昨日途中になってしまった、ヰセキ管理機KC350Fから始まる「愛称問題」。ヰセキは1971年の「さなえ」に始まり、「太郎」「大作」「耕太」と数々の愛称を生み出したトップランナーでした。
しかし、そんな愛称は当時だって農機だけ。
1971年といえばクルマはシビックが出た年。ましてや「花子」「二郎」なんてクルマは1台もないのでした。と、いうわけでヰセキは少しずつ古い・ダサイ名前からの脱却を進めていたフシがあります。それを少し追いかけてみましょう。
「さなえ」の成功に引っぱられた1970年代
“イセキ愛称、古い・ダサイ名前からの脱却は1980年から始まっていた” の続きを読む