今日は「撮りトラ」。スガノ農機「土の館」で見た、くろがねトラクター(多分、くろがねベビートラクターというのだと思います)です。
くろがねというからには鉄でできていて、50年を過ぎた今でもゴム部分以外はちゃんとしてます・・・鉄トラクター・・・いいなあ。
くろがねトラクター
1962年(昭和37) 東急くろがね工業㈱製 (日本)
KBT型 11馬力1962年(昭和37) 帯広畜産大学で、495千円で購入。
教材として長年使用してきたもの。
国内の販売は少なかった。KUROGANE TRACTOR
YEAR: 1962(showa37) manufacturer: Tokyu Kurogane(JAPAN)
Model:KBT Output: 11PSThis tractor was purchased by Obihiro Chikusan College for 495,000 Yen.
It was used for student instruction for many years. Not very many of this
model were sold in Japan.
なぜ千円単位で495千円なのか?というのはさておき、例によって購入金額が記載されています。50万円を切る値段ということは中古の値段なのでしょうか? 百万円オーバーの外国産が多い中、かなり安く感じます。
日の本MB-1100も50万円クラス(時代はもう少し後になりますが・・・)だそうですし、国産はそのくらいの値段が多かったのでしょうか・・・
東急くろがね工業㈱
初めて見るメーカーだなあ・・・と思ってウィキペディアで調べてみると
東急くろがね工業(とうきゅうくろがねこうぎょう)とは、第二次世界大戦後から、1962年までに自動車を製造をしていた会社で、主に自動車の中でも3輪トラックを中心に製造していた。また、トラクターも製造していた。
歴史
1957年 – 日本内燃機製造がオオタ自動車工業を吸収合併して日本自動車工業となる。(日本軽自動車の前身である「日本自動車工業」〔1953年~1956年〕とは別の会社)
1959年 – 日本自動車工業から東急くろがね工業に改称する。
1960年 – 軽四輪トラック「くろがね・ベビー」発売
1962年 – 倒産。自動車製造から撤退する
1963年 – 日産キャブライト用エンジンの下請け生産開始
1964年 – 東急機関工業へ移り変わる
1970年 – 日産自動車に全株を譲渡して、翌年に「日産工機」と名称が変わり現在に至る。
代表する車にくろがねベビーというものがあったそうです。
ちょうどこの「土の館」のくろがねベビートラクター(もう勝手に自分で考えた名前使ってますけど)と同じ時期じゃないですか! ベビーシリーズを農業分野、自動車分野、そして、他の分野へ展開していこうとしていたのではないでしょうか?
自動車部門も軽貨物だったようですし、当時高価で手のでないトラクターや自動車を手の届くところ降ろしてこよう・・・という気持からの「ベビー」だったのかな・・・と感じました。
ただその展開も、たった2年で倒産という結末になってしまったようですが、一体何があったのでしょう。売れなかったのかなあ。
東急くろがね工業㈱はその前身もあった。その前身では九五式小型乗用車を作っていた!
なんと、この東急くろがね工業㈱の前身は日本内燃機で、日本内燃機は九五式小型乗用車、通称・愛称はくろがね四起(-よんき)を作っていた会社です。(ウィキペディアより)
四駆じゃなくて四つ足で起つ(立ち上がる)感じ(漢字)が斬新でいいですよね! その形もいいですけど、表現の仕方が気に入ってしまいました。
車幅は1300ミリしかないらしいですよ。でも、全長は3600ミリ(この写真では3m切っているくらいに見えますね)。この写真はソビエト軍に鹵獲された時のものみたいですが、乗っている人はとても嬉しそうじゃないですか!
まあ、フォルムとしては車というより細長いトラクターに近かったはずです。
ひらがなのエンブレムは強そうに見えないですけどね。続きます。