相変わらずデータ移行が続いていて思ったようにPCを触れません。そういうわけで今日は以前見た昔の草刈機、今で言う草刈機「まさお」のようなもの・・・履帯式の大型乗用草刈機です。これもこれも「撮りトラ」?
場所は以前浚渫船の利根川下流河川事務所の浚渫船「利根号」を見た、道の駅・川の駅水の郷さわらです。ここには近所の利根川下流河川事務所にあった機械が展示されています。(地味に裏のほうですけど)
内容を引き写してみますね。
堤防の除草作業に活躍した大型除草機械です。斜面でも横滑りしないように履帯式の走行装置を持ち、作業にオーバーロードが生じても対応できる油圧方式を採用しています。この機械は、建設省(現在の国土交通省)が除草作業の能率向上を目的として開発した機械です。
先端の歯を回転させて草を刈る自走式・乗用型で、凹凸があまりない平らな場所や斜面の緩い場所で活躍しました。
昭和40年代は、草刈機や草刈車、肩掛草刈機などの除草機械整備を内燃班で行なっていたこと、昭和45(1970)年、昭和46(1971)年には草刈車用の排土板を佐原工作出張所で製作していたこと、また草刈車のハンマーナイフの製作は鍛冶班で行って板などの記録があります。
なかなか興味深いです。特定はしていませんが、少なくともこの機械は1970年には存在していて、草刈機の歯やメインの排土板は自分のところで作っていたわけですね。
当時の建設省、鍛冶や整備を自家で行っていたんですね。建設省、自己完結の軍隊的組織だったんだなあ・・・
日本フレキ産業という会社はあったのですが、日本フレキ工業というのは見つかりませんねえ・・・一方日本ブレーキ工業という会社はありました。しかし、どちらも昔、重機のような機械を作っていた会社という感じは受けませんでした。
写真はここまで。僕などは今ある機械って最新式なんだと思ってしまっています。でもこうやって見るとハンマーナイフモアなんてこんな昔からあって、実は今の機械と昔の機械、大してかわっていないんだというのが新鮮でした。
そこがデジタル機器なんかとの違いですね。今あるスマホなどの機器は50年近く前には陰も形もなかったわけですから・・・
逆に大型機械は技術の息がなぜか長く、だから長く使え、今でも昔のトラクターを現役で見ることができる・・・ということだったんですねえ・・・
今日はこれでおしまい。また明日!