今朝何となくダイキンの田植機TP21の写真を眺めていました。この場合の「ダイキン」は今もあるダイキン工業のことだと思って、何気なくWikipediaを開いてみると、エアコンや空調のことばかりできれいさっぱり田植機もエンジンのことも書いてありません。
「ダイキンという会社は他にも存在していたのか?」これはいったい?と、また旅が始まってしまいました。
しかし、これはあっさり解決して本家本元、ダイキンのWEBページに「ダイキン工業 90年史」というコンテンツがあって、その第二章に大変詳しく書かれているのでした。
それによればこのTP21苗まき機(後に田植機と改名されるそうですが)の行く末、流れて行く姿がとても興味深いので、「ヤンマー100年史」と並べて整理してみたいと思います。
誕生は1965年
ダイキン90年史の年表にはこうあります
1965(昭和402)年
ダイキン90年史:年表
1月 苗まき機を開発(1970年、田植え機と改称)
おそらく1965近辺から販売も始まっていたでしょう。
1967年 ヤンマー・ダイキンTP21販売開始
ダイキン90年史の年表にはこうあります
1967(昭和42)年
ダイキン90年史:年表
2月15日 ヤンマー農機と苗まき機の販売契約を締結
ヤンマー100年史にもその記載があります。
田植機は1967(昭和42)年2月、ヤンマー農機がダイキン工業株式会社と販売提携を結び、5月に同社が開発し「苗まき機」と名づけられた動力田植機TP21 の販売を開始した。
ヤンマー100年史P78
1971年 ダイキンは田植機をヤンマーに譲渡
ダイキン90年史の年表にはこうあります
1971(昭和46)年
ダイキン90年史:年表
11月29日 ヤンマー農機と田植え機の製造技術・設備の譲渡契約を締結(十二月十六日、農機部門を閉鎖)
また、ダイキン90年史本体には・・・
ヤンマー農機から苗まき機の製造権譲渡を申し入れられたのを機に、七一年、ついに土屋義夫は農業機械業界からの完全撤退を決断した。約四〇〇もの特許・実用新案を含む、製造権・ノウハウ一切をヤンマー農機に譲渡したのである。
ダイキン90年史P65
このことについて「ヤンマー100年史」には記述はありませんが、その先のことが書いてあります。逆にそれ以降「ダイキン90年史」には農機の記述はなくなります。
1972年 ヤンマーマット苗式田植機発売
ヤンマー100年史によると
1970 年まで田植機では過半数のシェアを占め、他社をリードした。しかし、ひも苗式は手数が多いことから農家に敬遠され、やがて散播・マット式が主流となっていったため、ひも苗式田植機の売れ行きは落ち込んだ。
ヤンマー100年史P78
このため、ヤンマー農機は1972 年2月からダイキン工業、神崎高級工機製作所と共同で、散播・マット式田植機の開発に取り組み、同年12 月にAP2、1973 年8月にYP2 を発売した。
ダイキン工業の社史には記載がありませんが、ダイキン工業は1972年にはまだ田植機に関わっていたのですね。
札幌農学校第二農場で見たあの田植機が、なぜ「ダイキン・ヤンマー苗まき機TP21」という名前だったのかようやくスッキリとわかりました。
でもなんだか時間がかかった割には実りが少なかったなぁ・・・急いでやったので穴だらけです。今日はここまでですが、明日も続けてもっときれいに整えます。
それではまた明日!