投稿日: 2020年9月28日2020年9月28日 投稿者: nora島地区1947(昭和22)年-2012(平成24)年の変遷by国土地理院地図・空中写真閲覧サービス今日のテーマは地図。国土地理院地図・空中写真閲覧サービスで島地区の農地の変遷を見てみます。1947年1947年、昭和22年12月の島地区の航空写真です。田んぼは稲刈りが終っているので、左手に白く見えるのは(クリックで拡大するはずです)稲ではありません。これが年長者Sさんの言っていた「ヤワラ」で島茅なんだ!それとは別に作物が生えていそうな田んぼがあちこちに見られます。「ヤワラ」の茅と似たような感じ。もしかしてあの広大な「ヤワラ」とは別にMY茅場を持っていたお宅もあったのでしょうか?これ、後で聞いてみたいと思います。太い道は全く無く、田んぼも複雑な形をしています。環境保会の会長さんの家や、教官のMさんの家も確認できます。涸沼川にかかっていた橋は今の赤い橋じゃなく、平橋です。いやーーーー興味深い。昔、大場町島地区は茅葺き屋根の材料の茅の産地だったそうです。収穫した茅は船に満載して運んだそうですが、こんな風だったかもしれません。想像図です。1961年そして1961年昭和36年の島地区です。先ほどの写真から14年後。なんとあの「ヤワラ」が消えています。(クリックで拡大するはずです)消えてきれいな区画された田んぼに!対岸の大洗や、隣の島田町の田んぼは四角く区画整理されていますが、島地区のほとんどの田んぼはまだ小さいままです。1975年1975年昭和50年1月の写真です。カラーになっていますね!島地区の田んぼもきれいに区画整理されてしまいました。おもしろいのは所々コンバインの刈り痕が見えることです。それと「わらぼっち」が点々と見える部分も・・・バインダーとコンバインの比率は4:6でコンバインのほうが多いかなぁ。涸沼川に架かる橋が見慣れた今の橋になっています。1986年1986年昭和61年10月の写真です。1:9くらいでコンバインで稲を刈っていますが、島地区の中にも数カ所わらぼっちが見えます。それ以外は1975年と変化がない感じです。2012年2012年10月の写真です。新しい道ができています。中央上にクネクネと蛇行していた水路、この次点でスッキリ直線に直されています。島地区65年の変遷をgifアニメにしてみました。島地区65年の変遷をgifアニメにしてみました。こんなことをやっているとすぐ時間がなくなってしまいます。今日はここまで!また明日!上の記事とゆるく関連しているほかの記事:島地区の長老の話と空中写真閲覧をもう少し結びつける土地の記憶と空中写真その2昔の島地区は茅や葦の産地だった島茅の正体を考える島茅の正体を考えるその2(仮結論編)土地の記憶その2