鉃道写真を撮影する「撮り鉄」をもじって、トラクターを撮影する「撮り虎」撮りトラキャンペーン第6弾その2。北海道で見つけた三菱のトラクターです。アレから結構長い間探したのですが、どういう車種か結局わからず・・・もしかしたら発動機だけ三菱製で車体は別メーカーで作っているとかなのかも。
役目を終え朽ちていく
それにしてもこういう光景土地の余っている地方でよく見かけます。その場ではお日さまがさんさん照ってるし、広い視野の中の打ち捨てられたトラクターですから、ちょっと荒んだヤサグレた印象しかないわけですけど、こうやってそこだけ写真で切り取ってしまうとなにやら寂しいような、物言いたげなように見えてしまうから不思議です。
「40歳になったら人は自分の顔に責任を持たねばならない」
「40歳になったら人は自分の顔に責任を持たねばならない」と言ったのはエイブラハム・リンカーンだそうですが、多分40は過ぎているだろうこのトラクターの顔は煤けてサビにまみれていても、働くキカイの存在感はまだ残っていて、それで何かを訴えかけてくるのかな〜なんて思います。
最近のはどうなんだろ?
今のステキなトラクターたちが40歳になった時、デザインや存在感がそんな風に残っているだろうか?などと妄想してしまいます。時間や役務をお金に換算して働いて何も残っていなかったらちょっと寂しいな。
もしかしたら新型はいつまでも歳を取らないというか、リンカーンの言葉も時代とともにレンジが変わって「60歳になったら人は自分の顔に責任を持たねばならない」なんてことになるかもしれませんけど・・・
こんなことを考えていそう
愛読者さん こんにちは
おっしゃる通り第一世代の最終型って感じですね
エンジンは三菱かつらエンジンな感じです
このエンジンより古い乗用型は見かけたんですけど
なかなかこのエンジンの載ったのは見つかりませんねえ
後輪に4カ所、水田用カゴ車輪の取付穴が設けられているあたり、水田用のトラクターとして、かなり完成された機械だと思うんです。
汎用エンジンを載っけて利用していた最後の世代でしょうから、大変興味があります。
愛読者さんこんにちは
一緒に悩んでいただきありがとうございます!
このトラクタ?は道路脇の法面に台をしつらえその上に載っていて
離れて撮ろうとしても自分が草に埋まっちゃって撮れなかったんです
まさかこんなに悩むとは思いませんでした
確かに農発みたいな開放式の水冷汎用エンジンみたいですし
妙に腰高な印象を受けるエンジンをフレームに載せただけのつくりといい
まさに「乗れるよう作った耕耘機」なんでしょうね
もしかしたらエンジンと車体は別メーカーかもしれません
三菱のK6A水冷灯油エンジンなんか形が近いと思うんですけど
それを使った乗用型はまだ見つかってないんです
あ!それから写真はリンクをコピーしてブラウザに貼ったら見られました
三菱の発動機なども写ってますね
奥のヘッドライト付の発動機はフードのカクカク具合がかなり似てます
かなり昔の機械好きの鍛冶屋さんが作ったとすれば
特定は難しいかもしれませんねえ
ゴメンナサイ。
ブログの写真のURLをコピーしたのですが、それだと表示してくれないんですね。
知りませんでした(汗)
http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/cb/28/heydjug12345/folder/961844/img_961844_27717399_2?1318844042
は
http://blogs.yahoo.co.jp/heydjug12345/27717399.html
の3枚目。
http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/cb/28/heydjug12345/folder/961844/img_961844_27718456_0?1318853135
は
http://blogs.yahoo.co.jp/heydjug12345/27718456.html
の1枚目です。
引きの絵が無いので、謎の古式トラクタの全体像が掴めませんが、どうも「トラクタ」ではなく「乗れるよう作った耕耘機」という感じが・・・。
ロータリーがセンタードライブなのも、耕耘機の流れなのかなぁ・・・と思ったり。
スミマセン。結局、謎は解けてません。
謎の古式トラクタに搭載されている三菱製汎用ディーゼルエンジンについて、
福岡九州クボタ 大橋松雄農業機械歴史館
http://www.fukuokakyushu-kubota.co.jp/museum/index.html
を見学した方のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/heydjug12345/27717399.html
に、同年代と思われるエンジンたちの写真を発見しました。
http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/cb/28/heydjug12345/folder/961844/img_961844_27717399_2?1318844042
http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/cb/28/heydjug12345/folder/961844/img_961844_27718456_0?1318853135
スゴいヒトがいますねぇ。。。
大橋松雄さんの偉業を讃えたいと、心の底から思いました。
で、とりあえず当時の汎用エンジンには「アイボルト」が標準装備されていたようです。
恐らく、チェーンブロックなどで吊り上げ、大八車に載せて運んでいたのでしょう。
懐かしのヤンマー富士耕耘機と同様、汎用エンジンの動力をベルトで本体に伝達している形式であること、レバー類が機体中央に横方向で操作するよう配置されていること(ベルトとプーリーの組み合わせで変速する機構と推測される)から、歩行型耕耘機をベースに製作されたものであるように感じます。
となると、昭和30年代後半から昭和40年頃の機械なのかなぁ。。。
エンジンが三菱だからといって、三菱製トラクタとは言えないでしょうが、逆にエンジンを製造していたクボタやヤンマー、シバウラ等のモノでは無いだろうと考えられます。
そうすると、井関農機(愛媛)、佐藤造機(島根)、鈴江農機(高知)・・・他にもそういうモノを作ってそうなメーカーは何社かあったんだろうなぁ。
セイレイ工業の前身となった3社のうちの1社、協和農機(高知)は昭和38年に乗用トラクターを製造開始しているとのことですが、昭和36年にヤンマーと業務提携していることから、三菱製エンジンは搭載しないでしょうし。
場所が北海道だけど、大島農機(新潟)は佐藤造機のOEMを売っていたらしいし、佐藤造機が現在の三菱農機であることを考えると、初期のサトートラクターだった疑いが濃いでしょうか???
もしかすると、製造時に搭載されていたエンジンが壊れちゃって、後から三菱製エンジンを載せたっていう可能性があるのかも?