今日も「田植機考古学」です。でも、年表を描いているうちに時間がなくなってしまいました。朝の時間だけではとても足りません・・・
田植機だけに沼が深いです。ごめんなさい。今日もサクッと写真を並べるだけでおしまいにします。いつか必ずスッキリとまとまると思います。
井関農機の社史「井関農機60年史」によると、昭和28年から研究していた成苗の田植機がなかなか困難で、稚苗移植が農村で受入れられそうな機運で稚苗移植の機械を開発することになったそうです。
稚苗移植が農村でも受入れられる見通しになったため、40年8月、稚苗用(土付苗方式)に重点を移し、農機研と共同研究するなど、開発に力を入れた結果、41年9月、当社では初の動力田植機「P4A型」を完成し、一般に発表した。P4A型は、ティラーにセットするアタッチメント方式で、稚苗(土付苗)の紐付苗を使い、重量50kg、4条植え、能率は10a当り1時間であった。
「井関農機60年史」より
さらに読み進めると、どうもイマイチだったようで、マット苗方式に改めることとなり、1968(昭和43)年には生産が打ち切られたようです。
で、そのマット苗用の田植機がPC20でした。
年表を描き始めたら思いのほか時間が掛かってしまって、歩行型が終ったところでひとまず退散です。続きはどこかで・・・
いつも内容薄くてすみません!また明日!
hokkaidoujinさん おはようございます
管理機アタッチメント方式だったそうですが
高校生の目にどう写ったか気になりますね!
noraさん、お久しぶりです。
私は農高在学中、ヰセキp4aで田植え実演を見ました。50年もまえです。