水戸芸術館の現代美術ギャラリーの、ゲルダ&ヨルク(製作したアーティストお二人のお名前です)展 Power Sourcesで、ちょっとおもしろいなあ・・・と思ったもの。いとしいなんでもないものという展示です。




冗談ともホントともつかないまさに「なんでもないもの」が、棚やブースに並んでいます。どうも作った人たちは「価値」というものをひっくり返したり、並べ替えたり、タグを付け替えたりしたいらしいです。
確かに「なんでもないもの」って誰が決めるんだ?ということはあります。「なんでもない」か「なんでもある」を自分で決めて、それを「いとしい」と思う。そういうの、ありそうです。あきらかにゴミなんだけど捨てられないもの、たくさんありますもん。
思っている「価値」というものは人に何かいわれたからって変わるもんじゃないですけど、こういう風に見方を変えることによってゴミが価値あるものに、そして価値あると思われたものがゴミに変わるってことあるかもしれません。
お金をたくさん稼いでも、直近のもっとも価値のあるものは今日、明日、生きるために必要なものだけだから、余った分のお金は「将来〜するかも」というフリーハンドを手に入れるだけなんで、もし使わなきゃその人にはゴミになっちゃう。(ゴミというと語弊がありますか・・・価値のないもの・・・でしょうか)
これを見てあまり刹那的になっても何なんで、結論は常に意識は現在と反対の方向へ、流れを読んで攻守の切り替えを速く、攻めながら守り、守りながら攻める・・・ということにしておきましょうか。