産業を変える技術、航空機「日本を変えた千の技術博@国立科学博物館」

休みの日は見に来る人も少ないので今日は趣向を変えて・・・国立科学博物館で開催されていた、明治150年記念、日本を変えた千の技術博という特別展で見たものいろいろ・・・

 

こんな展示です。WEBページによれば・・・ 明治改元から150年、そして2019年に予定される改元。 時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。 日本各地の大学・研究機関や企業などから、 600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合! 科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真などを合わせ、 "日本を変えた千の技術"をたっぷりと紹介していきます。 中でも、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、 「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料は特に注目です! だそうです。 開館時間 : 午前9時~午後5時 (金曜日、土曜日は午後8時まで、入館は各閉館時間の30分前まで) 休館日 : 毎週月曜日(2月25日は開館、2月12日はお休み)
こんな展示です。WEBページによれば・・・

明治改元から150年、そして2019年に予定される改元。
時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。
日本各地の大学・研究機関や企業などから、
600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合!
科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真などを合わせ、
“日本を変えた千の技術”をたっぷりと紹介していきます。
中でも、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、
「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料は特に注目です!

もう終っちゃいましたけどね。

 

第3章は「暮らしを変える技術」でしたが、第4章は「産業を変える技術」です。 車や飛行機、船舶や機械の発達が人とモノの流れと製造現場を変え、産業を発展させました。人力や動物の力から、蒸気や電気の動力へ。そして鉄の機械による大量生産が始まりました。今後、自動車やロボットは人工知能(AI)を搭載してどのように変わっていくのでしょうか。 とあります。
第4章は「産業を変える技術」です。

車や飛行機、船舶や機械の発達が人とモノの流れと製造現場を変え、産業を発展させました。人力や動物の力から、蒸気や電気の動力へ。そして鉄の機械による大量生産が始まりました。今後、自動車やロボットは人工知能(AI)を搭載してどのように変わっていくのでしょうか。

とあります。今日は4章の中の航空機です。

 

二式一一五〇馬力発動機 1943(昭和18)年12月製造 発動機番號 第2828號 中島飛行機が製造し、第二次世界大戦中、零戦や隼など多くの飛行機に装備された発動機。 とあります。
二式一一五〇馬力発動機
1943(昭和18)年12月製造
発動機番號 第2828號
中島飛行機が製造し、第二次世界大戦中、零戦や隼など多くの飛行機に装備された発動機。
とあります。

 

「栄」という名でも知られているそうです。
「栄」という名でも知られているそうです。

 

空冷星形エンジンの冷却フィンは薄く細かくて、「これでもか!」というくらい細部に立っていて美しいです。空冷トラクターがシンプルで整備性が良さそうなのに対してこちらは手を出すのがはばかられそうな感じ。
空冷星形エンジンの冷却フィンは薄く細かくて、「これでもか!」というくらい細部に立っていて美しいです。空冷トラクターがシンプルで整備性が良さそうなのに対してこちらは手を出すのがはばかられそうな感じ。

 

銘板には1150馬力と大きく書いてあります。というか、このエンジンの名前は「1150馬力」と受け取れる書き方・・・なんだかそれがおもしろいです。トラクターもそんな感じがありますが、当時の飛行機は馬力で決まる感じだったのでしょう。
銘板には1150馬力と大きく書いてあります。というか、このエンジンの名前は「1150馬力」と受け取れる書き方・・・なんだかそれがおもしろいです。トラクターもそのように受け取れますが、当時の飛行機の性能は馬力で決まる感じだったのでしょう。

 

航空研究所試作長距離機 縮小三面図 1936(昭和11)年頃 東京帝国大学航空研究所製 全幅:27.93m、全長:15.06m、全高:3.60m、自重:4225瓩(kg)、搭載原動機:川崎製BMW9型700馬力 馬力改良型、航続距離:12,740粁(km)、航続時間:68時間40分、巡航速度:180〜200km/h、初飛行:1937(昭和12)年。
航空研究所試作長距離機 縮小三面図
1936(昭和11)年頃 東京帝国大学航空研究所製
全幅:27.93m、全長:15.06m、全高:3.60m、自重:4225瓩(kg)、搭載原動機:川崎製BMW9型700馬力 馬力改良型、航続距離:12,740粁(km)、航続時間:68時間40分、巡航速度:180〜200km/h、初飛行:1937(昭和12)年。

