やり方はともかく、最終的に食べる蕎麦の形(細く長くという意味で・・・)はだんだんサマになってきた環境保全会の蕎麦、今年も活動の一環として種まきを行いました。
種まき「ごんべえ」の構造などは、2010年の蕎麦の種まきの記事や2011年の蕎麦の種まきの記事を見てもらうとして、今年は種まきの密度の話です。
「何となく合意システム」
経験に基づく意見がそれぞれあっておもしろく、それらが一気に出てくるのですが、どういうわけだか最終的に一つに決まってしまうのが「阿吽の呼吸」というか興味深いです。議会なんかでよく「議論を尽くして」などと言いますが、こういう感じなのでしょうか?
僕の中のイメージは議論と言うと激しくやり合い、相手を叩きのめす「ディベート」みたいなイメージだったのです。でも、考えてみればそれって禍根を残すこともあるますよね? そもそもみんな正しいことを言っているわけですもん。否定されたように感じて残念に思うこともありそうです。
あ、話がそれましたけど、そういうことでこの、「何となく合意にいたるシステム」っていいなあ・・・と思ったわけです。
「何となく合意システム」とごんべえによる蕎麦の種まき
ガイドの(畦の距離)長さにそれぞれ意見があるみたいでした。
ごんべえちゃん
おじまさん おはようございます
>みんな子供の頃からず~っと一緒の人たち
ほんとですね
もしかしたらその親父さんも同じように子供の頃からず~っと一緒なのかもしれません
そのへんはよくわからないですけど・・・
おはようございます。
みんな子供の頃からず~っと一緒の人たちが殆どなので、お互いが解ってるんでしょうね。
器具の調整(紐つけ)をしているのと、実際に作業をしているのが違う人ってのも、そういう中のよさの現われかもと思わせる写真ですね。
おじまさん おはようございます
ギャラリー多数でしたが、時間ばかり無駄に過ぎていくという感じでもなかったです
ばばばっと意見が一気に出るけど、すっと決まる感じ
受注が誰かに偏ることがない無意識談合みたいな・・・(言葉が悪いですけど)
きっと色々な意思決定システムがそれぞれの地域で発達してるんでしょうねえ
播種作業お疲れ様でした。
と言っても、実働部隊はごくわずか、ギャラリー多数で、時間ばかり無駄に過ぎていくという感じは、こういうムラ行事ではよくあることですね。
手押しのごんべえは前輪が播種機構の駆動輪、後輪は鎮圧輪なので、ロープで引っ張るより前輪を押し付け気味にハンドルを持っている人が押した方が播種精度が上がるのでは?
と思ってしまったのですが、、、
まぁ、その辺も含めていろいろ議論した結果、このスタイルでの作業になったんでしょうね。