ダカール終わっちゃいました

昨日はここのサーバーが落ちていて、サイトが見られなかった人も多かったかもしれません。

ダカールもゴールしたみたいです。よって、ダカールシリーズは今日で終わり・・・明日から平常営業ですね・・・

チェックしている#103マルコム・スミスさんの息子さんは37位、メカなしでラリーを戦う#88の彼は52位、#71の三橋選手は56位でゴールしています。よかったなあ・・・

10回めのダカール、ラザールさんも50位でフィニッシュしています。よかったよかった。

後半はホンダもダメになっちゃって、少し興味を失った二輪はKTM、四輪はプジョー、トラックはイベコがそれぞれ優勝だったみたいです。

ちょっとダカールマガジンを見ていたら興味深い記事があったのでピックアップしてみます。

前にでっかくて速くて優しいと書いたアランさんの記事でした。

ゼッケン20 DUCLOSさん! でっかくて速くてとっても優しいフランス人。彼らしく、記念撮影に応じてますね!
ゼッケン20 DUCLOSさん! でっかくて速くてとっても優しいフランス人。彼らしく、記念撮影に応じてますね!

アラン ・デュクロはヘルメットをスペシャルステージの間に盗まれ、怒りに髪をなびかせながら80キロも走らなくてはなりませんでした・・・って何?

どうしてSS中にヘルメットを盗まれちゃうの??? と思って、英語、ものすごく苦手なんですが、また適当に斜め訳してみます。

怒ってますね・・・そりゃそうです。
怒ってますね・・・そりゃそうです。

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昨日、14回めのダカールを終えてもまだ彼はとっても怒っていました。第11ステージをトップのロドリゲスから1時間20分遅れの総合55位で終えた彼は、驚くべき不幸な経験を話してくれました。

キロメートル295あたりにロードブックに記載されていない危険箇所がありました。バンプのあとにタイトコーナーがあったんです。

私はそのコーナーを突き切ってしまい、ウオッシュアウトの谷に落ちてしまいました。私を追っていたデイビットも同じ運命です。

私は他者に危険を知らせるため、私達が谷の底にいることを合図するため、慣習的としてヘルメットを道が切れた部分に置きました。すると突然薮から男の子が出てきて、ヘルメットを持ち去ってしまったんです!

私にできる唯一の選択はヘルメットなしで走ることでした。
もちろん、ゆっくりとです。スペシャルの残りを走り切って、アシスタンスにもうひとつのヘルメットを届けてもらうまでに、ずいぶん時間をロスしました。

失格にならないことを願っています。とアランは付け加えた。

本来であればヘルメットなしで走るなど、やってはいけない行為です。しかし、彼はこの不幸で総合の順位を20〜24番近く下げるという大きい代償を払っています。

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ヘルメットを置く習慣とは、こういうことです・・・以下に以前書いた絵を貼っておきます。

お互い死角になって見えない

砂丘を越えたところで転倒!ありがちな状況。でも非常に危険!!どうする?シロイヒト!
砂丘を越えたところで転倒!ありがちな状況。でも非常に危険!!どうする?シロイヒト!
とにかく必死で安全確保。なかなか大変だけど、砂丘を駆け上ってヘルメットを砂丘のてっぺんに置いて注意を促します。他の人はこのヘルメットを見て「あ!何かあるな」と、注意します。
とにかく必死で安全確保。なかなか大変だけど、砂丘を駆け上ってヘルメットを砂丘のてっぺんに置いて注意を促します。他の人はこのヘルメットを見て「あ!何かあるな」と、注意します。

というわけで、他者と自分の安全確保のためにヘルメットを置くんでしたね・・・

で、盗まれたと・・・

どのヘルメットもきれいで、子供にとってはものすごく欲しいものだったのでしょう・・・それにしても、ヘルメットなしで80キロを走ってもこの程度の順位っていうのがすごいです。アランさん。

ちょっと脱線かもしれませんけど

ちょっとこの文章の中に「Franco – Malian」という見慣れない表現(見慣れないったって、中学生レベルでは当然なんですが)があったので調べてみました。だいたいフランス語混じりの英語だったりするので厄介なんです。

検索してみるとアランさんのライダー紹介にも同じような表記があって、眺めていたらなかなかすごいことが書いてありました。

あ!それと、多分ですが「Franco – Malian」とは、フランスとマリ(アフリカの国、マリ)のハーフという意味じゃないかと思うんです。

またまた斜め訳してみると・・・

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彼とダカールのかかわり合いは古く、1982年、ダカールのキャラバンがコートジボワールの北にある彼の村を通過したときに遡ります。