 

航研機(航空研究所試作長距離機)の模型。
航研機(航空研究所試作長距離機)の模型。

 

正副2人の操縦士と1人の航空機関士の3人で62時間22分49秒掛けて世界記録を達成したそう・・・睡眠もトイレも食事もしなくてはならないでしょうから大変ですよね。 救いは周回コースだということ。僕はどこか遠くに飛んでいったのかと思いましたが、周回コースなら途中で何かあっても不時着できそうなので安心です。(不時着は安心でもないか・・・)
正副2人の操縦士と1人の航空機関士の3人で62時間22分49秒掛けて世界記録を達成したそう・・・睡眠もトイレも食事もしなくてはならないでしょうから大変ですよね。
救いは周回コースだということ。僕はどこか遠くに飛んでいったのかと思いましたが、周回コースなら途中で何かあっても不時着できそうなので安心です。(不時着は安心でもないか・・・)

 

何コレ?飛行機とどんな関係があるの?・・・と思える物体。カウベルが巨大になったような形。これ、カメラだそうです。そうとわかっても航空機とどういう関係?というのが解決しません。
何コレ?飛行機とどんな関係があるの?・・・と思える物体。カウベルが巨大になったような形。これ、カメラなんですって。そうとわかっても航空機とどういう関係?というのが解決しません。

 

このカウベル、高感度カメラだそうです。 高感度カメラ 1930(昭和5)年 栖腹豊大郎が開発した高速度カメラⅡ型で、毎秒4万5千コマの撮影が可能である。航空研究所において、航空機の空力学の研究などに使用された。 とあります。 中に大きなはずみ車が入っていて、そのはずみ車に4mのフィルムが巻かれ、高速で回転させるようです。防爆、危険防止のためにこのような釣り鐘型のボデイが備わっていて、ボディの小さな隙間から入った光で露光する・・・そんな作りだそうです。
このカウベル、高感度カメラだそうです。

高感度カメラ
1930(昭和5)年
栖腹豊大郎が開発した高速度カメラⅡ型で、毎秒4万5千コマの撮影が可能である。航空研究所において、航空機の空力学の研究などに使用された。

とあります。
中に大きなはずみ車が入っていて、そのはずみ車に4mのフィルムが巻かれ、高速で回転させるようです。防爆、危険防止のためにこのような釣り鐘型のボデイが備わっていて、ボディの小さな隙間から入った光で露光する・・・そんな作りだそうです。

 

航空機開発の系譜 エンジンのついた飛行機が日本の空を初めて飛んだのは、1910(明治43)年である。これはライト兄弟の初飛行から7年後のことであった。1938(昭和13)年には日本の技術開発も進んで、周回航続距離の世界記録を樹立するまでになった。その後、航空機の技術は第二次世界大戦中に飛躍的に発展したが、わが国では戦後しばらく航空関係の開発を行なうことはできなかった。その遅れをとり戻すため、戦前からの頭脳も集めて完成したのが、中型輸送機YS-11である。
航空機開発の系譜
エンジンのついた飛行機が日本の空を初めて飛んだのは、1910(明治43)年である。これはライト兄弟の初飛行から7年後のことであった。1938(昭和13)年には日本の技術開発も進んで、周回航続距離の世界記録を樹立するまでになった。その後、航空機の技術は第二次世界大戦中に飛躍的に発展したが、わが国では戦後しばらく航空関係の開発を行なうことはできなかった。その遅れをとり戻すため、戦前からの頭脳も集めて完成したのが、中型輸送機YS-11である。

 

YS-11風洞実験モデル 1960(昭和35)年頃 YS-11の開発にあたり、本体形状の空力学的特性を調べるために作られ、東京大学航空学科の風洞実験室で使用された模型 無造作に天井から吊されているのはYS-11風洞実験モデル。あちこち補修の痕があったり、表面が荒れてたりしてます。これでどこまで、何がわかったんだろう・・・
YS-11風洞実験モデル
1960(昭和35)年頃
YS-11の開発にあたり、本体形状の空力学的特性を調べるために作られ、東京大学航空学科の風洞実験室で使用された模型

