投稿日: 2019年4月20日2019年4月21日 投稿者: nora第二章は「科学で変える」だけど、僕的には左横書きに変える「日本を変えた千の技術博@国立科学博物館」休みの日は見に来る人も少ないので今日は趣向を変えて・・・国立科学博物館で開催されていた、明治150年記念、日本を変えた千の技術博という特別展で見たものいろいろです。 こんな展示です。WEBページによれば・・・明治改元から150年、そして2019年に予定される改元。時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。日本各地の大学・研究機関や企業などから、600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合!科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真などを合わせ、“日本を変えた千の技術”をたっぷりと紹介していきます。中でも、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料は特に注目です!もう終っちゃいましたけどね。 膨大な展示の第一章は「明治維新、化学と技術で世が変わる」というタイトルで始まっていました。 第二章は「科学で変える」です。 本章では、わが国の150年の科学・技術の歴史のなかから、いくつかの身近な科学のトピックスを取り上げました。初めての女性科学者の誕生、明治時代に科学の研究から生まれた「アドレナリン」、技術の発達に日本人が大きく貢献した「水晶振動子・時計」と「磁石・フェライト」、新しい質量の定義「シリコン単結晶」です。とあります。ここからは大正や昭和のものも出てきます。明治ものってすごくおもしろいのですが、科学や技術はどんどん進歩するので、明治ばかりやっているわけにはいかない・・・というわけです。いつか明治だけを深堀りした展示も見てみたいですけどね。 大きな薬瓶のパネルが出ています。ゼータスアジカタってなんだ?と思ったらタカジアスターゼでした。高峰譲吉博士の有名なヤツです。偉人伝かなんかで小さな頃読みました。 薬が並んでいます。左から、化学遺産:タカジアスターゼ パッケージ(紙箱)1932〜1945(昭和7〜20)化学遺産、未来技術遺産:タカジアスターゼ薬瓶 1909(明治42)年発売化学遺産:鹽(えん)化アドレナリン パッケージ (紙箱)1913〜1922と書いてあるようですけど、良く読めません。化学遺産:鹽(えん)化アドレナリン パッケージ (薬瓶)1913〜1922と書いてあるようですけど、良く読めません。高峰譲吉博士、科学者なのでしょうけど、このように製品として販売まで繋げたエジソンみたいな実業家でもあったんですね・・・知りませんでした。昔の人はスケールが大きいです。現在のようにジャンル、肩書き、分野などが固まっていなかった時代だけに「高峰譲吉」という個で生きた人なんでしょうねえ・・・ 展示の一番左、タカジアスターゼの紙箱です。Dr.Takamine’sタカヂアスターゼ錠とあります。昭和7年から20年販売とあるので、戦前のものと思われるのに、なぜかこちらはすんなりと読めます。そうか!左から書いてあるからだ!どうして薬瓶と書き始めが違うのでしょう・・・不思議です。文字の書き初めがが右から左に変換になったのは敗戦後だと思っていたのですが、薬の世界では明治大正あたりを境に欧米化しちゃったのでしょうか? 縦書きと横書き なんだか気になったので、文字の書き初めがが右から左に変換になったのはいつぐらいか調べてみました。するとドンピシャではないのですがWikipediaに記述がありました。みんな気になるのですね。 そのなかに雑誌の広告らしき写真が載っていました。キャプションには日本語の雑誌広告 (1938年(昭和13年))。広告本文は右縦書きと右横書きが用いられ、商品のラベルには英語に倣い左横書きが用いられている。とあります。こちらはちょうどドンピシャの薬関係・・・戦前ではありますが、このヴィタミンの薬瓶は左から書き始められています。会社は理研ですから、先の第一三共とは違います。つまり、薬の世界では左横書きが一般的だったのではないでしょうか? 同じくWikipediaに載っていた写真です。キャプションによれば1938年10月頃の天王寺駅。左横書きが多いが一部に1行1文字の縦書きも残っている。とあります。昭和13年、戦前です。確かに看板は大衆食堂などみな左横書きです。阪和食堂だけ右横書きですね。つまりバラバラ。 すごいの見つけちゃいました。 東京大学総合研究博物館のデータベースです。全部見たわけじゃないですけど、迷宮になっていて、朝見たら仕事できなくなってヤバい感じです。 東京大学総合研究博物館画像アーカイヴス日本の新聞広告3000(明治24年-昭和20年)ですって!!!広告好きの僕にとって入ったら出てこれない迷宮です。これで薬の広告を調べられるっ! 17 大阪朝日新聞第 6863 号、8 面、明治 34 年 3 月 18 日発行大阪、大阪朝日新聞社森下南陽堂 梅毒藥の大發見「毒滅」毛のはへる藥「毛養液」・・・ダメだ・・・おもしろすぎます・・・見入ってしまいます。ただ明治の頃は左横書きの広告は見当たりません。 175 小樽新聞第 10177 号、9 面、大正 13 年 5 月 25 日発行小樽、小樽新聞社バイエル社「グアヤコーゼ」まだ右横書きです。大学目薬も同じく右横書きですね。 206 大阪朝日新聞第 15580 号、3 面、大正 14 年 4 月 15 日発行大阪、大阪朝日新聞社しまった!止まりません。独逸バイエル会社「リマトーゼ」舶来なのに右横書きです。ああ!カルピスこれも右横書き・・・どうした大正! 484 大阪朝日新聞第 16649 号、3 面、昭和 3 年 3 月 28 日発行大阪、大阪朝日新聞社本当に止まりません。昭和に入りまだ右横書きです。強壮剤「トッカピン」淋病の薬の広告がやたら多いというのが何かを暗示していそう・・・ 2842 大阪毎日新聞巻号未詳、7 面、昭和 13 年 12 月 11 日発行大阪、大阪毎日新聞社奇しくも昭和13年のところで左横書きが出てきました。606號以後の世界的發見!治淋療法の革命! 完治者續出!「G-Uサイド」とあります。2834 大阪毎日新聞巻号未詳、10 面、昭和 13 年 11 月 24 日発行大阪、大阪毎日新聞社三共製薬「ヨゥモトニック」は左横書きです。高峰譲吉博士の三共製薬出てきましたね・・・どうも昭和13年あたりからボツボツ左横書きが出てきたみたいです。急におもしろいものが出てきたので消化しきれません。時間もないので明日に続きます。 上の記事とゆるく関連しているほかの記事:新聞広告最古の左横書きを探せ!「日本を変えた千の技術博@国立科学博物館」日本を変えた千の技術、最後に持ってきたのは・・・「日本を変えた千の技術博@国立科学博物館」ネットのない時代にできたばっかりの機械がどんどん入ってきた明治。「日本を変えた千の技術博@国立科学博物館」産業を変える技術「日本を変えた千の技術博@国立科学博物館」光や音で伝える、コミュニケーションを変える技術「日本を変えた千の技術博@国立科学博物館」産業を変える技術&モノを変える技術「日本を変えた千の技術博@国立科学博物館」