今日はSさんのところで見た、鈴江農機製作所CN型耕耘機「撮りトラ」です。(耕うん機だからトラクターといえないかもしれませんが)年式はよくわからないんです。でも、昔のステッカー「金属銘板」の書体や各部の作りを見ると相当昔のものなのでしょう。しかも高級車!
「鈴江農機製作所」は高知県南国市にあったんですね。農機メーカーはどうも西のほうに多いような気がする・・・稲作が半島から日本列島の西へ伝わり、だんだん東へやってきたからだろうか・・・
さっと調べてみたのですが、今はないようです。かろうじて株式上場履歴が、大証2部 1963年6月8日~1979年5月2日(廃止)とあっただけでした。今はどうなっているんだろう・・・
「取扱の注意」
1.運転前には必ず各部のねぢナット類にゆるみなきやを確かめて下さい。
2.潤滑油を注油口より変速機へ約3立ロータリーケースへ約1立入れて下さい。其后油量を点検して若し減っておれば補充して下さい。
3.潤滑油は仕様合計 乾田200時間水田100時間位になった時新しい油と交換して下さい。
4其の他回転部や摺動個所には適時注油して下さい。
5.但しクラッチ板へ油がかかりますと滑りますから主クラッチ周囲へは多量の注油はしない様にして下さい。
ねぢナット類にゆるみなきやを確かめて!すごいなあ。
あー時間がない・・・もう少し時間があれば鈴江農機のこと何かわかったかもしれないですけど、今日はこれでおしまい。ごきげんよう!
愛読者さん,こんばんは。
小学4年生の頃だったかなぁ、畑でバックにギアを入れたらハンドルにぶら下がったままになって,
「何かあったら兎に角クラッチを切れ」と親父に教わっていたので,かろうじて難を逃れたことがあり,
それ以降はバックは慎重にやっていたことを思い出しました。
noraさん
使い倒している感じがしてすごく「いいな」と思いました
うちの親父は,秋になると自分の家の農作業のほかに籾摺りの請負仕事をしていたので,
万石式の籾摺機,ピアノ線の並んだ米選器,耕運機から降ろした発動機なんかをトラックに積んで,
近所の家々を回っていました。
まさに,エンジンフル稼働。使い倒していたんだと思います。
だから途中で,エンジンを買い替えることになったのかなぁと想像しています。
(もうとっくに他界しているのでその頃の話は聞けませんが)
愛読者さん こんばんは
おっしゃるように小学生の子供がロータリーに巻き込まれることを考えたら、修理なんか安いものですけれど
ピンピンした小学生と故障した耕耘機を目の前にして、「よく逃げた!」と、ほめる親父さん
すごいなあ・・・と思います
もちろん一歩間違うと大変なことになっていたのは頭ではわかりますが
僕だったらきっと文句を言ってしまうでしょう
おじまさん こんばんは
まさに一家に一台の働き手、動力だったんですね!
高価だったのでしょうけど、使い倒している感じがしてすごく「いいな」と思いました
「馬力」馬の力、まだ家族みたいなそんな雰囲気が感じられます
おじまさん こんばんは
鈴江農機のこと、ありがとうございます
今は歯車屋さんなのですね
業態を変えながら今も続いている・・・
農機メーカーのひとつの生き方を示しているようで心強いです
おじまさん
私も小学生の頃、親父の手伝いで耕耘機(ヤンマー)を使っていました。
足が速くて困る事は無かったと思うのですが、バックの際に全体重をハンドルにかけて浮き上がりを押さえていた印象が強く残っています。
そういえば一度、代掻き中にバックしようとして手が滑り、発動機に泥水を飲ませてしまったことがありました。
当然、再始動はできず、農機具屋さんが田んぼの真ん中で分解整備してくれたのですが、親父から「よく逃げた!」と、ほめられた記憶があります。
今考えたら、小学生の子供がロータリーに巻き込まれることを考えたら、修理なんか安いものですもんねぇ(笑)
シャチさん初めまして。
スズエの耕耘機は他のメーカーの耕耘機より1.5倍ほど作業速度が速く…
子供の頃の記憶ですが,
親父に言われてよく耕耘機で田んぼや畑を耕す手伝いをしました。
歩いて機械についていくには結構速かったように思います。
それより更に1.5倍速い耕耘機は,早歩きか小走りじゃないと。。。
子供の頃だったからかなぁ。
ちなみに,我が家にあった耕耘機は,機体はどこのメーカーだったかわかりませんが,
エンジンは,ヤンマー(?)で,途中で三菱かつらに載せ替えてたように記憶しています。
エンジンは,必要に応じて耕耘機から降ろして木製の台に固定し,
発動機として脱穀や籾摺りの動力に使ってました。
おじまさんへ
初めまして、シャチと申します。(持ち主です)
なかなか鋭いですね。
ご察しの通り、エンジンは三菱製です。
エンジン型式はK10A型で定格10馬力、最大14馬力です。
このころのスズエの耕耘機は他のメーカーの耕耘機より
1.5倍ほど作業速度が速く(ハイギア)その為オーバースペックのエンジンを標準搭載していたと思われます。
鈴江農機製作所は,鈴江農機→小松鉄工所→高知歯車と社名を変更し,
業態を変えながら今も続いているようですよ。
現在の社名は,高知歯車。(歯車の専門メーカーらしい)
http://www.kochihaguruma.jp/index.html
これまでの経緯は,こんな記事を見つけました。
http://www.joho-kochi.or.jp/johosi/1108/tokushu04.html
それと,上から5枚目の写真の“所要馬力6~8馬力”の表記が気になりますね。
機体は鈴江製,エンジンは別会社製を載せているということでは。
当時,佐藤農機や三菱農機のOEM販売もしていたそうなので,
写真のエンジンの見た目の雰囲気から,三菱製エンジン搭載かも。