今日は北海道は上富良野町にあるスガノ農機の『「土の館」 土と犂の博物館』で見た、ナフィールドトラクタ 3-DL「撮り虎」の続きです。
ナフィールド社の作ったトラクタブランドがナフィールドユニバーサルだった
よく調べてみるとナフィールド・ユニバーサル(Nuffield Universal)というのは、1948年にオックスフォード州ナフィィールド村にブリティッシュ・モーター社(British Motor Corporation)の1部門として生まれた、ナフィールド社で作られたトラクターの名前なのでした。
日本でいったら本田宗一郎みたいな人なのね・・・
ブリティッシュ・モーター社は16歳で始めた自転車修理業から叩き上げて、後にモータリゼーションの発達と合わせて自動車関係の仕事に手を広げ、財を成したナフィールド卿として知られるウィリアム・モリスによって設立された会社で、ナフィールド卿が設立した一連の会社のなかには、大戦中に戦車を作っていた会社もあったようです。
そして、ナフィールド・ユニバーサルの最初のトラクター、Nuffield Universal M3は、かつてデビッドブラウントラクターを作り出していた、H・E・メリット博士によってデザインされました。
後にでた、ナフィールドユニバーサル3/42というのはもっと馬力が大きそうだし、このあたりは日本仕様ということなのかしら・・・
どうしてもつながる 戦車⇔トラクター
H・E・メリット博士は大戦中、戦車のデザインをずっとやっていたようです。
ナフィールド卿の会社には、Nuffield Mechanizations and Aero という会社もあって、ここでは戦闘車両を作っていて、巡航戦車 Mk.VI クルセーダーや巡航戦車 Mk.VII キャバリエを作っていました。
もしかしたら、メリット博士はこれらの戦車をデザインしていたのかもしれませんね。
そう考えると、トラクターは農業に使うものではありますが、コマツブルドーザーの「けーこ」や「けいてぃ」を追っていてもわかったように、戦争と無関係ではいられないんですね・・・
巡航戦車の血を引き、北海道へやってきたナフィールドユニバーサル3