田植機考古学:超貴重な三菱乗用田植機、1979年MPR600/800カタログvs1981年MPR601比較。たった三年でこの変化!

今日は昔のカタログシリーズ田植機考古学。先日取り上げたトラクター狂さんの(いつもありがとうございます!)1979年、三菱のなんとも言えない形のMPR600/800と、1981年のMPR601のカタログを比べてみます。

これが先日の記事。こういう機種があるのは型番の記録として知っていました。ただ、それが当時のトラクターを模した姿だったことにまだ衝撃も冷めやらない感じです。
三菱田植機MPR600です。今の田植機はそれ固有のデザインで、トラクターとは似ても似つかない姿になっています。それからすると乗用田植機が出た当初はトラクターに似せてあったのだということが新鮮です。(三菱に限らず)
三菱田植機MPR600です。今の田植機はそれ固有のデザインで、トラクターとは似ても似つかない姿になっています。それからすると乗用田植機が出た当初はトラクターに似せてあったのだということが新鮮です。(三菱に限らず)
スペックを見ると8馬力で、多分単気筒ガソリンエンジンです。そんなに大きなものとは思えず、この外観であれば中身はスッカスカだったのじゃないかと思われます。
スペックを見ると8馬力で、多分単気筒ガソリンエンジンです。そんなに大きなものとは思えず、この外観であれば中身はスッカスカだったのじゃないかと思われます。

そしてその重さですが、MPR600で480kg、MOR800で520kgとなっています。

同じ三菱の現行機種は6条植えのLE60ADの標準的なモデルで3気筒のディーゼルエンジンが載っているせいでしょうか?772kgと随分重くなっています。
同じ三菱の現行機種は6条植えのLE60ADの標準的なモデルで3気筒のディーゼルエンジンが載っているせいでしょうか?772kgと随分重くなっています。
こちらは8条植えのMPR800です。デザインにわりと自由度があったと思われるのに、独自の形を取らず、トラクターのような形になった・・・というのが面白いです。時間がなかったのか、ユーザーの抵抗感を気にしたのか、その両方か・・・
こちらは8条植えのMPR800です。デザインにわりと自由度があったと思われるのに、独自の形を取らず、トラクターのような形になった・・・というのが面白いです。時間がなかったのか、ユーザーの抵抗感を気にしたのか、その両方か・・・
■苗補給がスムーズにできる「苗台中央自動停止機構」および、苗の残量が少なくなるとランプで知らせる「苗減少警告装置」付き。 ■作業速度を変更しても、植付株間は常に一定。 と書いてあります。速く走ったら間隔が広がって、ゆっくりだと密になるのでは困りますものね。
■苗補給がスムーズにできる「苗台中央自動停止機構」および、苗の残量が少なくなるとランプで知らせる「苗減少警告装置」付き。
■作業速度を変更しても、植付株間は常に一定。

と書いてあります。速く走ったら間隔が広がって、ゆっくりだと密になるのでは困りますものね。
■バランスのよいリヤマウント方式とニューダブルアクションの植付機構により、すぐれた植付精度。 とあります。これは前年に出た、フロントマウント方式のヤンマーのYP6000を意識しているのでしょうか?
■バランスのよいリヤマウント方式とニューダブルアクションの植付機構により、すぐれた植付精度。

とあります。これは前年に出た、フロントマウント方式のヤンマーのYP6000を意識しているのでしょうか?
これですね・・・バランスが悪そうには見えませんけど・・・
一番始めにフックしたのはこの写真。8条植え、しかも前で植えるタイプ・・・こんなのあったんだ!
1978年4月号の新農林社という会社が発行している「機械化農業」という月刊誌の表紙です。この表紙に写っているのがヤンマーのYP8000という8条植えの乗用田植機。前植え、アーティキュレート式操舵の乗用田植機です。後ろにエンジンと補助苗台があり、バランスをとっているように見えます。

MPR600/800から2年後

前置きが長くなってしまいましたが、MPR600/800から二年後の1981年、MPR601という型番が1つだけ増えた機種が出ていました。

青いMPR600/800に対して色、形、レオタードのお姉さんと「劇的」という言葉では足りないくらいの変化です。何度も言いますが、たった2年後、田植え二回分でこの変化です。
トラクターに全く似ていません。かなり田植機らしくなっています。トラクタータイプだと使い勝手が悪かったのでしょうね。
トラクターに全く似ていません。かなり田植機らしくなっています。トラクタータイプだと使い勝手が悪かったのでしょうね。
一番の変化はエンジンフードの前下がりが急になっていることでしょうか? いくらマーカーがあるといっても、鼻が前に突き出していると真下が見難いですものね。また、ステップが鼻の両サイドにあって、畦に鼻をつければ操作者が畦から直接田植機に乗り込めるようになっています。トラクタータイプだと一旦田んぼに降りて横から乗らなくてはならないですからねぇ・・・せっかくの乗用田植機なのに、田んぼにじゃぶじゃぶ入らなくてはならないというのはちょっとという感じがします。
一番の変化はエンジンフードの前下がりが急になっていることでしょうか? 

いくらマーカーがあるといっても、鼻が前に突き出していると真下が見難いですものね。また、ステップが鼻の両サイドにあって、畦に鼻をつければ操作者が畦から直接田植機に乗り込めるようになっています。

トラクタータイプだと一旦田んぼに降りて横から乗らなくてはならないですからねぇ・・・せっかくの乗用田植機なのに、田んぼにじゃぶじゃぶ入らなくてはならないというのはちょっとという感じがします。
ここに北海道仕様を見つけました。 引用すると 補助苗12枚を搭載!北海道仕様。 北海道仕様は、広い圃場での連続作業を可能にした補助苗を12枚積めるゆとりの設計です。 とあります。
スペックはMPR600とほとんど変わりません。エンジンの馬力など1馬力落ちていますし、重さに至ってはデザインの関係なのでしょう。440kgと40キロも軽くなっています。

まさにこのころの田植機は日進月歩。トラクターのような田植機から、あっという間に枝分かれして独自のスタイルを作り上げてしまいました。

クボタは1980年にはNSR5を出していました

ここまで見たら、タイトルにはないですが「クボタはどうだったのだろう」と思います。1980年に三菱のMPR601よりはこなれていないデザインですが、同じく田植機専用スタイルのNSR5を出していました。

ネットでマフラー位置がよくわかる写真を探してきました。こちらはNSR5です。田植機としての独自の形というより、トラクターに寄せる意識が感じられます。前輪よりかなり前に重量物があるのがよくわかります。
ネットでマフラー位置がよくわかる写真を探してきました。NSR5です。コアラの花のように見えるのはサイレンサー。田植機としての独自の形というより、トラクターに発展している途中といった感じでしょうか? ちょうど三菱のMPR601との中間のイメージ。すごい勢いで1年1年変わっていったのでしょうねぇ・・・1976〜77年あたりから80年初頭にかけて、毎年毎年新しいモデルが出ていたのかも・・・

このころの乗用田植機をずらりと並べて鑑賞してみたいですねぇ・・・きっと今に通じる変化が目に見える形で表れているに違いありません。

今日はこんなところです。また明日!

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