今日は調べ物をしているうちにイケナイものを見つけてしまい、そちらに考え・興味が行ってしまいました。世の中がお休みで見に来る人も少ないので、グダグダと結論も答えも出ないことを考えるには都合の良い日です。
それはわからないけれど、新鮮な驚きと刺激を与えてくれることは確かです。アートの世界では当たり前の手法なのだと思いますが、普段の姿と違うトラクターは「いつもと違うことを考える」スイッチを入れてくれるような気がします。
考えすぎといえば考えすぎ。まあ、いいじゃないですか。こんな日があっても。
正確には『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』という言葉でした。「どんなにすげー城作ってもさー、結局人なんだよね」という彼の経験からくる教訓なのでしょう。
日本では作品保護の観点からも鑑賞者保護の観点からもこの展示は難しそうですねぇ。
こういうの、見たことある
そういえばこういうの、作品じゃなくても北欧(に、限らず、薪を必要とする地域で、几帳面な人がいる限り)などにありそうです。おしゃれ番長として室内に「見せる収納」的に綺麗に薪を並べている写真、見たことありますもん。
しかし、燃すに当たって下から抜くわけに行かず、上からとるわけで、となると椅子かなんか台にして・・・ということになり、かなり間抜けなんですけど大丈夫かな?
それから、日本では蜘蛛が薪からいっぱい出てきたり、カミキリムシの幼虫が薪の中でガシガシ食って粉がいっぱい出たりして汚くなるのですけど、あちらの方ではそんなことはないのでしょうか?
とにかく掃除、掃除ですか?
アートと生活のあいだ
室内に限らず、薪(積むものは薪に限りません)を積む作業は何か人を駆り立てるものがあるみたいです。ネットを探すと様々な写真が上がっています。
今気がついたのですが、ずいぶん時間が押しています。ちょっと飛ばし気味にいちいち探した写真を下に並べちゃいますね!どれも素晴らしく愛おしい人の営みという感じです。
刈り取った稲を乾燥させるときにやっていた、「おだ掛け」に通じるような様々な個性。黙々とした作業、ほんのちょっとのいたずら心と愉しみ・・・人は写っていないけど、その姿が見えるようです。
薪を積むということ
石も薪もどれ一つとして同じ形のものはありません。「積む」ということは、個々の特徴を見極めて凹凸を組み合わせるという、空間を把握する作業。文化も城も地域もそんな個々の組み合わせでできている。そんなことを信玄もHeath Matysek-Snyderさんも言っていたのかもしれません。
綺麗にまとまったか?今日は・・・・
やべえなぁ
しかし、その特徴ある石や薪にもにも大小、優劣があるっちゅうことですね。クズ石、クズ薪にももちろん役割はありますけどね。
お後がよろしいようで・・・それではまたあした!