無造作に天井から吊されているのはYS-11風洞実験モデル。あちこち補修の痕があったり、表面が荒れてたりしてます。これでどこまで、何がわかったんだろう・・・

 

YS-11の模型 詳しいキャプションが読めませんが、海上保安庁 LA701と本体に書いてあります。日の丸のマークの前に丸い覗き窓が見えますね。 調べてみたら海上保安庁で「ブルーイレブン」と呼ばれている機体だとわかりました。
YS-11の模型
詳しいキャプションが読めませんが、海上保安庁 LA701と本体に書いてあります。日の丸のマークの前に丸い覗き窓が見えますね。
調べてみたら海上保安庁で「ブルーイレブン」と呼ばれている機体だとわかりました。

 

JIJI.comに写真記事がありました。消えてしまうと困るので引用しておきます。

 

海上保安庁に所属する国産プロペラ機YS11の最後の1機となった「ブルーイレブン」が約42年間の現役生活から引退することになり、ラストフライトを前に同庁の羽田航空基地(東京都大田区)で解役式が行われた。写真は格納庫内のブルーイレブン。機首に記されている「LA701」は、海上保安庁の登録コード。
ブルーイレブンは1969年に就役、総飛行時間は約2万3000時間に及んだが、無事故だった。巡航速度は時速426キロ。長距離飛行を可能にするため、旅客機なら客席の部分に燃料タンクを増設した。ブルーイレブンの解役により、機体番号(ブルーイレブンはJA8701)が日本の民間機を示す「JA」で始まるYS11は姿を消し、航空、海上両自衛隊所属の20機だけとなる(2011年01月13日) 【時事通信社】

 

現時点でどうなんでしょう・・・残ってるのかな・・・

 

YS-11 戦後日本の航空機産業の復活を願って開発された国産輸送機。写真は国立博物館所蔵の機体。試作二機の後に次いで製造された量産一号機である。本機は1964(昭和39)年10月12日に初飛行し、1965(昭和40)年に運輸省航空局に引き渡され、「ちよだⅡ」と命名されて以後、飛行検査用として運用され、最終飛行は1998(平成10)年であった。 コラム 日本の技術の総力を挙げて開発したYS-11 YS-11の開発には、航空研の木村秀政、隼の太田稔、零戦の堀越二郎、紫電の菊原静男、飛燕の土井武夫など戦前の航空技術者がかかわり、最終的に輸送機研究開発協会から引き継いだ日本航空機製造が生産を行なった。そして1962(昭和37)年8月30日に名古屋空港で試作第一号機が初飛行を行った。
YS-11
戦後日本の航空機産業の復活を願って開発された国産輸送機。写真は国立博物館所蔵の機体。試作二機の後に次いで製造された量産一号機である。本機は1964(昭和39)年10月12日に初飛行し、1965(昭和40)年に運輸省航空局に引き渡され、「ちよだⅡ」と命名されて以後、飛行検査用として運用され、最終飛行は1998(平成10)年であった。

コラム 日本の技術の総力を挙げて開発したYS-11
YS-11の開発には、航空研の木村秀政、隼の太田稔、零戦の堀越二郎、紫電の菊原静男、飛燕の土井武夫など戦前の航空技術者がかかわり、最終的に輸送機研究開発協会から引き継いだ日本航空機製造が生産を行なった。そして1962(昭和37)年8月30日に名古屋空港で試作第一号機が初飛行を行った。

 

色々YS-11についてテキストが書かれています。これらどこを見ても輸送機と書いてあって、旅客機じゃないんですね。

旅客機という言葉、最近の言葉なのでしょうか・・・輸送機は当然旅客も輸送するわけですけど、僕のイメージで輸送機というとどうしてもカーゴというイメージになってしまいます。

 

今日はこんなところです。また明日!

 

 

 

 

 

 

 

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