井戸を避けて稲刈り(動画1分)
使わなくなっても井戸は埋めちゃいけないんですね。
悪いことが起こるという話はありませんでしたが・・・
ネットで調べてみると、使わなくなった井戸を埋める事によって具体的に何か悪いことが起こる・・・という記述には当たりませんでしたが、道義的責任というか、今までさんざんお世話になった井戸を「使わなくなってジャマ」だと埋めてしまうことってどうなのよ・・・という感じでした。
もう一つは、大変便利な水道ですが、この間の地震の時のように何かがあったら断水してしまいます。断水したからと言って水を飲まないで済むわけではありませんから、井戸を残しておけば災害時に役に立ちます。水戸市も非常時のために井戸水を提供してくれる方のリストを作っていましたね。
良い物を残すための抑止力
具体的であろうとなかろうと、神様に障るのは誰だってイヤです。法律ではなく、こういういわれが抑止力となって公共財である井戸(水)が生き残ると考えることもできそうです。
考えてみれば、法律っていつも後追いですけど、神仏って「これって神さま仏さまが見たらなんていうだろう」という、いつだって最先端の、何といったらいいか、自分で考えるフレキシブルな法律?リアルタイム法律?みたいなもんですから、世の中が悪くならないために必要かもしれません。
経済性や効率、そして法律ばかりが判断基準ではイザとなって引き返したくなっても「もう戻れん」ってなことになりそうですから・・・
田んぼの中の井戸を見たとき、「興味深いなあ」と思ったのですが、こうやって調べてみると、感謝の気持を残している感じ、非効率だとしても目に見えない物を敬ったり大事にする、その心持ちがすごくいいことだと感じました。
井戸を避ける 写真マンガ
岡田さん おはようございます
水はとても貴重であったろうし
それを使わなくなったからさっさと埋める・・・というのは良くないですよね
ちゃんと方法もあるのですね
野井戸・昔のお人・・大変な苦労され作られた。
今では井ガワ等使って堀れます.但し水道があります。どこを堀ってもいいわけありません。だがつかはない野井戸危険です。昔堀た人・その井戸を使っていた人達を思い酒・塩をささげ・感射して埋戻すと幸福になれます。