土地の記憶と空中写真その2

島地区の長老の話と昔の空中写真が「合ってる、合ってる!」という話が続いています。

昨日は「土地改良されて田んぼになってしまった昔の道が稲の姿の違いに今も現れている」という話でした。土地改良と言っても、あくまで土地利用形態の改良で、土地自体が改良されるわけではなかったのです。

今日はそれに付随して、昔畑だったところはどうなるか?という聞いた話です。

1961(昭和36)年ではまだそれほど変化がありません。
1961(昭和36)年、有機的に入り組んでした島地区の田んぼ。
昭和40年以前は小さな田んぼや畑が入り組んでいて道も狭かったそうです。道幅は法面も含めて9尺程・・・ということは実際の平らなクルマの通れる部分は1800ミリ程・・・軽自動車がやっとというところでしょうか? AさんやMさんのうちにいくのも大変だったそうです。
昭和40年以前は小さな田んぼや畑が入り組んでいて道も狭かったそうです。道幅は法面も含めて9尺程・・・ということは実際の平らなクルマの通れる部分は1800ミリ程・・・軽自動車がやっとというところでしょうか? AさんやMさんのうちにいくのも大変だったそうです。
ところが1975(昭和50)年では四角く田んぼが整理されています。畑は残っていますが、細い道はなくなってしまいました。
ところが1975(昭和50)年では四角く田んぼが整理されています。畑は残っていますが、細い道はなくなってしまいました。

右中より少し上に、四角い田んぼに混じって変形の畑が見えると思います。聞いた話の場所かどうかわかりませんが、以前書いた絵と似ている形なので、この畑だとして話を進めます。
1986(昭和61)年の写真です。変形四角の畑はなくなってしまいました。畑は田んぼになってしまいました。
1986(昭和61)年の写真です。変形四角の畑はなくなってしまいました。畑は田んぼになってしまいました。
小さなた田んぼや畑はまとめられ、大きな田んぼに生まれ変わった!
小さなた田んぼや畑はまとめられ、大きな田んぼに生まれ変わった!
田んぼに水を入れて代掻きして平らにしてしばらくすると・・・畑だったところがふくらんで持ち上がってしまう!
田んぼに水を入れて代掻きして平らにしてしばらくすると・・・畑だったところがふくらんで持ち上がってしまう!
トラクターで何回ならしても・・・
トラクターで何回ならしても・・・
またあがってきちゃう
またあがってきちゃう

こんなことがあったそうです。

畑であったところはどんなことがあっても畑であろうとし、道であったところはいつまでたっても道であることを主張する・・・当然、田んぼであったところは何があっても田んぼなのでしょう。

土地の記憶すごい!

と、驚いてみたものの、土地も地球の一部。その変化は億年単位なのかもしれません。

「Sさんの田んぼ大きいですね〜」といったらこう言ってました。区画整理をしてずいぶん楽になったそうです。
もちろん、この話をしてくれたSさん、「やらないほうが良かった」と後悔しているわけではありません。区画整理をしてずいぶん楽になったそうで、「田んぼをこうたにきれいにして良かったよなぁ」と、しみじみ言っていました。

それ以外にわかったこと。

1986(昭和61)年の写真です。変形四角の畑はなくなってしまいました。畑は田んぼになってしまいました。
既出の写真、1986(昭和61)年の写真です。10月の写真なので田んぼは稲刈りが終っています。ほぼ全部が自脱型コンバインで収穫されているのが田んぼの「>ー<」の刈り痕からもわかります。
タバコの開け口の図
自脱型コンバインによる刈取りの痕はこんな感じの部分です。機械による作業の「クセ」が空から見えるんですね
2012(平成24)年10月最新の空中写真です。(といってももう8年前)
2012(平成24)年10月最新の空中写真です。(といってももう8年前)コンバインの性能が上がったのか、刈り痕もシャープです。

このころはもうER108が営農組合に導入されていました!

8年前、すでに環境保全会のことだけでなく米作りのことも書いていたのでした。
上の1986年と2012年の画像を比べて機械の性能以外に気が付くことがあります。右の2012年の画像には、左の1986年の画像では見られない緑の部分があることです。
上の1986年と2012年の画像を比べて機械の性能以外に気が付くことがあります。右の2012年の画像には、左の1986年の画像では見られない緑の部分があることです。

僕、気が付きました。この緑の部分、飼料稲の田んぼです。

食用米の収穫は稲を刈取って脱穀したあと、稲わらは刻んで田んぼに撒いてしまいます。ですから稲刈り後の田んぼには「>ー<」の模様が描かれ、黄色い色をしています。

しかし飼料稲はWCS(ホールクロップサイレージ)ですから、(WCS、わからない方はサイト内検索で調べてみてください)稲の茎の部分まで収穫してしまいます。ですから田んぼに稲わらは撒かれず、稲の刈りあとから二番穂が出て緑色をしているのだと思います。

1986年時点では食用米100%だったのが、2012年にはこのように飼料米が作られていたことが目に見えてわかります。

1986年昭和61年10月の写真です。
あらためて1986年昭和61年10月の写真をみてみます。
2012年10月の写真です。
2012年10月の写真です。緑の部分が島地区の田んぼのざっと1割から2割でしょうか・・・
わかりにくいかもしれないので、ざっと飼料稲に見えるところに色をつけてみました。(時間がないので雑です)
わかりにくいかもしれないので、ざっと飼料稲に見えるところに色をつけてみました。(時間がないので雑です)

空中写真閲覧サービス、色々なことがわかりますね! みなさんお住まいの地区の写真も確認すると発見があるかもしれません。

今日はこんなところです。それではまた明日!

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