その時ひとりのライダーが彼の家に留まり、ダカールへの情熱を語りました。30年後にはトップアマチュアとして11回めのダカールを走っていました。

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1982年当時のコースを見てみると、ラリーはマリから直接セネガルに入っていますから、アランさんがマリ出身だとすれば、コートジボワールの北といっても相当北ですよねえ・・・
1982年当時のコースを見てみると、ラリーはマリから直接セネガルに入っていますから、アランさんがマリ出身だとすれば、コートジボワールの北といっても相当北ですよねえ・・・

間違っているかもしれませんが、最近3年契約でシェルコのライダー(つまりプロですね)になったアランさんは、小さい頃?にラリーを自分の村を通過するものとして見ていたんです。

箱根に住んでいて、小さい頃沿道で駅伝を応援していた子が大きくなり、選手として箱根を走るようになった・・・ちょっとスケールは違いますが、そんな感じでしょうか。

出場している人それぞれにいろいろなストーリー、歴史がありますねぇ・・・おもしろいな。

最後にネットで見つけたきれいな写真を貼っておきます。

この後埋まらないで砂丘のリップを通り抜けたか気になります。
この後埋まらないで砂丘のリップを通り抜けたか気になります。
雪のような白い砂
雪のような白い砂
でも相当フカフカみたいでハンドルが切れてしまっています
でも相当フカフカみたいでハンドルが切れてしまっています
こちらの砂は相当重そう
こちらの砂は相当重そう
ああ、この後に雪みたいな砂がくるのですね・・・それにしても素晴らしい景色!
ああ、この後に雪みたいな砂がくるのですね・・・それにしても素晴らしい景色!
これもすばらしい!風が作り出した火星の景色。
これもすばらしい!風が作り出した火星の景色。

ダカールシリーズはこれでおしまい。

上の記事とゆるく関連しているほかの記事:

“ダカール終わっちゃいました” への4件の返信

  1. 山葵さん おはようございます

    日野レンジャーのキャビン、カッコいいですね!
    現在のドライバーは菅原義正さんの息子さんだったかな?

    新しいレンジャーの顔が付いていますけど、車体はプロファイアらしいです
    でも、毎年新しくしているわけじゃなくて、この車体ももう10年以上使っているんじゃないでしょうか・・・詳しくはわかりませんけど
    毎年ハードなレースをずっと走ってるなんて、さすがトラック! 耐久性が違います

    今は息子さんのほうが上を走っていますが、ちゃんとお父様の菅原義正さんも一緒に走っています
    さすがにかなり後ろになってしまっているみたいですが・・・たしか30番くらいじゃなかったかな・・・

  2. 日野レンジャーのキャビン、カッコいいですね!
    現在のドライバーは菅原義正さんの息子さんだったかな?
    菅原義正さんの20年前の記事を読んだことがあります
    初めての砂漠のレースに軽トラで出場して特別賞を貰ったとかなんとか
    ギアが抜けてしまうトラブルをシフトに手を括り付けて乗り切ったり
    日本を代表する冒険家は素晴らしいです。

  3. 山葵さん おはようございます

    シュバンクマイエルってなんだろう・・・と思ったら芸術家なんですね!
    ヘンテコリンなものばかり!・・・おもしろそう!

    https://www.google.co.jp/search?q=Jan+%C5%A0vankmajer&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwioofO6hrLKAhWFGJQKHSSiDTwQ_AUICCgC&biw=1434&bih=834

    タトラはゼトアと生まれが一緒ですか!

    ここのところ旧共産圏のトラックはカマズにしてもタトラにしても元気がないです
    どうしちゃったのでしょう・・・

    そんななかで日野の2台はずっと出続けていてすごいなあ、と思います
     
     

  4. ああ!イラストにあるのはタトラトラック!
    チェコスロバキアの名門企業ですね!ゼトア繋がりです!

    スコダ タトラ バルム ZTS・・・地味な国ですが工業は盛んですよね
    石畳、馬車、ボヘミアングラス、蒸しパンとビール、共産党、シュバンクマイエル
    そんなイメージの裏に優れた工業技術。いいですね!おしゃれです。

    タトラトラックのシャーシ、本当に素敵です。

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