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伝統とは「ちょっとした思いつき+突然変異」・・・なのかも

昨日は大場のハロウィン、霜月御神守でした。去年もこの絵でしたが、何といってもこのお祭りで僕に強烈な印象を残したのはこの鯛なんだからしかたがないです。

どこのお祭りにも不思議な風習?があると思います。大場町島地区にあるのはこれ。宴会を終わらせるリーサルウェポン(名前誰か教えてください)鯛です。米の上に鯛を生きているように泳がせた作り物です。昔は相当長く宴会が続いたようですから、もういいかげん帰りたい人が考えたうまい方法だったのかもしれません。

どこのお祭りにも不思議な風習?があると思います。大場町島地区にあるのはこれ。宴会を終わらせるリーサルウェポン(名前誰か教えてください)鯛です。米の上に鯛を生きているように泳がせた作り物です。昔は相当長く宴会が続いたようですから、もういいかげん帰りたい人が考えたうまい方法だったのかもしれません。

どこのお祭りにも不思議な風習?があると思います。大場町島地区にあるのはこれ。宴会を終わらせるリーサルウェポン(名前誰か教えてください)鯛です。

去年と今年は食べちゃいましたが、ずっとただの飾りで別に食べるってわけではありませんでした。

どこのお祭りにも不思議な風習?があると思います。大場町島地区にあるのはこれ。宴会を終わらせるリーサルウェポン(名前誰か教えてください)鯛です。

まな板の上の鯉ならぬ、「鯛」を生きているようにしなくてはなりません。どうしてかはわかりませんが。

どこのお祭りにも不思議な風習?があると思います。大場町島地区にあるのはこれ。宴会を終わらせるリーサルウェポン(名前誰か教えてください)鯛です。

今年は世話人さんが秘密兵器を持ち込んでいました。これで焼いてヒレをカッコ良く固定するんです。

どこのお祭りにも不思議な風習?があると思います。大場町島地区にあるのはこれ。宴会を終わらせるリーサルウェポン(名前誰か教えてください)鯛です。

お米を皿に盛ってその上に泳がせます。できた! 

世話人さんが準備をしている間、他の人たちは集落センターのカーテンを取り替えるのに夢中です。

世話人さんが準備をしている間、他の人たちは集落センターのカーテンを取り替えるのに夢中です。

あーでもない、こーでもないといいながら古いカーテンを取り外し新しいものに掛け替えます。

あーでもない、こーでもないといいながら古いカーテンを取り外し新しいものに掛け替えます。

今年も調べてみた

鯛は「めでたい」のタイなわけですが、霜月御神守では一応宴会の締めというか、「もうおひらきにしねえ?」のサインでもあるということで、こういうモノって他にもあるのか今年も調べてみました。

すると、「帰れ」のサインではないけど、ひとつだけ(全部調べればもっと出てくるのでしょうが、ほとんどこの鯛で占められていた)こんなのがありました。

これも強烈な印象を残します。巨大な鯛のハリボテ神輿!

これも強烈な印象を残します。巨大な鯛のハリボテ神輿!

朝日新聞の記事にありました。愛知県南知多町の豊浜鯛まつりというのだそうです。この鯛、お米に乗せられた鯛にそっくりです。日本人にとって、「鯛」といえば記号のようにこの形なんですね!

朝日新聞の記事にありました。愛知県南知多町の豊浜鯛まつりというのだそうです。この鯛、お米に乗せられた鯛にそっくりです。日本人にとって、「鯛」といえば記号のようにこの形なんですね!

愛知県の教育ネットワーク(http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/chita/chi203.htm)にこんな記載がありました。1887年(明治20)前後に船大工の森佐兵衛という人が,中洲神社の祭礼に出した「はつかねずみ」が始まりである。その後,豊漁を願い,土地柄に合わせて魚を作るようになり,現在のような大鯛が作られるようになったのは大正時代になってからである。大鯛の大きさは最大のもので長さ19メートル,高さ6メートルになるものもある。毎年7月下旬の最も潮の引く週末に行われ,多くの観光客も訪れる。祭りは中洲,半月,中村,鳥居,東部の5地区がそれぞれ作った5匹の鯛みこしが登場し,約60人の担ぎ方に担がれた大鯛のみこしをおはやしとともに,町や海の中を練り歩く。祭りの終わりごろには鯛みこしの勇壮なぶつかり合いがみられ,その迫力に圧倒される。

愛知県の教育ネットワーク(http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/chita/chi203.htm)にこんな記載がありました。1887年(明治20)前後に船大工の森佐兵衛という人が,中洲神社の祭礼に出した「はつかねずみ」が始まりである。その後,豊漁を願い,土地柄に合わせて魚を作るようになり,現在のような大鯛が作られるようになったのは大正時代になってからである。大鯛の大きさは最大のもので長さ19メートル,高さ6メートルになるものもある。毎年7月下旬の最も潮の引く週末に行われ,多くの観光客も訪れる。祭りは中洲,半月,中村,鳥居,東部の5地区がそれぞれ作った5匹の鯛みこしが登場し,約60人の担ぎ方に担がれた大鯛のみこしをおはやしとともに,町や海の中を練り歩く。祭りの終わりごろには鯛みこしの勇壮なぶつかり合いがみられ,その迫力に圧倒される。

妄想を働かせてみる

ハツカネズミが何で鯛になったのかは、はっきりとしないようです。ただ、ハツカネズミ→何かの魚→鯛という流れだったようで、まあ、その場の熱というか背景の上に立ったちょっとした「思いつき」といった感じではないでしょうか?

それが「例年通り」で引き継がれるうちに「どうしてそうなったのか」があやふやになり、そのうちに突然変異みたいにハツカネズミが魚に変化した・・・

魚が引き継がれ、その理由が忘れ去られるとまた、突然変異みたいに「どうせならめでたいで鯛にしよう!」となったのかもしれません。(妄想ですが)

島地区の鯛も、昔は収穫祭だけに米だけだったものが、いつの頃か誰かが「めでたいっ」と言って鯛を米の上に載っけたのが始まりかもしれませんね!

どうしてそうなったかわからなくなった頃に突然変異が起こるとすれば、この島地区の風習もそろそろ突然変異を起こすかもしれません。

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