どういうわけだか忙しくて、切れ切れにしか時間が取れず、なかなか先に進まないことをお許しください。今日は昨日のマシンが稼働したところからの続き、何とか第一部の動画を編集しました。コーフンしているせいもあり、お聞き苦しい点、あらかじめお詫びしておきます。
すばらしい機械ですが、作業に時間はかかります。その手間の掛け方を考えた時、効率が悪いと捉えるか、それともうまく言えませんが、円を閉じるための作業と考えるか・・・なにか、「手間をかける」ということは、不思議な心の中の広がりをもたらしてくれるような気がしました。
蕎麦の種をまき、芽が出てからはそんなに手もかけませんでしたが、実って手で一つ一つ実を落として、シートに広げて乾燥させて、いま選別をしているわけです。ものすごい手間ですが、どれをとっても今まで知らないことでした。いや、知っていたかもしれませんが、実感を伴わないものでした。これって知らなくていいことなんでしょうか?それとも知らなければならないことでしょうか?そんなことを少し考えました。
こうなってくると、巷のおそば屋さんの蕎麦って「安い」って思っちゃいます。こんなすごい手間の最終型があのお店の蕎麦です。それを高いだの安いだの言っていないで、これからは倍払ってあげなくてはいけない。貰うばかり、要求ばかりではなく、これからお裾分けの気持を持って、バンバンお金でも何でも配らなければ・・・なんて、気持的にはそんな気持です(まあ、倍は払えませんし、あくまでも気持ですけど・・・)。
唐箕(とうみ)です 動いてます
↑ 動画(1分33秒)画面クリックでも再生します。