水戸市大場町のgoogleマップを見ていて、何気なくストリートビューのオレンジのヒトをドラッグしたら表示されたのでビックリしました。こんな田舎でGoogleはいったい何をしようとしているのでしょうか?
そこが商店街なら買物の人に便利と言えば便利なのですが、ほとんど田んぼと民家しかないこの土地でのストリートビューに疑念がもたげてきちゃいます。
漠然とした不安
それはgoogleマップの衛星写真でもそう思いましたが、何か具体的な害が発生したわけでもなく、(まあ、ドロボーさんは有効に活用すると思いますが)ジム・キャリーの映画『トゥルーマン・ショー』みたいな監視社会というか、漠然とした不安でしょうか。
もちろん、それはgoogleマップの便利さの恩恵に浴すうちにある種の「もやもや感」は薄れていってしまったのですが、ストリートビューで再びそれが戻ってきた感じです。この段階的に慣らされていく感じもイヤです。
外観はパブリックなもの?
googleの技術者たちは善意と熱意と勤勉さで島のような各地のストリートビューをどんどんと繋いで日本中を網羅しようとしているのは大変良くわかるのです。そしてそれが容認されているのは、たとえ私有地であっても外観(家の中以外は360度、それは屋根までも)はある程度パブリックなものを含んでいて、それに対して「撮影禁止!」とは合理的な理由なしに言えない・・・ということを思い知らされます。
スキマを広げろ!
作家の半村良さんが小説を書く時、事実とフィクションをなじませるのに小説の舞台となる地の2万5千分の1の地図にカミソリで切れ目を入れ、それを引っぱって広げてスキマを作り、そのスペースに架空の土地を作ってお話を作ったと聞いたか読んだことがあります。
善意と熱意と勤勉さが帝国を作る
なんだかgoogleも同じように各国の法律という網のスキマを広げて、googleの国を作り、最終的に各国のgoogle支店国をつなげて一つの大きなgoogle国に統一しようとしているように感じます。
インターネットには国境がなく、もうずいぶんと前から(というかWWWが生まれたときから)「One World」だったわけですが、一つの企業、一握りの意思決定者がリアル「One World」を実現してしまうとは・・・。
膨大な情報を握ったものが、その中へ事実と反する情報を挿入することはウインクするより簡単なことでしょう。
ゴメンねGoogle
・・・いかん。いかん。
なんだか若干ネガティブになってしまいました。あまりマイナスなことや特定のものへ対しての批判はこの場の趣旨に反します。
今までの経験から僕は何かを手に入れるたびに、(それを後から知ったことも含めて)一方で何かを失ってきました。この漠然とした不安はきっと、便利さと引き換えに何を失うかわからないことが多すぎる、そして、自分で何も選択できないもどかしい気持・・・そのことがただ単にストリートビューに向いてしまったのでしょう。googleさんごめんなさい。
正月から延々とテーマとは関係ないダカールラリーの記事を書いていたのは、ダカールラリー自体が商業的イベントであっても、自分と機械が個人およびチームがその責任に於いて体力、知力、技能のすべてを動員して選択し挑戦する姿勢や姿に共感したからで、上に書いたようなもどかしい気持からの裏返しだと思います。
考えてみたらこのブログもそういう「自分でコントーロルできない感」がイヤで大手のブログサービスは使わないで自分で立ち上げたんだっけ・・・とはいえプロバイダーやレンタルサーバーは使わなきゃいけなくて、そんなところは矛盾してます。気分なんですね・・・きっと。
それでも失ったものへ
それでも、自分が何の犠牲の上に立っているのか、いなくなってしまった動物や植物、手に入れた道具によって失ってしまった運動機能、考える力・・・etc、をちゃんと考えていたいなあと思います。前もちゃんと見ながらね。
こんなものが写っています